17
「久しぶりですな。ミス・カフスザイ」
「……そうですね。ミスター・ウブク。あれから、なにもかもが変わりました」
握手をして席につくなりそう声をかけてきたシェンコア・ウブクに対して、私は穏やかな笑みを浮かべてそう返答する。
あれから。
シェンコア・ウブクと私が前回顔を合わせてから、もう何年も経過している。
一度目は、ニューヨークの国連本部で演説をする直前に、ケイトと首都アラダナの行政府庁舎に行ったときのことだ。セグルム政権時代に副大統領だったシェンコア・ウブクに、たいした話はしていないものの、挨拶をし、握手をしたことは覚えている。
その後、彼は副大統領から大統領になり、私は次席国連大使として、ケイトの帰国後は国連大使として、彼とは何度もやり取りはしていたが、直接会うことはなかった。
私が帰国したときにはもう彼は亡命していたから、その後もやはり会っていない。
会談の場は豪奢な部屋だった。
頭上にはシャンデリア。あでやかな模様が編み込まれている絨毯は、毛足が長くてふかふかしているし、テーブルは艶やかな表面で、テーブルと椅子の足にはとても精緻な彫刻が彫られていて、高価な調度品ばかりのようだ。そういうことが、そういうものにうとい私でもわかる。
そんな室内には、両陣営から三名と、仲介者としてこの国の外相と書記が立ち会っていた。
こちらは私とモーガンとカル。向こうはウブクの他は私の知らない男性たちだ。一人はすごく若く見える。体格がいいから大人のようにも見えるが、もしかしたらカルと変わらないくらいの年齢かもしれない。
室内にはそれだけだが、外には銃器で武装した兵士たちがこの部屋を守っていた。室内への銃器の持ち込みは禁止されている。
「さて、ミス・カフスザイ。君はこの場をなんの場だとお考えかね?」
「それはもちろん、和平の場です。これ以上、ソルコタの地で争いを続けるべきではないと思っています」
「その通りだ。しかし……ソルコタの平穏のためには、国連の罪を精算せねばならん」
「精算……?」
強い口調のウブクに、私はわざと間延びした口調で首をかしげて見せた。
「当然だ! 国連軍は我が民をどれだけ犠牲にしたと思っておる!」
「国連……INTERFSの空爆のことでしょうか。あれは……悲しい出来事でした」
「ミス・カフスザイ。君は国連の代表なのだろう? そうやって被害者のように振る舞うのは感心せんな」
「私は十ヶ月もの間、隣国の難民キャンプでの生活を余儀なくされ……実際のところ、それはまだ解消されていません。空爆から逃げてきた民との対話にも、私は多くの時間を費やしたつもりです。私はINTERFSによる空爆の実情をよく知っています」
実際のところソルコタ国内にいなかった彼は、報道以上のことをほとんど知らないだろう。うかつなことを言えない以上、私の言葉を安易に否定できない。
「私も、あの空爆にはつらく悲しい思いをしました。難民キャンプに逃げてきた国民のほとんどが心に傷を抱え、同じようにつらい経験をしています」
貴方がソルコタの重要なときにいなくなったせいで政府は指揮系統が混乱し、ESSLFに敗北。それが国連のINTERFS投入を決め、早期ESSLF打倒のために彼らは空爆を強行した。
つまり、あの空爆の責任の一端にはウブク自身の責任もあるはずだった。
……彼を怒らせてこの会談を台無しにはさせられないので、指摘をするつもりはないけれど。
「……」
「ミスター・ウブク。私を加害者だと糾弾するおつもりなのですか?」
「……ッ!」
ウブクは怒鳴り散らしそうになって……なんとか言葉を飲み込んだ。
「貴方が大統領として手腕を振るった政府は壊滅しました。ソルコタの復興のためには政府の再建が不可欠です。私は……可能であれば、貴方がたと協力して政府の樹立を行うのが最善だと考えています」
「待ちたまえ。政府の樹立だと?」
「……ええ。なにか問題でも?」
「当然だ。私たちがソルコタ政府そのものなのだぞ」
「統治機構も行政機構も整っておられるのですか? 現状、ソルコタの治安を守っているのはUNTASの警察機構のようですが」
「それこそ、国連が我々からこの国を略取したからではないか! 即刻我々に返還せよとの宣言を国連は無視している!」
「では、ソルコタ全土の治安を守れるとお考えなのですか? 軍事力ではなく、警察機構として、というお話になりますが」
「無論だ。そもそも、警察機構の普及までに軍隊を用いるのはなにも間違っていない」
不正や汚職が横行せず、正しい運用が可能ならですけれどね。
……なんて、逆なですることを言うべきではない。
「なるほど。では法規については……現行のものを残されるという認識で間違いありませんか?」
「まあ……そうだが」
ウブクはひじ掛けを指先でとんとんと叩く。
「しかし、先の戦渦でその文面のほとんどが失われています。どちらにせよ多くは新たに策定し直しになるものと思われますが」
