「本当に大丈夫ですか? 護衛を付けた方が良いのでは?」
また引き止められた。
「だーかーら! 平気だってば!」
リンが声を荒げて返すのもこれで三回目だ。
実体化していない状態でリンの隣を歩くレンは、この家を出るのにどれ程時間がかかるのか、外に出るだけで日が暮れてしまうのではないかと考えてしまった。
昨日の約束通り、いつもの時間より早めにリンの部屋を訪れたレンに待っていたのは、外出で心が躍るリンと、それを心配して声をかけて来る伯爵や使用人達だった。リンが部屋を出る時に一回、廊下を歩いている時に一回、今この玄関で一回。さすがに三回目ともなると訳を話したりするのも面倒になって来たのか、最初は丁寧だったリンの言い方も少々投げやりになっている。
レンとしてはリンに声をかけたい所だが、今の状態で話しかけるとややこしい事になりそうなので黙っているしかない。
機嫌が悪い状態をこれ以上レンや使用人に見せたくないと思ったのか、リンは一度深呼吸をしてから穏やかな口調で告げる。
「暗くなるまでには帰るから心配しないで」
リンの両親から話を聞いていたようで、使用人はそれ以上何か言う事はせず、失礼いたしましたと詫びてから玄関の扉を開いた。冬特有の澄んだ空気が家の中に流れ込む。
「行ってらっしゃいませ。お嬢様」
「うん。行ってくるよ!」
お気を付けてと言う使用人に礼を言い、リンは笑顔で開かれた扉から外へと歩き出した。
屋敷がある高台を下り切った場所で足を止め、周囲を見渡して誰もいない事を確認したリンは、白い息を吐いて告げた。
「レン、もう良いよ」
直後に実体化したレンを視界に納め、リンは申し訳なさそうに目を細めた。
「ごめん。家の外で待ち合わせにしておけば良かったね」
心配されるかなとは考えてはいたが、家を出るだけで何度も足止めをされるとは思っていなかった。
この辺りの領地を治める伯爵が親で、体の弱い自分が一人で外出したいと急に言い出したのだから、周りが不安になるのは分かる。しかも季節は冬。倒れたりしたら大変だから本当は家の外に出したくない。そんな周りの人の気持ちが言動から感じられた。
それでも、リンは意思を変える気はさらさら無かった。周りの気遣いが過剰過ぎて、むしろ外出の意志をますます固めた程である。伯爵がリンの動向を見張るように使用人の一人に命じていたと知った際には怒りを爆発させ、もしまたこんな事をしたら二度と口を聞いてやらないとリンは伯爵に宣言し、使用人にはこんな馬鹿げた命令なんか聞かなくても良いと命じたのである。
心配してくれるのはありがたいけど、余計な手間は増やさないで欲しい。それがリンの本音だった。
窮屈な思いをさせてしまったと謝るリンに、レンは頬笑みを浮かべて手を軽く振る。
「リンが気にする必要はありません」
むしろ、自分がいたせいで余計な気を使わせてしまった。今まで多くの人間を見て来た経験を踏まえれば、リンの周りにいる者達が引き留めようとする事くらい分かった筈だ。それなのに、リンと同じ時間を過ごせる事に頭がいっぱいでそこまで気が回らなかった。
自分はどうしてしまったのだろう。永遠とも呼べる程の時を生きて来たが、こんな些細な失敗をするなんて初めてであるし、失敗をする事そのものを考えた事すら無い。
いや、とレンは思考を否定する。考える機会が無かったと言う方が正しい。今までは何を考える事も無く、ただ単調に、機械的に、与えられた役目を作業として果たして来ただけだ。無表情、無感情で執行者と共に淡々と仕事をこなすその様は、まさに人間が想像する『死神』そのものだっただろう。
頭に浮かんだ思考に急に背筋が逆立つような感覚を覚え、手が震えだした。
まさか、リンからそんな風に見られているのだろうか。友達とは言ってくれたが、自分は死神でリンは人間。その事実は世界が終わりを迎えても変わる事が無い。
自分をどう見ているのか聞いても良いのだろうか、だけど、リンがもしも肯定したら?その通りだと答えられたらどうすれば良い?
