ルカ姉さんがわたしに助けを求める……そんなこと、あるんだろうか? ……あるはずがない。だってルカ姉さんにとってわたしは、いない方がいいんだから。
 でも……鏡音君がかけてくれた言葉の中のわずかな希望に、わたしは縋ってしまった。縋らずにはいられなかった。それは一種の逃避に過ぎないのに、そんなことあるはずないってわかっているのに。
「だからさ……巡音さんはもっと素直になっていいんだよ。楽しいことは楽しいって思おうよ。でないと、肝心な時に動けなくなる。折れた翼が治ったら、どこにでも行きたいところに飛んで行けばいいんだ」
 わからないところもあったけど、わたしはその言葉を信じてみることにした。
「……ありがとう。いつも元気づけたり、話を聞いたりしてくれて」
「これくらい、何でもないよ」
 そう言ってくれたけど……でも、わたしももっと、しっかりしないといけないのよね。いつも頼ってばかりだもの。それに、ルカ姉さんが助けを求めてくるかどうかわからないけど、もしそうなった時のために、心を強く持っておかないと。
「あの……」
 一つ結論が出たところで、わたしはちょっとしたことが気になってしまった。
「どうかした?」
「折れた翼って、どういうこと?」
 鏡音君の言ってくれたことは大体理解できたけど、ここだけがよくわからなかった。折れた翼が治ったらって、どういうことなんだろう。
 翼……といえば、思い浮かぶのはメンデルスゾーンの歌曲だ。夢のように綺麗な美しい情景を描いた作品で、詩はハイネ。でもあの翼は想像上のものだから、折れたりはしなそうだし……。それに鏡音君が、あの歌曲を知っているとは限らないし……。
「あ~、えーと……」
 鏡音君はわたしの前で、困っている。……わたし、まずいことを訊いてしまったんだろうか。
「あ、あの……言いたくないんなら無理に……」
「いやそうじゃないから。ただ単に最近聞いた曲が頭の中に残っていて、そのフレーズが咄嗟に出てきちゃっただけでさ……なんかバカみたいだろ」
 鏡音君は早口にそう言うと、鞄を開けて中から携帯プレーヤーを取り出した。
「これ、姉貴に聞かされた曲なんだけど、俺、ちょっと意味がわからないところがあってさ。そのことを考えていたら、つい出てきちゃったんだよ。何なら巡音さんも聞いてみる?」
 目の前にイヤフォンが差し出された。鏡音君がそんなに考え込んじゃうような曲なの? どういう音楽なんだろう。わたしはそれを受け取って、自分の耳に差した。
 鏡音君が携帯プレーヤーを操作して、曲が始まった。……なんというか、変わった感じの曲だ。わたしは普段クラシックしか聞かせてもらっていないけれど、最近の音楽を全く耳にしないというわけじゃない。日常生活を送っていれば、学校や街の中などで、そういう類の音楽を耳にする機会はある。でも、そういった楽曲とは、ちょっとメロディーラインが違うような気がする。どこがどう、とまでは言えないけれど……。
 歌っているのは女の人だ。低くて力のある声。歌詞は英語。あ……曲のテンポがゆっくりってこともあるけど、歌詞がかなり聞き取りやすい。 "With a broken wings She carries her dreams" か……。あ、終わってしまったわ。
「鏡音君、もう一度再生してもらえる?」
 もう一度聞いてみたかったので、わたしは鏡音君にそう頼んだ。鏡音君が携帯プレーヤーのボタンを押して、また、曲が始まる。集中すれば、もっと聞き取れるだろう。
 集中していたせいか、さっきよりも歌詞が聞き取れた。壊される夢……飛べるのは天使だけ……折れた翼……目は空を見たまま……。
 あ……そういうことなんだ。意味を理解した――といっても、完全にではないけれど――瞬間、胸の奥が何かにつかまれたみたいに苦しくなった。曲調はそういう感じではないけれど、これはとても悲しい曲だ。
「折れた翼で歌い続ける、その瞳は空を見たまま、折れた翼で夢を運ぶ、さあ飛ぶのを見なさい」
 わたしは、特徴的に繰り返される部分の歌詞を呟いた。この歌に出てくる女の人は、一緒に住んでいる人に夢を壊されて、折れた翼で飛ぼうとするんだ。……それがどんなに痛くても。
「よくわかったね……全部英語なのに」
「全部じゃないけど……聞き取れなかった部分もあるし。でもこの曲、かなり聞き取りやすい方だと思うわ」
 特に "Broken wings" から始まる一連の部分は聞き取りやすい。
「悲しい曲なのね。折れた翼で飛ぼうとするなんて」
 この曲に出てくる男の人……なんだか、わたしのお父さんみたい。そう思ったら、なんだかまた胸の奥が苦しくなった。じゃあ……女の人は、わたしのお母さん?
 お父さんとお母さんを思い出させるから、この曲はとても悲しく聞こえるのかな……。お母さんも飛びたいって思ったことがあるんだろうか。
「姉貴はさ、この曲は希望のある曲だって言うんだよ。巡音さん、どう思う?」
 希望……? 希望なのかな? 飛びはするんだから、希望といえば希望なのかもしれないけど……。
「どうして希望なの?」
「最後は逃げ出せるからだって。同じ人の曲で、最後は死んでしまうものもあるんだよ」
 確かにそういう歌詞ではあるけれど……。
「折れた翼で飛んだら、ずっと傷が痛むんじゃないかしら?」
 その傷を抱えて、飛んで行くのよね……。
「治らないと飛べないんじゃない?」
 鏡音君は、そんなことを訊いて来た。普通に考えたらそうなんだろうけど……折れた翼で夢を運ぶのだから……。
