イリヤは伯爵の説明の後、部屋を出た。出るとすぐ隣にシャルルが立っていた。
「今日は疲れを癒して、英気を養えとのことでしたね」
先程までの会話が外にまで聞こえていたのだろう。
そう、伯爵曰く、今日は屋敷まで歩いて疲れているだろうから、湯船にでも浸かってゆっくり休みなさいとのことであった。
「あぁ、そうだな」
「まずは衣装部屋まで案内します」
そうして、二人は衣装部屋へと向かった。
部屋の中は同じ服がレーンごとにずらりと並べられていた。
その中に、イリヤが着ているジャージ一式もいくつか吊るされている。
シャルルはそこまで歩くと、立ち止まり言った。
「ここでは、基本的にこの服を着用してもらいます」
イリヤは首を傾げて、疑問を口にした。
「なんで俺の服がここにあるんだ」
シャルルは平然と答える。
「伯爵様に命じられて、私が作っておいたのです。あなたが来る前のことですね」
「ふーん、でも他の服着てもいいんじゃないか、別に困ることもないよな」
シャルルはすぐさま答えた。
「いえ、服装にはアイデンティティが宿るらしく、同じ服装を着ることには大きな意義があるみたいなのです」
「らしく?」
イリヤはまた首を傾げた。
「えぇ、伯爵様がそう仰っていました」
イリヤは納得した風に言った。
「なるほどな、そういうもんか」
異世界は少し現実世界とは様相が異なるようだった。
少し違和感があるが、イリヤは普段似たような服ばかり着ていたため、別段気にすることでもなかった。
「それでは、次は浴場まで案内しますね」
そして、シャルルは歩き出した。イリヤは後を追いかけるようについていった。
浴場まで着くと、シャルルは言った。
「ここで私は待機しております。声を掛けてもらえれば寝室まで案内しますので」
そう言って、先程まで持っていた予備の服をイリヤに渡すと、シャルルは浴場付近の壁際に身を寄せ、浴場とは反対に目を向けた。
「あぁ、わかった」
イリヤは浴場の中へと向かった。そこは無駄に広かった。
一人で入るには豪華過ぎるなと思いつつも、得も言われぬ開放感に浸っていた。
湯船に浸かると、異世界に来てからの出来事を整理していた。

死んだと思ったらいきなり知らない世界に来ていたこと。
シャルルという少女に出会ったこと。 屋敷で、異世界に来た理由、自殺者の更生について伯爵から説明されたこと。
様々なことに思いを巡らしていた。
そうすると自然と時間が経っていたようで、少しのぼせてきた。
イリヤはゆっくりと立ち上がり、浴槽から出た。

着替え終わったイリヤは、シャルルに軽く謝った。
「すまん、待たせちまった」
「別に気にすることではないですよ」
至って冷静にシャルルは答える。そして、言った。
「寝室まで案内しますね」
「あぁ」
寝室までたどり着くと、シャルルは言った。
「ここが寝室になります」
続けて言う。
「では、私はこれで」
イリヤは足早に去っていくシャルルを呼び止めるように言った。
「ありがとな。ここまで案内してくれて」
シャルルは振り返って言った。
「いえ、仕事ですから」
そう言って、再び歩き出した。
シャルルの後ろ姿を眺めながらイリヤは複雑な胸の内を感じていた。
気を取り直して、寝室に入ったイリヤは、すぐさまベットに腰掛けた。軽く身体を柔軟して、横になる。
すると、疲れていたのかすぐに眠気に襲われて眠りに落ちた。

