この週のうちに、戯曲に関する作業は全部終わらせることができた。ほっとした半面、淋しいと感じてしまう自分がいる。レン君と一緒に作業をしたことが、とても楽しかったから。もっとこの時間が続いてほしいと、わたしは思ってしまった。……でも、そういうわけにはいかない。きちんと終わらせないと、向こうが次の段階に移れないんだから。
 その一方で、家にいる時間に『RENT』のサウンドトラックも聞いてみたのだけれど、舞台での『RENT』が、『ラ・ボエーム』と同じくライトモティーフを使用していたことに、わたしは驚いた。このミュージカルを作った人は、色々なところまで考えて作品を作りこんでいたんだ。その労力ってどんな感じだったんだろう。わたしには想像もつかない。
 学校でレン君に会って、サウンドトラックを聞いて考えたことを話すと、レン君は喜んで聞いてくれた。そうやって二人で、考えたことを話し合うのも、とても楽しかった。
 そうこうしているうちに、土曜日が来た。……やっぱり、気が重い。できれば行きたくない。
 とはいえ、そういうことを言うわけにもいかない。ハク姉さんはあんな状態だから、わたしはちゃんとしておかないと……お母さんの立場が無くなってしまう。
 そして土曜日の夕方、わたしは自分の部屋で着替えをしていた。神威さんのご家族との食事会なのだから、きちんとした格好をしなくては。クローゼットから白いレースの襟とカフスのついた、濃い青のベルベットのワンピースを取り出す。これにしよう。確か共布のリボンもあったわよね。そろそろ肌寒くなってきたから、軽いコートもいるかな。
 鏡の前で自分の装いを確認していると、なんだかため息が出た。どうせならこういう席じゃなくて、もっとこう、なんていうか……。
「リン、支度はできた?」
 部屋の外からお母さんが声をかけてきた。あ、いけない。もう行かなくちゃ。
「うん、大丈夫」
 わたしはバッグを手に持って、部屋を出た。廊下にはお母さんがいる。
「わたし、変じゃない?」
「大丈夫、可愛いわよ。それじゃ、行きましょう」
 わたしはお母さんと連れ立って階下に下りた。お父さんとルカ姉さんは、もう玄関ホールにいる。お父さんは微妙に不機嫌そうだ。
「リン、遅いぞ」
「……ごめんなさい」
 わたしは、下を向いて、もごもごとそう言った。お父さんの機嫌をあまり悪くさせないようにしないと……。
「とにかく、行くぞ」
 お説教が始まらなかったことにほっとしながら、わたしは家族と一緒に家を出た。


 食事会の行われるレストランで、わたしは初めて神威さんの家族と会った。これは今日初めて知ったのだけれど、神威さんは三人兄弟の真ん中だった。上にヤマトさんというお兄さんがいて、下にリュウト君という小学生の弟がいる。リュウト君だけ、ずいぶん年が離れてるのね。
 食事が始まるとお父さんも上機嫌になり、実によく喋った。神威さんと神威さんのお父さん、それからお兄さんも。わたしは喋らない方が良さそうなので、注意を引かないようにしながら食事をしていた。
「リンちゃんは、高校生だっけ?」
 いきなり、神威さんのお兄さんがそう訊いてきた。わたしは内心ではびくっとしたけれど、つとめてそれを出さないようにする。
「……はい。高校二年生です。榛崎高校に通ってます」
「そうか、じゃあ、十七歳だね」
 正確にはまだ誕生日が来ていないので十六だ。でも、わざわざ指摘するほどのことでもない。黙っていよう。
「俺にはちょっと若すぎるな……かといってリュウトだとさすがに上過ぎるし……」
 こういう時は、どう返事をしたらいいのだろう。わたしは困って、ぼんやりと相手を見ていた。
「ヤマト兄ちゃん、そのじょうだんつまんない」
 不意に、今までずっと黙っていたリュウト君が口を開いた。お兄さんが苦笑する。
「……リュウトは手厳しいなあ」
 リュウト君は、仏頂面でお兄さんを見ている。……機嫌が悪いのかな? わたしがそう思いながらリュウト君を眺めていると、リュウト君がこっちを見た。
「ねえ、お姉ちゃん」
「なに?」
 わたしは末っ子だから、お姉ちゃんなんて呼ばれるのは初めてだ。なんだか新鮮な感じがする。
「お姉ちゃんは、ルカさんの……えーっと……」
「妹よ」
 ルカ姉さんが神威さんと結婚したら、リュウト君はルカ姉さんの義弟になるのよね。あれ? じゃあ、わたしからすると何になるんだろう? よくわからない。
「お姉ちゃんは、ルカさんのことすき?」
 いきなりそんなことを訊かれて、わたしはまた返答に詰まった。えーとえーと、どう答えたら……。
「……返事できないってことは、きらいなの?」
 リュウト君は真面目な顔で、更に訊いてきた。どうしよう……。注意を引きたくはないんだけど、リュウト君を無視するわけにもいかないし……。
「そんなことないわ……姉妹だもの」
 結局、そんな返事をしてしまうわたし。ルカ姉さんのことは嫌いじゃないけど……嫌いじゃないだけ。好きとは言いがたい。ごめんね、ルカ姉さん。
 ……レン君なら、こういう時はどういうのかな。でも、レン君は多分、自分のお姉さんのことは好きよね。
「ぼくね、ガクト兄ちゃんのことすきだよ」
 リュウト君はこんなことを言い出した。
「……そ、そうなんだ」
 リュウト君はお兄さんと仲がいいのね。わたしがこれくらいの年齢の頃、こんなことは、言えなかったな……。
「でもルカさんのことはきらい」
 ……え? わたしは驚いてリュウト君を見た。リュウト君は真面目な表情をしている。
 わたしはおそるおそる周囲を見た。……みんなこっちを見ている。まずい、何とかしなくちゃ。
「リュ、リュウト君……そんなことは言ったら駄目よ」
「なんで?」
「なんでって……」
 えと、なんて言えばいいのかな?
