夢を見た。
わたしがいるのは青白い光で照らされた部屋の中。どこから光が来るのかわからないけれど……。照らされているといっても強い光ではないので、部屋の全体は見えない。
わたしは部屋の壁に近づいてみた。光のせいで青白く染まっているけれど、もとは半透明みたい。半透明だから、向こう側は見えない。さわってみると、ゆるくカーブしていることがわかった。
壁に沿ってしばらく歩いてみたけれど、何もない。カーブしているから、部屋自体が丸い形なのかもしれない。わたしは壁を背にして、真っ直ぐ歩き出した。
しばらく歩くと、向こうに誰かが座っていることに気がついた。誰だろう……わたしはそっちへ行ってみた。
「……ルカ姉さん?」
そこにいたのは、ルカ姉さんだった。座って瞳を閉じている。
「ルカ姉さん、わたしよ、リンよ。ねえ、返事して」
ルカ姉さんは答えてくれない。どうにかして返事をしてもらわないと。わたしはルカ姉さんの肩に手をかけて、揺すってみた。
「ルカ姉さん!」
わたしがそう叫んだ時だった。ルカ姉さんが瞳を開けて、わたしを見た。でも、すぐにその視線はそらされてしまう。
「あなたはここにいないはずなの」
「そんなことない! わたしはここにいる!」
「いてはいけないの。さっさと消えなさい」
「無茶言わないでよ!」
どうしているのにいないなんて言うの!? わたし、そこまで目障りなの?
「わたしはここにいるのよ! ちゃんとわたしを見て!」
「……いてはいけないって、言ってるのに」
そう言うと、ルカ姉さんは不意にわたしの首を絞めた。……苦しい。必死でルカ姉さんの腕を振りほどこうとする。でも、離れてくれない。
「あなたはここにいてはいけないの」
「や……やめて……」
息苦しさで目が覚めた。ぜいぜいと荒い息を吐きながら、周りを見る。白い天井に白い壁……わたしの部屋じゃない。
何度も呼吸を繰り返しているうちに、段々と落ち着いてきた。……そうだ、わたしは昨日、階段から落ちて入院する羽目になったんだ。だから、ここは病院だ。そして、さっきのは夢。……ただの夢のはず。
ううん……やっぱり、気になる。どうしてわたし、ルカ姉さんに首を絞められる夢なんか見たの? 確かにわたし、ルカ姉さんのことは好きじゃない。でも明確に嫌いかと訊かれると、それはそれで言葉に詰まってしまう。わたし、自分の感情をちゃんと認めたくないの? ルカ姉さんのことが嫌いなのに、姉を嫌うなんて妹として問題のある行動だから、嫌いって認められないだけ?
別に……嫌いとまではいかないのよね。確かにルカ姉さんのことはよくわからないけれど、はっきり嫌いとまではいかない気がする。
わたしのルカ姉さんに対する感情はこういう曖昧なものだけれど……ルカ姉さんはわたしが嫌いだ。
「いつもいつもリンばっかり……」
不意に、頭の中にそんな声が甦り、わたしはびくっとなった。ルカ姉さんの声。……思い出した。わたしがどうして階段から落ちたのかを。
ルカ姉さんが、わたしの背中を押したんだ。何故? どうして? いい子のルカ姉さんが、どうしてわたしを押したりしたの?
いつもいつもわたしばっかりって、一体何の話なんだろう? わたし、そんなに特別扱いされていた? お小遣いとか部屋の広さとかは、姉妹みんな一緒だったはずだ。服や学用品のようなものも、必要に応じて買ってもらえていた。わたしだけ極端に高いものを買ってもらったことなんてない。わたしがルカ姉さんやハク姉さんと違うところ……。
姉妹の中で、お菓子が焼けるのはわたしだけだ。わたしがお母さんに頼んで、作り方を教えてもらったから。でもお菓子の作り方なんて、お母さんに一言頼めば喜んで教えてくれる。……お菓子は関係ないわ。
それ意外だと……オペラやバレエが好きなところ? でも、クラシックならそんなにうるさく言われないから、見たいのなら見に行ける。実際、ルカ姉さんは時々、神威さんと一緒にコンサートに出かけているし。……これも関係無さそう。
そもそも、突き落とされる前は何の話をしていたんだっけ? 確か神威さんの話だ。わたしが神威さんに余計なことを言った、そういうことはするなって、ルカ姉さんは言った。「ルカ姉さんを幸せにしてください」と言うのが、余計なことというのはよくわからないのだけど、多分口を出さないでということなのかな。でもわたし、その言葉に異は挟んでいない。
……考えれば考えるほどわからなくなる。ただ一つだけ、はっきりしているのは。
あの時のルカ姉さんの声が、ぞっとするぐらい怖かったということだ。
色々と考えているうちに面会時間になって、お母さんがやってきた。頼んだものを全部持ってきてくれている。
「はい、リン。これで良かったかしら?」
「うん、ありがとう、お母さん」
わたしは携帯を手に取った。……案の定、ミクちゃんからわたしを心配するメールが来ている。わたしはしばらく入院する羽目になったことと、できたらレン君にもそのことを伝えてほしいことをを書いて、返信した。
「メールは、ミクちゃんから?」
「ええ。心配されちゃった」
今は授業中だから、返信はすぐには来ないわよね。わたしは携帯を閉じると、枕元に置いた。
「お母さん。わたしの入院のこと、お父さんとルカ姉さん、何か言ってた?」
お母さんは、困った表情になって視線を伏せた。……もしかして。
「あの……はっきり言ってくれていいから。でも、嘘だけはつかないで。本当のことが聞きたいの」
わたしがそう言うと、お母さんは暗い表情で口を開いた。
「……何も言われてないの」
「何も?」
お父さんはともかく……ルカ姉さんも、何も言ってないの?
