第一章 05
「おはようございます。貴殿は……もう、お目覚めでしたな」
 翌朝。
 夜明けすぐ、丁寧なノックと共に四十代後半の男性が男の部屋に入ってきた。
 恰幅のいい体型に、人のよさそうな温和な顔。よく見ればその衣服も細かな刺しゅうや装飾品が取り付けられて男性に合わせて揺れている。一見しただけでははっきりとは分からないが、もしかすると焔姫よりも豪奢な衣装なのかもしれなかった。
「……おはようございます」
 男はすでに着替えており、弦楽器の弦を一本ずつ鳴らして調律をしていた。それは、男に習慣づいた吟遊詩人としての朝の日課だった。
 一日は夜明けに始まり日没に終わるのが普通だ。そうしてみると、男性の訪問はさして早い訳ではない。
「……おや、寝心地が悪かったのですかな。顔色があまりよろしくないようですぞ」
 言われてみれば、男はどこか眠そうな表情をしている。
 男はそう言われる事を予期していたのか、調律をやめて男性を見ると苦笑した。
「いえ……何と言いますか、硬い寝台に身体が慣れてしまっているせいか、寝心地がよすぎて逆に違和感がありまして……」
 自らを卑下するような男の言葉にも、男性は蔑む態度など一切とらずにほがらかに笑う。
「はっはっは。楽師殿は謙遜が得意ですな」
「いえ、事実ですよ。私は本来、この王宮に仕えるにはそぐわない身分でしょうから」
「そのような事は気になされなくて構いませんよ。国王もですが、何よりも姫様が身分よりも実力重視なお方ですからな」
 男は苦笑してしまう。
「どうやら……そのようですね。自らにも厳しい方のようです」
「姫様は将軍として、軍を率いていらっしゃいますからな。誰よりも自分に厳しい方ですよ。――あぁ、自己紹介が遅れましたな」
 男性は忘れていた事に申し訳なさそうに手を差し出してくる。
「宰相のサリフです。よろしくおねがいしますぞ」
 サリフと名乗る男性の手を取る。
「カイトと申します。存ぜぬ事ばかりでご迷惑をおかけしてしまうでしょうが、私からもよろしくお願いします」
 宰相は笑う。
「構いませんよ。初めての者全てが通る道です。早めに覚えて下さるに越した事はありませんけれどね」
「承知致しました」
 いい人だな、と男は思った。宰相という事は、サリフは国王の側近だ。それほどの地位にある者が下賤と言われかねない男に対しても丁寧な物腰だという事が、男には信じられなかった。
「それでは早速、王宮内を案内しましょうか。覚えてもらわなければなりませんからな」
「それであれば、昨日姫が――」
「……?」
 男の態度に宰相が首を傾げるので、男は昨日の夜の事を説明した。焔姫が男の部屋を訪れ、王宮内の案内をしてくれた事を。
「そういう事でしたか……」
 話を聞き終え、宰相は手間が省けて助かった、というよりは何故か困ったな、といった様子で苦笑する。
「あの……何か?」
「姫様は……少しばかりアクが強くていらっしゃいますが、どうか嫌いにならないで下さいね」
「いえ、私は特に何も……」
 宰相の歯切れの悪い口調に、男は違和感を覚える。
「何か、あったのですか?」
「いえ、何かあったわけでは……」
「……そうですか。そういえば、以前の宮廷楽師はどうされたのですか?」
 なんとなく宰相の態度がどういう事か感づいた男は、そう尋ねてみる。宰相はやや諦めの表情で降参すると。
「……やはり、気づかないはずがありませんな」
 少しうつむき、宰相は息を吐いた。
「前にいた者は……そうですな。技術はありましたし、愛想も良かった。ただ……何というか、応用の効かない者でしてな」
「……つまり?」
「姫様はよく思いつきで楽師殿に演奏をさせたり歌を歌わせたりしておりました。覚えたものを披露するには向いておりましたが、即興でやるのは苦手だったようで……」
「……耐えかねて逃げ出してしまった、という訳ですか」
 はっきり言葉にする事を避けた宰相の言葉を引き継ぎ、男は告げる。それは単なる予想に過ぎなかったが、宰相の気まずそうな表情を見ればそれが間違いない事など一目瞭然だった。
「それは、何というか……」
 思わず頭上を仰ぐ。
 どうやら私はとんでもない所に来てしまったようですね、などという言葉を、男はかろうじて呑み込んだ。
 焔姫。
 昨日の様子を見れば、焔姫の態度や言動が気分屋で横暴だというのは何となく感じていたが、男もまさか逃げ出す者が出るほどだとは思っていなかった。
 ここでうまくやっていく事が出来るだろうか。
 王宮に入って二日目の朝、男は早速自らの仕事の過酷さについて思い違いしていたのだと思い知らされたのだった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

焔姫 05 ※2次創作

第五話

この第一章の時点で結構色々と伏線が出てきています。
今まで2次創作ではプロットを書かずにやってきましたが、こういう事が出来るのは、プロットを書いているからこそかな、と思います。

今回、また物語の雰囲気に合わせて漢字の使用率や地の文の言い回しも変えているのですが、何よりもまず自分がそれに慣れる事が大変でした(苦笑)
未だに「事」をひらがなにしてしまったり、言い回しの関係で読みにくくなる言葉はひらがなにしたり……整っていないところを見かけたら、苦笑して見逃して下さい。

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投稿日:2015/01/09 23:04:37

文字数:1,931文字

カテゴリ:小説

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