「カイト先生」は、電話で本部に連絡していた。「ファーストコンタクトに失敗した。思ったより、能力がのびているらしい」
電話の向こうでは、同僚の研究員が「引き続き、捜索を頼む」とだけ告げた。
承知の旨を告げて、カイトは電話を切った。
昨日見た、ミクの様子を思い出す。サマーセーターとタンクトップ、ゆったりしたロングスカートを履いて、足元にはサンダル。
髪を染めているらしく、夜の闇の中では彼女の長い髪は灰色に見えた。
大きなバッグを肩にかけていた。コンビニから出てきた様子からして、あの店の近くに住んでいるはずだ。
カイトにとって、ミクは優秀な「生徒」だった。自分の能力をのばすことに積極的で、改良手術も恐れない。
「観る」力だけではなく、言葉の中にエネルギーを吹き込む方法を知っており、幼い頃の彼女の歌を聴くと、自分の心まで清らかになる気がしたものだ。
だが、その現象は、子供達には「恐ろしいもの」であったらしい。
研究員達の「策謀」の心の中に、清らかなエネルギーが吹き込む。大人の心に巣くった邪気が、埃のように舞い上がる。丁度、換気も出来ない部屋の中で、扇風機を強くしたのと同じだ。
神経質な生徒の中には、邪気にあてられて熱を出す子供もいた。
よく、同僚のメイコに保健室に連れられて行っていた子供がいた。目立つ明るい金色の髪と、青い目の少年。彼の姉にあたる少女が、いつも心配そうに弟を見送っていた。彼等は双子だったっけ。
ミクが失踪したのと同時期に、彼等も施設から姿を消した。
研究員達は、その事についてひどく怯えていた。自分達が人道的でなかったことに対してではなく、彼等が、その能力で自分達に復讐を行なうのではないか…と言う浅はかな疑念の下に。
どいつもこいつも、保身ばっかりだ。カイトはそう思ったが、ミクを探すことは諦めていなかった。
カイトは、ミクが失踪したとき、当然の結果だと思った。「伸びしろ」を無くした者は、即座に力を失わせ、研究の成果とデータだけを保存する。
もし、あのままミクが施設に留まっていたら、彼女はあの綺麗な両眼を抉り取られ、全盲者として、一般の施設に送られることになって居たのだ。
カイトはその事態だけは避けようと奔走していたが、彼の権限では、「逃亡したミクの捜索を自分に一任してもらうこと」しかできなかった。
研究所がその気になれば、人海戦術であろうとなんであろうと、死に物狂いでミクの所在を突き止めることもできた。それだけは避けたかった。
カイトは、出来ればミクには逃げのびてほしかった。昨日、ようやく会えた彼女に、思わず声をかけた時、ミクにはカイトの心の中の小さな「悪意」が分かったのだろう。
「力」を防ぐサングラスをしている人間の心でも、読めるようになっている。それも、葛藤や欺瞞など、本人も気づかないように隠している心が。
僕の心は、ミクにはどのように「聞こえた」のだろう。カイトはそんなことを考えながら、思い出した。
引きつった表情、涙を浮かべるまでもなく恐怖に歪んだ目、カイトの手をはねのけた時の、汚いものに触れられたかのような嫌悪。
自分の中に、16歳の少女が全力で嫌悪する「悪意」がある。想像するだけでも、カイトは自分を殺してやりたい気分になった。
確かに、こんな思いを「普通」の人間が抱かされたら、怯えることもあるのかも知れない。だからと言って、彼等の能力を奪い、当たり前に「世界」を見ることも許さない理由にはならない。
同僚の研究員には、即座にミクを捕まえなかった理由を、「施設で育った『生徒』が、外の世界に適応したらどんな結果が起こるのかを観察したいからだ」と伝えてある。
その言い訳が続けられるうちは、ミクにも自由を与えられる。
そして、一刻も早く、彼女に、危機を知らせる必要がある。
どんなに浅ましい心を見られても構わない、僕には、伝える義務がある。カイトはそう念じながら、夕空を仰いだ。