「わたしが階段から落ちて、入院してることは知ってるのよね?」
「ええ。リンが階段から落ちた時は、二人とも家にいたし……。でも、特に何も言われてないの。二人とも今朝、普通に食事を食べて会社に行ったわ」
わたしは、喉の奥に氷でもつかえてるみたいな気分になった。わたしを階段から突き落としたのは、ルカ姉さんだ。それなのに……平気なの?
「全然普段と変わりなかったの?」
「……ええ。怪我については説明したわ。お父さんは『後遺症が残らないようなら、それでいい』とだけ……」
「ルカ姉さんは?」
「『そう。大変ね』とは言ったけど……」
何なんだろう、その返答……。まさかとは思うけれど、ルカ姉さん、自分がしたことがわかってないの? ……気分が悪くなってきた。
「リン……顔色が悪いわ。やっぱりこんな話するべきじゃ……」
「平気。大丈夫だから」
全然大丈夫じゃなかったけれど、わたしはとりあえずそう言った。お母さんをこれ以上心配させたくなかったから。
お母さんは、お昼の少し前に帰って行った。実を言うと、もうしばらくいると言われたのだけれど、わたしが「一人で頭を休めたいの」と言って、帰ってもらったのだ。
お母さんが帰ってしまうと、わたしは病院の天井を眺めながら、ルカ姉さんのことを考えた。ルカ姉さんが、わたしを階段から突き落とした。これは確かだ。決して、頭を打って記憶が混濁しているとかじゃない。
ルカ姉さんは、どうしてわたしを階段から落としたんだろう。ルカ姉さんらしくない……わたしのこと、死んでほしいくらい憎んでるってこと? それとも、目障りだからとにかく目の前から消えてほしいってこと? よくわからないけれど、ルカ姉さんにとって、わたしはいない方がいいみたい。
でも、わたしの怪我は、大したことがなかった。こうして入院する羽目になったけれど、数日経てば家に戻る。ルカ姉さんは、それでいいんだろうか? わたしが「ルカ姉さんに階段から突き落とされた」って、他の人に言うことが心配じゃないの?
でも……わたしは確かに階段から突き落とされたけど、「ルカ姉さんがわたしを突き落とした」って言ったら、どうなるんだろう。多分みんな、こう言うわ。「そんなことあるはずがない」って。だってルカ姉さん、間違ったことはしない、いい子だもの。いい子のルカ姉さんが、妹を階段から突き落とすなんて、誰も考えないだろう。むしろわたしの方が、「そんなひどい嘘をついてまで姉を苦しめたいのか」って、言われてしまうんじゃないだろうか。
……息が苦しい。わたしは額を押さえた。どうしてこんなことに、なってしまったんだろう。
その時、携帯が振動する音が聞こえた。携帯を手に取って、開く。ミクちゃんからメールだ。「放課後お見舞いに行ってもいい?」と書いてある。わたしは少し悩んだけど、ミクちゃんの顔を見たかったので、お見舞いに来てほしいという答えと、どこの病院に入院しているかを書いて返信した。
そんなにしないうちに、ミクちゃんからもう一通メールが来た。「リンちゃんのお母さん、傍についてるの?」と書かれている。……ミクちゃん、なんでお母さんのことを訊いたりするんだろう? 考えたけどよくわからない。とりあえず、お母さんは今日はもう帰ったと書いて返信する。「了解。じゃあ、放課後にね」というメールが今度は返って来た。
わたしはため息をつくと、携帯を枕元に置いて天井を眺めた。ミクちゃんがお見舞いに来てくれたら、その時だけはルカ姉さんのことは忘れよう。それくらい……いいよね?
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