「お客様、お客様」
なんだか聞き慣れた声が聞こえ、イリヤは目が覚めた。
「シャルルか、もう朝か」
「えぇ、朝食の時間です」
「そっか」
寝ぼけた眼をこすりながら、イリヤは身体を起こした。
軽く身支度をしてから、シャルルに連れられて指定の場所へ向かった。
眠気から若干開放されたイリヤは、今から全員と顔を合わせることになるのかと、少し緊張してきた。
不安を打ち消すようにシャルルに尋ねてみる。
「他にどんな人がいるんだ」
「会えばわかります」
軽く流された。逆にますます緊張してきたイリヤは、深いため息をつきながら歩いていった。
「着きました」
そう言うと、四角く、横に長い食卓が見えた。
白いシーツが敷かれ、清潔感を漂わせている。その上にはステーキやスープなど、豪華な食事が並んでいた。
席は全部で七つある。
既に奥の席には伯爵が座っている。ククリとココリの姿も見える。
二人はナイフとフォークを両手に持ち、それらを上下させてテーブルを叩いていた。
伯爵にそれを注意されてしょんぼりしている二人を横目に、イリヤはシャルルに尋ねた。
「どこに座ればいいんだ」
シャルルは答える。
「どこでも構わないと思います」
とりあえず、イリヤはココリの隣の席に腰掛けた。するとココリが無邪気に挨拶をしてきた。
「あっ、お兄ちゃん。おはよう」
ククリもそれに習って言う。
「おはよう、お兄ちゃん」
イリヤもそれらに答える。
「あぁ、おはよう」
続けて伯爵がイリヤに向かって言った。
「おはよう、イリヤ君。昨日はぐっすり眠れたかい」
「えーと、まぁおかげさまでぐっすりと」
伯爵はそれを聞いて愉快そうに笑って言った。
「そうかそうか。それは良かった」
その時、足音がいくつか聞こえてきた。
「おっと、そろそろかな」
伯爵がそう言うと、やんちゃそうな子供がまず先にやってきた。
オレンジの髪にベージュのパーカー、下は黄色のストライプの柄が入った黒のズボンを履いている。
「やっほー。今日の朝食はなんだか豪勢だなー」
そう言いながら席にぽんと腰掛けた。続いて柄の悪そうな赤髪の男が入ってきた。
紫の革ジャンに青いダメージジーンズを身につけている。
「あー、眠ぃ、だりぃー」
気怠そうに頭を掻いている赤髪の男は無造作に席に座った。
最後に整った美しい緑の長い髪の女性が、中へと入ってきた。
白いシャツの上に、深い緑の柔らかな布地を羽織り、下は吸い込まれそうな青いスカートを纏っていた。
不思議と謎めいた印象を与えている彼女はゆっくりと席に座った。
伯爵はそれを見て皆に向けて言った。
「みんな揃ったようだね。では早速自己紹介をしようか」
続けて言う。
「こちらはイリヤ君、客人だ。みんな仲良くしてやっておくれ」
先に大人びた女性が名乗った。
「私はミライという。これからよろしく頼む」
イリヤは軽く会釈をした。
次に少年が口を開いた。
「俺はコウ。よろしくな」
「あぁ、よろしく」
イリヤは答える。
「はぁ〜あ」
突然、大きなため息が聞こえてきた。
自分の番であることを察しているにも関わらず、赤髪の男はだるそうにあらぬ方向に目を向け、名前を名乗ろうとしない。
場が凍りつく気配がした刹那、ミライが言った。
「自己紹介すらしないのは感心しないな、カイ」
するとさっきとは打って変わって態度を変えた。
「ミライ姉。ミライ姉がそういうんだったら仕方ねぇな」
そう言うといきなり席から立ち上がり、軽くテーブルを叩いて睨みつけるように言った。
「俺はカイ。仲良くやろうや。」
そしてゆっくりと席に腰を下ろした。
「自己紹介も済んだことだし、皆で朝食を頂こうかね」
伯爵は言った。皆でという言葉にイリヤは違和感を覚えたが、そんなイリヤを他所に各々食事を始めた。
イリヤはしばらく食事に手をつけなかった。
それに気づいた伯爵がイリヤに向かって言った。
「どうして、食べないのかね。お気に召さなかったのかな」
イリヤはそれを否定しながら答えた。
「いや、そんなことはないんだが、シャルルも一緒に食べないのかなと思って」
さらに付け加えて言う。
「同じ屋敷に住んでるからには、みんな家族みたいなもんだろ。それなのにどうしてシャルルは食事に参加しないんだ」
それを聞いたカイが横から口を出してきた。
「そんなのどうだっていいだろうが、テメェは黙って出された飯だけ食ってればいいんだよ」
イリヤも負けじと言い返す。
「なんでだよ。シャルルだって一緒に飯を食べる権利くらいあるはずだろ」
その瞬間、確かにその場が凍りついた、かのように見えた。
しかし、誰も気に留めてはいなかった。
コウはひたすら朝食を食べ続けている。
ミライは顔に手を添えて、何やら微笑を浮かべて、二人のやり取りを眺めていた。
ククリとココリに至ってはナイフとフォークを使って二人で遊んでいる。
こんな状況にあってなお、彼らは関心を寄せてはいなかった。
それがまるで当たり前であるかのように。
伯爵がそんな中、口を開いた。
「すまないが、これが我々の今ある在り方なのだよ。日常風景といえば、わかってくれるかな」
そして、ミライも口を開いた。
「君は優しいな。だが、優しさは時に凶器に変わり得る。我々の日常を切り裂く凶器にね」
そう言うと、グラスに入った氷をかき混ぜる。
カランコロンという音が、ククリとココリの声をバックに鳴り響いた。
もう一度、カイが何か口を開きかけた その時、伯爵は一度、手を叩いた。
すると、場が静まり返った。
そして伯爵が言った。
「ならば、今回は見送るとして。次からはシャルルにも食事に参加してもらおう」
理由はこうである。
「客人に食事の度、不快な思いをさせては申し訳ないからね」
それを聞いたカイは不服そうだったが、何も口出しはしなかった。
しかし、今度はシャルルが口を開いた。
「いえ、そんな、とんでもありません。私はあくまでメイドですので、そのような…」
伯爵は遮るようにこう言った。
「気にすることはないよ、シャルル。君が食事に参加しても何ら問題はない。素直に受け入れ給え。」
渋々、シャルルは頷いた。
「はい、わかりました」
伯爵はシャルルに向かって言った。
「席はイリヤ君の隣でいいかな」
少し考えた後、シャルルは答えた。
「えぇ、それで構いません」
こうして、シャルルは食事に参加することになった。
イリヤは安堵して、動悸した心を落ち着けた。
初めての朝食は、その後、台風の後のように静かに幕を閉じた。