ミクから、昨日かつての「担任」に姿を見られたと言うことを聞き、家に帰ってきたリンとレンは表情を険しくした。
「何処で?」と、リンが即座に的確な質問をする。
「コンビニから出てきた時…」と、ミク。
「帰り道は見られた?」と、リン。
「ううん。遠回りしたから…たぶん、見られてない」
「すぐ、此処を離れよう」と、レンが言い出した。
「離れるって、何処に行くの?」と、リン。
「もっと施設から遠い所。山の中とか」と、レン。恐らく冷静にパニックになって居る。
「そんなところでどうやって生きて行くの」と、リン。「ミク姉も仕事無くなっちゃうし、食べるものなくなって死んじゃうよ」
「しばらく、私の家に来る?」と、イアが言った。「目くらましくらいにはなるかも」
「でも、見つかったら…イアさんまで巻き込まれちゃう」と、ミク。
「その時は、きっちり裁判に持って行くわ。必要なのは、テープレコーダーとスタンガンくらいかな」と、イアはさっそく武装する気でいる。「それと、私の知ってる弁護士さんに相談しておく」
「弁護士って?」と、リン。
「神威さんって言うんだけど、私が中学生時代からお世話になってるの。ほら、私…見たとおり、アルビノだから。昔は、差別問題とかで騒ぐことがあってね」
「アルビノって、赤い目をしてるんじゃないの?」と、一人冷静なリンは聞く。
「軽度のアルビノは、瞳がバイオレットになる場合もあるの。メラニン色素を作る能力が無くなるほど、虹彩の部分も赤くなるの」と、イア。「それより、みんな、手荷物を纏めて」
イアに指揮をとられながら、3人は大急ぎで荷物をまとめた。
「悪意」に気を配ることに慣れているレンが、先を歩く。リンは後ろを守り、ミクは全体に気を配りながら、なるべく自然に見えるように4人は移動した。
誰もつけてきていないことを確認しつつ、イアの住んでいるマンションに辿り着いた。イアは出入り口の暗証番号を操作盤に打ち込む。
エレベーターで5階まで上り、玄関の装置にカードキーを滑らせる。ロックが解かれ、イアはドアを開けて3人を招き入れた。
人体感知式の明かりが灯る。玄関の扉を閉じると、オートロックがかかった。
自分達が「安全」な状態になった事が分かり、3人は同時に大きなため息をついた。周りに気づかれないように「力」を細かくコントロールするのは、かなり消耗するらしい。
「だいぶ入念な防犯設備だね。外から帰ってくるときはどうしたら良いの?」と、やはり一人冷静なリンが聞く。
「来客の時は、インターフォンを操作してキーを開けるの」
3人は、しばし、イア宅の防犯設備の説明を受けた。
カイトは一度研究施設に戻り、「外の世界に適応したミクに、能力の発達があった」ことを報告していた。
子供達を外部に「卒業」させても、一般の世界に適応することが出来る、外部と接することで、能力をさらに開発することもできる、施設内だけのデータで判断すべきではない、そう訴えていた。
カイトの報告を受け、研究者達がしばし思案顔になると、会議室の外から物々しい騒音が聞こえてきた。
まだ席についていなかったカイトは、廊下に出てみた。メイコが、ハイヒールを脱ぎ捨てて、廊下の角を曲がり、走ってくる。
メイコは、カイトを見つけ、カイトにぶつかるふりをして、その上着の内ポケットに一つのUSBを入れた。
「待て!」「逃げられると思うな!」「出入り口を閉鎖しろ!」と、追っ手の声が響く。
メイコは、玄関まで走るような愚鈍なことはしなかった。手近な窓を押し開け、2階から芝生へ飛び降りる。
着地の時、上手く体重を分散し、脚への衝撃を最小限に抑えると、再び走る。閉ざされようとしている施設の門をすり抜け、メイコは施設の外に逃げ出した。
自宅へ帰ったカイトは、メイコが自分に渡したUSBのデータを、パソコンで参照していた。
画面に、今までメイコが外部に逃がしてきた子供達の記録が表示される。誕生日、瞳の色、髪の色、どんな能力を持っていたか。そして、何処に住んでいるか。