「もちろん、必要なものは都度書き加えて行く形になるだろうな」
「では――」
「ミス・カフスザイ」
「どうかされましたか、ミスター・ウブク?」
彼がイライラしていることになどまったく気づいていない態度を装って、私は笑みを崩さずに首をかしげる。
「なぜそこまで根掘り葉掘り聞かれなければならんのだ?」
「そこまでおかしなことでしょうか」
「当然だ。私は品定めされなければならない立場なのかね? ミス・カフスザイはシェンコア・ウブクを上から目線で品評できる立場だとお思いのようだがね」
……これは、私のミスだ。
うかつな態度をとりすぎた。
「決してそのようなことは」
「そうかね? 自分は国連ではないと言い、会談相手には上から目線で……このあとは私のことを笑いながら誰と会食する予定なのかね?」
「それは大きな誤解です」
ウブクはイライラを隠そうともせず、またひじ掛けを指先で叩いた。
「私は国連ソルコタ暫定行政機構、UNTASより、ソルコタの自治政府樹立に向けて尽力してほしい、との要請を受けました。それに応え、主権国家の設立に向けて法規の整備や治安維持機構の設立を行おうとしています」
「それがなにかね」
私はウブクのひじ掛けを叩く音が終わる瞬間を見計らい、言葉を続ける。
「ミスター・ウブク率いる組織に行政機構としての十分な能力があるのなら、そのまま貴方に引き継いでも構わないと思っています」
「グミ!」
「モーガン、静かに」
ウブクの片眉が上がる。
私の言っていることが、自ら主張していたこのそのものだと気づいたのだ。
「それはつまり、我々にソルコタを返還する用意がある……と受け取っても良いのかね?」
「もちろん、無条件ではありません。貴方がたに国家運営が可能である、という前提にたっていますし、それ以上のことを私は要求します」
ウブクは視線だけで続きをうながしてきた。
「コダーラとカタのどちらも平等に扱い、片方を優遇しないこと。そして……子どもの権利を守り、教育を与え、子ども兵を根絶することです」
「……はっ、そんなことか」
「その“そんなこと”ができず、この国は崩壊したのです」
笑うウブクに、私は知らず語気を強めてしまっていた。
「いや……すまぬな。そういう意味ではない。私が言いたかったのは、ミス・カフスザイの要求は、我々が当初からなすべきこととして認識していたことなのだ」
「……!」
「当然だろう。私はこの国の大統領なのだぞ。この国が抱えている問題について誰よりもよく理解している。……これまで、有効な手だてが実行できなかったことは認めるがね」
「それは……」
「よかったよ、ミス・カフスザイ。実に有意義な会談となった」
満足そうな表情を浮かべ、ウブクが立ち上がろうとする。
ソルコタの統治権を自分たちに委譲する、という言質を取ったと、引き出すべき言葉を引き出したいまの時点で、退出しようとしているのだ。
――ここで会談を終わらせるわけにはいかない。
「――であれば、残るは貴方がたに国家運営の能力があるかどうかにかかっていますね」
「なに?」
ウブクの浮きかけた腰が止まり、穏やかな笑みが一瞬で硬い表情に変わる。
「ミスター・ウブクと私どもの方向性が一致しているのは、大変素晴らしいことです。まずはUNTASからミスター・ウブクの組織に移行可能な機構のすりあわせを行いましょう。私どもはまだ整っていない領域の機構から整え、順次UNTASから引き継ぐのがよろしいかと。最終的にうまく統合できるよう、緊密な連携をとりましょう」
「……ミス・カフスザイ。我々の要求事項を把握しておられないのかね?」
脅すような、低く暗い声。私はあえて気づかない振りを続ける。笑みはまだ……崩さない。
「UNTASからの早期の統治権委譲だと認識しておりますが、間違っておりますか?」
「それはそうだが――」
「――であれば、これが余計な血を流さずに統治権委譲を完了させる、現状考えうる限り最短の方法だと考えますが」
「国連の排除は、最優先事項だ。国連の即時撤退が行われないなら、強行手段に出ざるをえんのだぞ」
「では、お聞かせ願えますか?」
ウブクの鋭い視線をいなし、私は続ける。
「仮にUNTASが即時撤退したとして、無法地帯と成り下がるソルコタの大地をどうやって正常化させるのですか?」
「それは無論――」
「――念のため言っておきますが、理想論を尋ねているのではありません。貴方がたの組織が実現可能な方法を教えてください。それが武力による制圧であるなら……」
そこでようやく、私はそれまで浮かべていた穏やかな笑みを消し、すっと目を細めてウブクの顔を直視する。
彼は怯えたように、ひゅっ、と音をたてて息をのんだ。
「私も、私自身の矜持を賭けなければなりません」
「……」
「どのような意味かは……おわかりですね?」
わずかに口角をあげる。
