無言で差し出された剣。カイトは俺をまっすぐに見て、いつもの穏やかな表情すら浮かべず、剣を持つように促した。
「ちょっと、カイト!」
ミク姉が走ってきて、カイトを止めようとする。だが、カイトはそれすら無視して、ただ俺を見ていた。
「何やってるの、二人とも! まだ、外に出ていいなんて言われてないよ!」
「分かってる。ミクは黙ってて」
普段は騎士たちがいるこの場所も、早朝だからか、とても静かだった。三人しかいない場所。
差し出された剣を、俺は見つめる。カイトの意図は、よく分かった。
俺は、震える右手で、その剣を掴もうとした。
力だけが入って強張った指先が、鞘に触れる。触れるだけなら、出来るのに。掴もうとしても、指はほとんど曲がらなかった。曲がっても、思い通りにならない。握力なんて欠片もなくて、形だけ掴んでも、剣は足元に落ちた。
ミク姉が息を呑んで、落ちた剣を見ていた。
「やっぱりな」
カイトが溜息をついて、落ちた剣を拾い上げる。
軽いものではないけれど、持ち上げるくらいなら子どもだって出来る。
ついこの間まで、軽々と扱えていたはずだった。
「こんなことしなくても、持てないことくらい分かってた……」
最初から諦めていたのに、わざわざ、持ってみろ、だなんて。
そんなことされなくたって、俺はもう、騎士にはなれないって分かってた。
たとえ左手で剣を扱えるようになっても、槍と馬を同時に扱うには、どうしたって両手が必要。
剣を抜くのだって、両手が必要。
わき腹の傷だって、化膿はしなかったけれど、本当の意味で完治するかどうかは分からない。今歩くだけで感じる痛みとは、一生付き合うことになるかもしれない。
元々、器用なだけのか弱い身体だった。技術だけで体格も脆弱さもカバーしようとしていた。その「技術」が完全に失われた今、もう自分には何も残っていない。
「分かってても、俺たちに言おうとしなかっただろ。それはまだ、認めたくなかったって証拠だ」
「カイト! 別にそんな言い方しなくても、」
「いいよミク姉。その通りだから」
ミク姉が俺を庇ってくれようとしたけれど、俺はカイトの言葉を肯定するしかない。
恥ずかしくて言えなかった、なんて、馬鹿みたいだ。騎士として師匠である彼に、バレないはずがないのに。日常生活にすら支障をきたすようなこと、黙っていたって仕方がないのに。
「リンは、気付いてるの?」
ミク姉が、心配そうに訊いてくる。
「……多分」
別に俺が言ったわけではないけれど、確実に気付かれている。
――レンの馬鹿。
昨日の泣き顔が目に浮かんで、俺は瞼を閉じた。
-----
あたしの部屋ももう片付いたらしいけれど、あたしはまだ、メイコ姉の部屋にいる。今日はルカ姉も来ていて、三人でお菓子を食べながら雑談をしていた。珍しく、ミク姉はいない。
「カイトがたまに様子見てたらしいんだけど、気付いたらいなかったって。使い物になんない男ね、本当」
呆れたようなメイコ姉の台詞に、あたしは目を見開く。
あたしを襲い、レンを刺したあの男たち。誰かが、あの二人を逃がしたらしい。第一王子を殺しかけたというのに、何のお咎めもなく。
「どうせお母様の指図でしょ」
お菓子を口に運びながら、ルカ姉は溜息をついた。
もう、諦めているらしい。
弟のことなのに、なんでそんな他人事みたいなの、と叫びたくなる。ルカ姉のことは好きだし、ルカ姉がこの争いを望んでいないのも知っているけれど、当事者なのに自覚がなさすぎる。
仮にも母親が黒幕なのだから、説得くらいしてくれたっていいのではないだろうか。
もちろん、それをすればさらに事態は悪化するだけなのだけれど、でも、それにしたって。
「リン」
メイコ姉が、真面目な顔であたしを見つめる。
「王宮を出れば安全なんじゃないか、なんて思わないでね。今、あの騎士たちがどこにいるのかも分からないんだから」
あたしは、その忠告にかっとして、立ち上がった。
「じゃあどこなら安全なの!」
あたしの叫び声に、メイコ姉もルカ姉も、答えない。長い沈黙だった。
ただ弟が大切なだけなのに、それすら世界は許してくれないのだという。そんなのってあるだろうか。
「……私の方が、不利だから」
沈黙の後に、ぽつりと、ルカ姉は呟く。
「リンは多分、勘違いしてるわ。圧倒的に、私の方が不利なの。レンを次期国王に推す声の方が、王宮の中でも外でも、ずっと大きい」
だってそうでしょう、と、ルカ姉は、この王朝の誕生の話をし始めた。
そもそも、前の王朝が滅んだのは、三人の王子が、誰も男子に恵まれずに死んだためであった。兄から弟へと玉座が引き継がれ、けれど結局直系の男子が生まれず、さらに下の弟に引き継がれる。
そして、その弟も死んだ時、論争が起こった。
妹に引き継ぐか、それとも近い親戚へ――あたしの先祖へ、引き継ぐか。
女王の誕生を認めなかったがゆえに、今の王朝が始まった。なのに、今の国王は、男子がいるのにもかかわらず、女王を生もうとしている。
そんなこと、誰も認めるはずがない。
「じゃあ、なんで」
「だからこそよ。私が王になるには、どうしてもレンが邪魔なの。レンが王になるには、私がいてもいなくてもどっちでもいいの。私の方が不利だから、お母様は汚い手ばかり使おうとする」
そして、お父様はそれを黙認している。自分の妻をとめようとも、自分の息子を庇おうともせずに。
もう、お父様は、ミク姉以外の家族とは会おうとしない。国王としてのお父様がどうなのかは知らないけれど、父親としては最低だった。
「レンにとって、安全な場所なんてないかもしれない。でも、レンの方が、支援者は多いのよ。それを頼れば、もしかしたら」
生きられるかもしれない、と。
「じゃあなんで、それをレンに言わないの?」
あたしは、怪訝に思って、そう問う。ルカ姉は、あたしの方を見ることなく、答えた。
「支援者を頼るっていうことは、その人の良いなりになって、国を継ぐためにお父様に逆らうっていうことよ」
それを、彼は望むかしら。
あたしは、何も答えられない。黙っていたメイコ姉も、追い打ちをかけるように呟いた。
「お父様は、あんたを人質にするかもね」
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