カイトは、その記録の中に、「ミク」の名があることを発見した。住所は、やはりあのコンビニエンスストアの近く。同じ住所に、「リン」と「レン」の名前もあった。
「リン」と「レン」は、誕生日と年齢が一緒で、瞳は青、髪はブロンド。カイトは恐らくミクと同時期に姿を消した双子だと思い当たった。
一気に核心に迫れる情報を手に入れ、カイトは何故メイコが自分にこの情報を託したのかを考えた。
恐らく、彼女も、自分と同じ決意を抱いていたのだ。
この子達を頼んだ、そう言われたような気がして、カイトは気を引き締めた。
イアが仕事から帰ってくると、既にミクは自分の仕事先に出勤した後だった。
こう言う時に、プライバシーを守ってくれる「夜の店」は、心強い。念のため、レンが護衛について行ったそうだ。
「ミク姉は、『力』が通用しない人に対しては、ほとんど無防備だからね」と、リンが言う。「逆を言えば、『力』の通用する人には、ほとんど無敵」
「ミクさんの『力』って、どういうものなの?」と、パジャマに着替えたイアはココアを用意しながらリンに聞く。
「実際ミク姉の『力』を感じてみたことはあるでしょ?」リンも、ゆったりとしたTシャツのワンピースと、短パンに着替えながら言う。「その時、どう思った?」
「そうね…。なんて言うか、すごく深い所に沈み込んだ感じがした。そこから、光が射して、体が浮き上がって…」と、イアは考え込む。「つまり、どういうことなの?」
「ミク姉は、他人の『意識』の、大部分に感化できる能力を持ってる。目を覗き込むだけで、その人の心の中を覗けるって事は、前も説明したよね。
イアさんの心を解放したときは、意識を『深層』まで沈めて、あなたに憑りついていたものと、守っていたものの存在をあなたにも分かるようにしたの。
ミク姉は歌を歌うでしょ? その時も、『力』を使ってる。今は、バーで歌ってるから、たぶん他人を少し陽気にさせるようなエネルギーを送って…」
そこまで言って、リンは何かに気づいたようにイアを見た。
「イアさん。この部屋の電気、消せる?」
「え、ええ。スイッチがあるから…」と言ってイアが部屋の角を見ると、リンがすかさず電灯のスイッチを切った。
「静かにして、何があっても声を出さないで」と、リンが囁く。「テープレコーダーは点けておいて」
しばらくすると、インターフォンの音がした。
そーっと画面を覗くと、人相の悪い男が2名ほど映っている。
イア達が息をひそめていると、もう一度…いや、連続でインターフォンが鳴った。画面の向こうで、男達が何か叫んでいる。
「『居るのは分かってんだぞ』って言ってる」と、リン。唇を読んだらしい。
男達はマンションの出入り口のドアをガンガンと叩き、蹴り、罵りを残して去った。
「イアさん。このマンション、防犯カメラ付いてる?」と、リンは聞く。
「ええ。玄関と、各階に」と、イア。
「明日、弁護士の人に、今のこと話して。警察にも連絡して、防犯カメラ見てもらおう」
二人はそう話し、その夜は再び明かりをつけないまま、眠りに就いた。
翌朝、レンとミクが帰ってくると、レンは頬を紅潮させたまま、むすっとした顔をしていた。何も言わずに洗面台に行き、洗顔料を付けて入念に顔を洗っている。
「なんかあったの?」とリンが聞いても、レンは答えない。
ミクが言うに、ミクの護衛だと言ってバックヤードで待機していたら、バーの接客の女の子達に、「あたしのことも守ってよ?」とか、「こんな弟連れて帰りた~い」とか、散々口説かれていたのだと言う。
リンが、「チューとかされなかっただけ良いじゃん」と言ったら、「されてたよ」とミクは言う。「口をガードしたら、頬っぺたに集中攻撃されてた」
リンとイアは、無言で何度も顔を洗い続けるレンを、哀れそうに見ていた。
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