玄関のドアが閉じた音を聞いて、眠気に閉じかけていた目を開く。ごろんと転がっていた体勢をそのままお見せするわけにはいかないので、さっと上半身を起こすと、丁度彼がリビングにやってくる。
「ただいま。寒かっただろう、体調は崩していないか?」
「おかえりなさい。大丈夫でしたよ。私は部屋で温まっていましたから」
「それはよかった。そうだよなあ、こんな日はずっと部屋に篭っていられたら最高だよなあ」
「買い出し、任せてしまってごめんなさい」
「俺こそ、大掃除を途中で放り出してごめんな。……寒いし俺もちょっと休憩」
 スーパーの袋を床に置き、私の隣に腰を降ろし、彼はそのままこたつに足を突っ込んだ。
「あー、あったかい。こたつ最高。もう出られない」
「そう言って、先日は電気カーペットに浮気してたじゃないですか」
「俺は全部の暖房機器を愛してる」
「もう、調子のいいことを言って。火力上げちゃいますからね」
「待ってマックスはやめて焦げる焦げる、焦げちゃうから待って!」
 彼が一瞬で飛び退き、その勢いでダイニングのテーブルの脚に腕をぶつけた。これがテレビ番組だったら、スローモーション映像が再生されているところだろう。
 いってえ、と腕をさする彼は、それでも笑っていた。
「大丈夫ですか?」
「いやまあ、ちょっとぶつけただけ。出たついでに、さっき買った具材を冷蔵庫に入れてくるよ」
 袋を片手にキッチンの方へ消えていく紫の後ろ姿。本当に大丈夫だろうか。最近、ほぼ毎日手足をどこかしかにぶつけて怪我をしていると言っていた気がする。初詣に行ったら、彼にお守りをプレゼントすることにしよう。

「はい、あと三分な」
 相変わらずこたつから出られないままでいると、目の前にプラスチックのカップが置かれる。フタが開かないように上からコースターで重石をしたそれは、みんな大好きカップ麺の蕎麦である。
「いつの間に」
「湯が沸くのは早いからなあ」
 今年の年越し蕎麦はカップ麺にしてみたい、という私のリクエストで今年はお手軽にいくことにした。今年はなんだかバタバタしていた気がする。年の瀬くらいゆっくりしたい。
「そういえばこのシリーズ、うどんはよく食べましたけど、蕎麦は初めて食べる気がします」
「お、じゃあ食レポしてもらおうかな」
「急に難易度高くないですか?」
 三分経って、コースターをどかしてフタを剥がす。狭い部屋に二杯分のつゆの匂いが広がり、ぐうとそこまで大きくはないお腹の音が鳴る。別の小袋に入っていた天ぷらを乗せて、割り箸を割って両手を合わせる。割り箸が全くきれいに割れないのは相変わらずだった。きれいに割れる方法があったら誰か教えてほしい。
「あ、最初に麺じゃなくて、具から食べる派なんだ」
「天ぷらとか、しっとりよりはサクサクのまま食べたいんですよ」
「なるほどね」
 息を吹きかけてから少しずつ口に運ぶ。熱い方がおいしい、それはわかっていても猫舌の私はゆっくり食べることしかできない。猫舌は意識して治るものじゃないし、かといってこの冬の最中に冷たいお茶をガンガン飲めるかと言えば答えはノーだ。
「今年はいろいろあったなあ。ガードレールに足を挟んだりしたしなあ」
「それは神威さんだけですよね、絶対。まだ痛いですか?」
「ちょっとね。でも骨に異常がないから大丈夫だよ。
 先日、自転車で買い物に行って、曲がる際に距離感を見誤ってペダルとガードレールの間に足を挟んだらしい。青痣が残ったけど、数日経てばもう見る限りは治った感じがするらしい。骨が大丈夫でも内出血していたら問題なのではないだろうか。

「ルカは今年一年、どうだった?」
「そうですねえ。粉と水を練ったら色が変わるお菓子とか、初めて食べましたけどおいしかったですね」
「それは多分十年以上前に経験することじゃないか?」
「私はチョコをよく食べる子どもでしたので」
「まあ、大人になってから経験した方が面白いものもあるよな」
「そう言う神威さんはどうなんですか?」
「俺か。俺は確か、国民的カップ麺を初めて食べたな」
「それもそれで珍しいですよね」
「カップ麺食べ始めるの、ここ数年だったからなあ。なぜかそのシリーズだけ食べたことがなかったから買ったら、さすが長年愛されてる味、めっちゃうまかったな」
「お互い様ですね」
 他にもいろいろあったはずなのに、真っ先に初めて食べたものの話になるあたりはもう仕方がない。今年は世間的に大変な年で、ネガティブな話題が多かった。明るい話題はそういう感じのものになりやすい。
「来年は、遠くまで出かけられるといいな」
「それまで頑張りましょう。今できることは、こたつでぬくぬく過ごすことです」
「違いない」
 ゴーン、とかすかに除夜の鐘が聞こえる。あと数分で年が変わる。祈るのは、来年もずっと笑顔で、この人の隣にいられること。
 朝になったらお雑煮を作って一緒に食べよう、そう思った瞬間、あ、と思い出したことがあった。
「練るお菓子、買い忘れました」
「それ絶対年末年始に必要じゃないよな」
「お正月に初めて食べるものはそれにしようと思ってたんですが」
「……大人になってからハマると大変なものもあるんだな」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】ゆく年を思う

ワンライお題、「笑顔」「同居」で大晦日の話を書きました。
国民的カップ麺と練るお菓子、今年初めて食べたんですがおいしかったです。
皆様もガードレールにはお気をつけください。

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投稿日:2020/12/31 22:52:08

文字数:2,152文字

カテゴリ:小説

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