第三章 03
王宮のバルコニーで、国王が焔姫の凱旋を待っている。
国王の隣にいるべき妃はいない。男が聞いた話では、焔姫を生んだ時に亡くなったという。
焔姫には死産したという兄以外に兄弟はいない。国王は焔姫の母が亡くなって以降、新たに妃を迎える事をしなかった。
焔姫の血族は国王以外には、国王の姉が遠くに嫁いでいるのみだという。国王は兄弟が多かったそうだが、嫁いでいった姉以外は皆、若いうちに戦や病で命を落としていた。
バルコニーの中央から離れた隅の方で立つ男には、国王の表情はうかがえない。しかし、民の前であれば国王はしかるべき態度をとっているだけだろう。
街の正門から王宮までの大通りは、勝利とともに帰還する焔姫を一目見ようという民で溢れかえっていた。男は伝令の任を帯びていた近衛兵たちと先に帰ってきていたが、その伝令の報告はすでに街中に知れ渡っているのだ。
物見塔からの報告ではもうまもなくだ。そんな風に男が考えていると、街の正門で歓声が上がる。焔姫たちが到着したのだ。
正門にいる民の歓喜と熱狂は、大通りに押し寄せている人々にあっという間に伝播し、街全体が揺れているように感じられるほどの歓声に包まれた。
焔姫は手を上げて民の歓声に応えながら、王宮までの大通りをゆっくりと進む。
華々しい勝利。
限界の見えない焔姫の強さ。
それに熱狂する民と王宮の人々。
その中で、男は少しだけむなしい気持ちになる。
いくら勝ったとはいえ、その陰には三割から四割……四百人近くの失われた命がある。その半数近くが傭兵だったそうだが、それでもこの熱狂する民に隠れ、夫や息子を失った家族が大勢いるのだ。
男には、この熱狂と祝福が、そんな人々の気持ちをかき消してしまっているような、ないがしろにしてしまっているような気がした。
自らが戦った事が無いゆえの傲慢な考えかもしれないとも思うが、それでも男はその考えを捨て去る事が出来なかった。
焔姫が王宮前の広場までやってきて、歩みを止める。
騎馬から降りると、膝をついて国王に頭を下げる。後ろに続く兵士たちも焔姫にならって膝をつく。
「ただ今、戦より戻りました」
焔姫の凛と響く声に、国王がうなずく。
「戦果を聞こう」
「敵軍二千余を前に、勝利してまいりました」
遅滞なく答える焔姫の言葉に、周囲から改めておお、と感嘆が上がる。
「我が軍の被害は?」
一瞬だけ、焔姫は答えるのをためらった。その一瞬の間に気づいたのは、王の他にはおそらく男だけだっただろう。
「三百十二の死者と、七十四の負傷者にございます」
今度はさすがに、民も静まり返る。先ほどまでは歓声に隠れて聞こえなかった、嗚咽やすすり泣きが聞こえてくる。
「今のお前であれば、被害は半数に抑えられたはずだ」
不利な状況でつかんだ勝利に対し、国王の言葉は厳しかった。焔姫も、言葉を発する事が出来ない。
「精進せよ」
「――は」
焔姫の返事に、国王はうなずいて王宮の中へと入っていってしまう。
しばらく広場の中央で膝をついたまま、焔姫は動かなかった。その胸中は、遠くから眺めるだけの男に分かるはずもない。
やがてすっと立ち上がると、焔姫は正面を向いたまま剣を引き抜き、地面へと突き立てる。
「この勝利に殉じた仲間を、余は決して忘れぬ」
その言葉は決意に満ちていたが、いつもの声音とはほんの少しだけ違った。それは、男にしか分からない程度のささいな違いだったからか、気にする者は男の他にはいないようだった。
「彼らは皆、ここにおる皆と同じく余の家族であった。夫を、父を、子を、兄を、弟を失った者達よ、余は彼らの死を決して無駄にはせんと誓おう」
焔姫は王宮の方を向いたままだ。
バルコニーにいる男にはその表情をうかがえたが、その顔に刻まれているのは決然とした覚悟に他ならない。
「明日、鎮魂の儀を執り行う。彼らがいたからこその勝利、ゆめゆめ忘れるでない」
しかし、なぜだろう。
男には、焔姫の声音が父親に怒られて泣きそうになるのを必死にこらえている女の子のようだと、そう思えてならなかった。
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