温度による暑さ寒さを感じる事は無いのに、レンは自分の体が冷えていくような気がした。胸の奥がざわめくような、自分の知らない何かが暴れているかのような感じもする。
怖い。そんな気持ちを持った事は無いのに、今の感情は恐怖である事が何故か理解出来た。
「どうしたの? 寒いの?」
リンの声が聞こえたが、曖昧に口を開け閉めするばかりで言葉を返す事が出来ない。何と答えれば良いのか混乱する中、脇に下がったままの右手が不意に何かに包まれる感触がした。
「これで少しは温かくなるかな?」
視線を向けて確認すると、リンが両手でレンの手を握っていた。柔らかい手が自身の手を包んでくれているのを認識すると同時に、レンは先程までの恐怖が少しずつ治まっていくのを自覚する。
何て馬鹿な事を考えてしまったのだろう。リンが自分の事を『死神』としてしか見ていなかったら、こんな優しい態度を自然にとれる訳が無い。
混乱している理由は多分、人間のような感情を持った事に驚いているからだ。
「リン。しばらく手を繋いでいても構いませんか?」
右手に伝わる感覚は、きっと温かいと呼ぶ物なのだろう。恐怖を静めてくれたリンの手を離したくなかった。
リンは一瞬だけ驚いた表情を浮かべた後、両手を離さないまま、微かに笑みを浮かべて頷いた。
「私も、レンの手を握っていたい」
レンの手の震えは、止まっていた。
「本当に賑やかだね……。市場っていつもこんな感じなの?」
いくつもの店が並び、買い物や道を歩く人で生まれる喧騒を聞き、リンは首を左右に動かし、辺りを見渡しながらレンに尋ねる。左手はレンの右手と繋いだままだ。
レンはそうですねと返し、天気が悪い日は若干人の出が悪くなるが、それでも市場が賑やかなのは変わる事が無いと話す。
「何か特別な日……、祭りや記念日などですね。そんな日は今よりもさらに人が増えますよ」
リンは再び辺りを見渡して、嘘でしょと呟く。こんなに多くの人が集まっているだけでも驚きなのに、もっと多くなるなんて信じられない。
「どこからこんなに人が出てくるのかしらね……」
人込みとは良く言ったものだと感心する。もしかしたら、この世界に住む全ての人が市場に集まっているのではないかと錯覚してしまう。そう思ってしまうのは、ほとんど家の外に出た事が無いせいもあるのだろう。
ずっとこの地に住んでいるのに何も知らないとリンは痛感する。この街を管理する伯爵家に生まれたと言うのに、他の人がどうやって生活をしているのかを実際に見る機会も無かった。
レンと繋いだ手に少し力を入れる。もし逸れたら、道を良く知らない自分一人では帰る事は出来ないし、寒さもあって心細い。何よりレンと離れたくない。
「もう少し寄っても構いませんよ」
そうした方がきっと温かいでしょうと言うレンの言葉に甘えて、リンは手を繋いだまま体をほぼ密着させるようにレンの隣に立つと、少し高い位置にあるレンの顔が近くなった。
まるで宝石のように澄み切った、翠かかった深い蒼の瞳。それを見たリンは不意に口を開く。
「レンの目、綺麗だね」
本当に彼は人では無いのだろうかと思う。姿を消したりする能力を見てしまえば人間で無い事を信じざるを得ないが、リンはレンと接していく内に浮かんできた疑問があった。
それは、死神でも人間の心を持つ事は出来るのではないか。人間として付き合う事が出来るのではないかと言う可能性。
もしそれが神として許されない事であったとしても、自分の命が終わるまでは許して欲しい。レンがどう考えているかは分からないけど、短い間だけでも良いから、人の心がどんなものなのかをレンに知っていて欲しい。
「リンの目の方が綺麗ですが……」
レンは何故そんな事を言われたのか本気で分からない様子で首を傾げていた。褒め返されるとは全く思っていなかったリンは、褒められた事への恥ずかしさと、自分の言葉を受け入れてくれなかったレンへのちょっとした苛立ちから声を荒げた。
「あーもう! こんな時は素直に『ありがとう』って言えば良いの! 分かった!?」
一息で言い切ってレンから顔を逸らす。慌てたような声が聞こえた気がしたが、それを聞こえない事にして、レンの手を引いて歩き出す。
「ほら、早く行こうよ。時間が無くなっちゃう」
赤くなった顔をレンに顔を向けないまま、リンはぽつりと言った。
「……ありがと」
今まで可愛いと言われた事はあったが、綺麗だなんて言われたのは初めてだった。
体が弱い割には、随分と元気だな。
手を繋ぎ、リンと歩幅を会わせて街を歩くレンは、初めて会った時と同じ感想を再び持った。彼女が病弱である事は聞いているし、会話をしている時に咳き込んだ事が何度かある。しかし、昨日から今日この時にかけては顔色も良いし、ほとんど休む事も無く市場を歩き周っている。
大丈夫だろうか。人間は動き周っていると疲れて来るはずだ。慣れない環境であれば尚、その影響は出てくるだろう。疲労と言う感覚は分からないが、リンの体に大きな負担をかけると危険な気がする。
少々休憩を取るだけでも大分違うだろう。歩く速さをほんの少しだけ落とし、レンは歩きながらリンに提案する。
「どこかで一休みしましょうか?」
「え……、もうこんな時間!?」
レンの呼びかけで街頭の時計を確認したリンは驚きの声を上げる。しかしまだ門限の時刻まで余裕があると分かると、そうだねと返して辺りを見渡し、とある方向を指差した。
「あそこなら良いんじゃないかな」
リンが指差した場所に目を向けると、外に並べられた数組のテーブルと椅子、その後ろに建つ建物が見えた。おそらくは軽食などを提供する店だろうとレンは判断し、案内するようにリンの前に立って歩き出す。しばらくすると急に手を引っ張られたような感覚がして、レンは思わず足を止めて振り返る。
後ろを歩いていたリンが立ち止まり、ガラス張りに手を当て何かを食い入るように見ていた。レンがいる位置からはガラス張りの中は見えず、リンが何に意識を向けているのかは分からない。
「リン?」
呼びかけにリンははっと顔を上げ、怪訝な表情をしているレンに気が付いた。
「あ、ごめん。行こう」
一言謝り、リンは足を進める。どうしたのかとは思ったが深く触れず、レンはそのまま手を引き、休憩する為に二人で店に向かって行った。
黒の死神と人間の少女のお話 4
ここぞとばかりにイチャついてるなこの二人。
死神レンが人間の感情その他を良く分かってないから書きにくい……。
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