「治す暇なんてないと思うの。こういう人と一緒に住んでいたら。いつ破裂するかわからない、そんな爆弾が転がっているのと同じ状態だろうし」
 わたしは、お父さんのことを考えながらそう言った。お父さんの導火線にいつ火がつくかわからないから……わたしはいつも怖い。
 だからこの曲にでてくる女の人は、翼が折れたままで飛ぶんじゃないのかな。届きそうにない空を求めて。それでも飛んで行く。
 わたしは目の前の鏡音君を見た。鏡音君に翼があるとしたら、それこそ、メンデルスゾーンの歌曲に出てくるような翼なんじゃないかな。どこまでも高く舞い上がって飛んで行ける。花が咲き乱れ、光の溢れる夢の国。そこに……。
 一瞬、妙なことを考えそうになってしまい、わたしは慌てて思考を中断した。やだな、頬が熱い。
「巡音さん、どうかした?」
 ……気づかれてしまっていた。ええと……どうしよう。
「な、なんでもないわ……それより鏡音君は、この曲のどの部分がよくわからなかったの?」
 あせったわたしは、そんなことを訊いてしまった。鏡音君が、え? という表情になる。訊いたらまずいことだった?
「わからなかったというか……俺、この曲を聞いていてちょっと怖くなったんだよね」
 怖い? どうして? 悲しい曲だけど、怖くなるような要素はあまり感じない気がする。
「この曲に出てくる奴みたいに、自分が誰かの翼を折ったら嫌だなって……」
 わたしは言われた意味がよくわからなかった。鏡音君は、わたしのお父さんとは全然感じが違う。そんなこと、あるはずがない。
「鏡音君はそんなことしないでしょう?」
 お父さんみたいなことを言う鏡音君って、わたしには想像できない。鏡音君はいつも、わたしの話をしっかり聞いて、きちんとした答えを返してくれた。誰かの翼を折ったりなんて、しないはず。
「巡音さん、そんな無条件に人を信じるもんじゃないよ。詐欺に遭うから」
 わたしもそこまでお人よしじゃない……と、思う。対人関係の経験が少ないから断言はできないけど……。でも、鏡音君は絶対にそんなことしないと思う。どうして鏡音君はそんな風に思っちゃったんだろう? 男女の感じ方の違いというわけでもなさそうだし。
「でも……鏡音君はそんなことしないと思うの。だっていつも、わたしの話をちゃんと聞いて、答えを返してくれたわ」
 お母さんやミクちゃんには話し辛い話でも、鏡音君が相手だと不思議と話すことができた。多分……何かがあるのね。
「あ……うん、ありがとう」
 良かった……伝わったみたい。安堵で張り詰めていた力が緩んで、温かい気持ちが胸の中に広がった。
「あのさ……」
「どうしたの?」
「巡音さんのこと、下の名前で呼んでもいい?」
 鏡音君にそう言われて、わたしは戸惑った。急にどうしたんだろう。
「え……どうして?」
「名字にさん付けて呼ぶのって、堅苦しい感じで嫌なんだよ。俺たち友達なわけだし……」
 そう言われてしまった。ミクちゃん以外で、ここまで仲良くなったのは鏡音君が初めてだから、わたしには今一つ感覚がわからないけれど……鏡音君がそう言うってことは、そうなのかもしれない。
「嫌だって言うんならやめるけど……」
「え……そ、そんなことないわ……」
 驚いたから妙な反応してしまったし、なんだかくすぐったい感じがするけれど、そう呼ばれるのは……わたしはまた下を向いてしまった。
「じゃあ、これからはリンって呼ぶから。あ、俺のこともレンでいいよ」
「えっと……それは……」
 男の子のことを下の名前で呼ぶのは、なんだか慣れない。
「男の子を名前で呼ぶのって、普段しないから……」
「クオは?」
「だって、ミクオ君はミクちゃんの従弟だもの……」
 だから何となく「ミクオ君」と呼んでいる。初音君って呼ぶのも逆に違和感があるし……。
「俺としては、名前で呼んでもらう方が気楽なんだけど」
 ということは、名前で呼んだ方がいいってこと? 
「じゃ、じゃあ……努力、してみるから」
 慣れないから妙な感じがするだけで、きっとそのうち、気にならなくなるわよね。……なんだかものすごく落ち着かない気分だけど、嫌な感じだけはしないから。

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ロミオとシンデレラ 第四十三話【歌の翼に乗せて】後編

 シンデレラというと『グリム童話』だと思っている人が多いですが、世間一般に流通しているイメージはペローの方です。有名なカボチャの馬車もガラスの靴も、ペローの方にだけ登場します。妖精の名付け親もペロー版のみで、グリムの方では変身させてくれるのはシンデレラの亡くなった母親の魂です。

 なお、作中でリンが「鳥に目をつつかれて盲目になる」と言っていますが、これはバージョンによって違いがあり、このくだりがバッサリカットされているものもあります。ま、どちらにせよ、かなりの確率で継母の娘は幸せにはなれないのが特徴です。日本版だとむしろ継母の娘に同情したくなったりするのですが……。

 なお、シンデレラはペローの方がぬるいですが、作中にも書いたとおり、眠り姫だとペローの方がえぐいです。ついでに言うと赤ずきんちゃんも。ペロー版だと食われて終わりだもんなあ……。

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投稿日:2012/01/05 23:47:46

文字数:4,041文字

カテゴリ:小説

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