危うい賭けだ。……が、ウブクは“グミ・カフスザイが絶対に戦争をしない”と思っているからこれほど強弁な態度をとっている。
それは実際のところ事実だが、私のいまの態度で、彼には“グミ・カフスザイは元子ども兵である”という点が、私は簡単に人を殺せる人物だということが頭にちらついているはずだ。
……不快だが、それさえも利用しなければここを乗り越えられない。
「……」
「……」
痛みさえ感じそうなほどの、張りつめた沈黙。
その沈黙を破ったのは、ウブクの揺れる声だった。
「……し、しかし、国民感情は勘案すべきだ。政府の再建についてはその通りかもしれんが……国連の排除は多くの国民の願いだ。避けては通れん」
それは国民の願いではない。
貴方たちがメディア戦略で人々を煽った結果だ。
「しかし、国連を排除してどうなります?」
「なんだと?」
「貴方が私どもと決別し、ソルコタ全土を支配して政府を作り国を作り直したとして……周辺国はすべて国連加盟国です。国家成立後も国連を否定し続けるなら、他国との国交正常化も容易ではありません」
「人々の思いを無視せよと言うのか」
「そんなことはありません」
「しかし――」
「否定ではなく、非難に切り替えてはいかがですか?」
「どう違う?」
なにを言っているんだ、という困惑顔のウブクに、私は続ける。
「今回のINTERFSの空爆により和平を手に入れたとはいえ、事実として大きな被害が出ています。そこで国連のあり方を問い、改革を促すのです」
「はっ、君が国連で演説したようにかね?」
「その通りです」
遅滞なく認める私に、ウブクは目を丸くした。
「国連を拒絶するのでは、周りすべてが敵となり孤立します。国連のその場で、国連のやり方自体を非難して国際社会を味方につけるのです。世界に振り回される側ではなく、世界をコントロールする側に回らなければなりません」
「……ふむ」
「そのためには、国連を非難しつつうまく利用するのが得策です」
「……」
私の言葉に、ウブクが考え込む。
さっきまでひじ掛けを叩いていた指先が、顎先に触れていた。
私の案を蹴って三度目の紛争を始めるか、私の案を受け入れて復興を始めるか。シェンコア・ウブクという男の価値観が、前者から後者へと変わりつつある。
「……時間が必要だ」
長考の末、ウブクはそう告げた。
その言葉が言外に私の提案を肯定しているのだと、考えるまでもなくわかった。
「他の者たちを説得する時間がいる」
「構いません。それで戦争を避けられるのなら、安いものです」
私とウブクは視線を交わし、どちらからともなくほほ笑んだ。
「平和とはかくも……困難なものだな」
「そうですね。ですが、ミスター・ウブクが聡明な方で助かりました」
「いや……君には敵わんよ。聞けばハーヴェイ将軍も君には信頼をおいているというのだから大したものだ」
「そんなことは……。私は大したことはしていません。ただ、この国から争いをなくしたいだけです。この国の子どもたちが笑って暮らせる場所を作りたい、その一心でここまでやってきただけで」
「それがいかに難しいか――」
「――子どもたちが笑って暮らせる場所を作りたい? ……へっ、偽善ばかり言いやがって」
突然の怒りを圧し殺したつぶやきが、ようやく訪れた和やかなムードを吹き飛ばした。
声の主は、シェンコア・ウブクの背後にいた若い男――もしかするとまだ少年――だった。
彼はウブクの前に出てきて、おもむろに懐に手を入れる。
「……っ!」
脳内で最大の警報が鳴る。
――が、突然のこと過ぎて、まったく想定していなくて、動くことができなかった。
「――あの子が死んだのは、あんたのせいなんだぞ」
彼は隠し持っていた拳銃を抜き放ち、誰もが硬直している中、ためらいなく私に向けて引き金を引いた。
アイマイ独立宣言 17 ※二次創作
第十七話
前作「イチオシ独立戦争」と今作「アイマイ独立宣言」を書くにあたって、ストーリー展開の参考にしたのは、ゲーム「バイオショック インフィニット」のダウンロードコンテンツである「ベリアル アット シー part1&part2」でした。
……なんてわかりにくい(笑)
ですが、結果としては乾くるみ著「イニシエーション・ラブ」のような構成、といった方が分かりやすい感じに。
また、書いている最中に脳内で流れていたのはLINKIN PARKの楽曲「Hands Held High」でした。初めてこの曲の日本語訳を見たとき、鳥肌が立ちました。
これほど有名なロックバンドが、ここまで強烈な皮肉を込めた反戦の歌が書けるのか、と。
余談ですが、自分の中での最高のゲームシナリオは「バイオショック インフィニット」「Portal 2」「コール オブ デューティ ブラックオプス」の三つです。機会があれば是非。
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