朝食の後、イリヤは自分の部屋に戻っていた。
そして、考えた。
朝食でのあのやり取り、異質感さえ覚えたそれはイリヤを暗くさせた。
本当に俺はここでやっていけるのか。
一抹の不安が重くのしかかる。
思案に耽っていたその時、コンコンとノックの音がした。
そして声が聞こえてきた。
「シャルルです。入ってもいいですか」
「あぁ」
イリヤは答えた。
シャルルは入ってくるとイリヤにすぐさま質問をしてきた。
「なぜ、あの時あんなことを言い出したのですか」
恐らく、朝食での出来事のことであろう。イリヤは思っていたことを口に出す。
「俺はここへ来る前、死のうと思ってた。現実世界の理不尽に耐えられなかったからだ。」
続けて言った。
「お前が食事に参加してなかったことが、その理不尽に重なって見えたんだよ」
シャルルがその言葉に反対して言う。
「私は理不尽であるとは思っていませんでした。それなのに貴方は…」
シャルルの言葉を遮ってイリヤは言う。
「俺の勝手だったかもしれない。でもな、理不尽に対して、理不尽だと思わない奴もいたんだ。それはよく分かる。俺もその一人だったから」
そうだ、俺は理不尽を理不尽だと思わなかった。
だから、足掻けなかった。
あの日、あの時、あの場所で。足掻いていれば何か変わっていたかもしれない。
でも、それができなかった。
そこまで考えてイリヤは言った。
「馬鹿みたいに聞こえるかもしれない。でも、俺は今、そう言う理不尽を目の前にして、見て見ぬ振りなんてできないんだよ」
黙ってイリヤの話に耳を傾けていたシャルルは口を開いた。
「貴方の言っていることはまだ、よく分かりません。でも…」
そしてシャルルはこう言った。
「私のために怒ってくれたことについては、感謝しています。ありがとうございました」
そう言うとシャルルは部屋から出ていった。
その時、少しだけ心のとっかかりが解けた、そんな気がした。

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第四話「波乱の朝食」

途中、大きく改編するかも。感想ください(切実)

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投稿日:2019/05/04 21:24:05

文字数:5,028文字

カテゴリ:小説

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