「ルカ姉さんがガクトさんと結婚したら、ルカ姉さんはリュウト君の義理のお姉さんになるの。いずれ弟になる人から嫌いなんて言われたら、どんな人だって傷つくわ」
「……ルカさんはぼくのこときらいなのに?」
 え? どういうこと? わたしは呆気にとられて、リュウト君を見ていた。
「だからぼくだってルカさんのこときらいなの! ぼくのお姉ちゃんになんかなってほしくない!」
「こらっ、リュウト! いい加減にしないかっ!」
 神威さんのお父さんが大きな声を出した。リュウト君は椅子から滑り降りると、凄い勢いで部屋から飛び出して走って行ってしまう。
「あ……、リュウト君、待って!」
 わたしは思わず立ち上がると、リュウト君の後を追いかけた。わたしが追いかけてどうなるんだろうと一瞬思ったけど、放っておくのはよくない気がしたのだ。
 レストランのロビーの辺りで、リュウト君はぼんやりと立っていた。勢いに任せて飛び出したものの、行くところがないので困ってしまったようだ。
「……リュウト君」
 わたしが声をかけると、リュウト君はびっくりしてこっちを見た。
「戻りましょう。みんな心配してるわ」
「やだ……おこられるもん」
 そう言うと、リュウト君は下を向いてしまった。……どうしよう。大丈夫なんて気軽に言えない。少なくとも、わたしのお父さんは怒ってるわよね。さすがにリュウト君を怒鳴ったりはしないだろうけど……。
「お姉ちゃん、どうかしたの?」
 わたしが黙ってしまったせいか、リュウト君の方が心配そうにそう訊いてきた。ああ、こんな調子ではいけない。わたしより小さいリュウト君に気を揉ませるなんて。
「なんでもないわ。確かに……怒られるのって、嫌よね」
 リュウト君はこくんと頷いた。わたしはロビーに置かれていた椅子に座る。リュウト君も、隣の椅子に座った。
「ねえ……リュウト君は、どうしてルカ姉さんのことが嫌いなの? というか、どうしてルカ姉さんが、リュウト君のことを嫌いだって思ったの?」
「ルカさん、いつもぼくにつめたいから」
 え……? ルカ姉さんが冷たい? どういうことだろう。ロボットみたいな反応をすることを、冷たいって言っているのかな。リュウト君はまだ小さいから。
 なんて言ったらいいんだろう。小学生の男の子に、ルカ姉さんが何も考えないようにしているなんて、言えるわけがない。でも、ルカ姉さんとガクトさんが結婚したら、リュウト君は義理の弟になる。無関係ではないのだ。
「だからぼく、ルカさんとガクト兄ちゃんにけっこんしてほしくない」
 わたしも、ルカ姉さんとガクトさんがこのまま結婚していいとは思えない。でも、それをリュウト君に言ってもどうにもならないし……。
「そう……リュウト君も、大変なのね……でもルカ姉さん、リュウト君を嫌ってはいないと思うの」
 基本「嫌いじゃない」んだから、リュウト君のことだって嫌いじゃないはずだ。多分、扱い方がわからないとか、そういうことなんだと思う。だってルカ姉さんに、リュウト君を嫌う理由なんかないもの。
「ルカ姉さんは多分、男の子に慣れてないのよ。わたしの家は、女の子しかいなかったから」
「……ありがとう、お姉ちゃん。ぼくの話、おこらずにきいてくれて」
 リュウト君がそう言った時だった。後ろから、声がかけられた。
「リュウト、戻るぞ」
 あ……ガクトさんだ。リュウト君とわたしが戻ってこないので、様子を見に来てくれたらしい。
「ん、リンちゃんと仲良くなったのか?」
「うん……ガクト兄ちゃん、さっきはごめんなさい」
 ガクトさんは、苦笑してリュウト君の肩を軽く叩いている。……本当に仲が良いんだ。レン君とお姉さんを見た時にも同じことを思ったけど……ちょっと羨ましい。
「父さんたちには俺が一緒に謝ってやるから、心配するな」
 そう言うと、ガクトさんは今度はわたしの方を見た。
「すまなかったな。リュウトの奴どうにも甘えん坊で……俺がそっちの家に入るということが耐えられないらしい」
 ガクトさんはそういう風に思っているんだ。でも、リュウト君の発言は、そんな単純なことじゃあないと、思うのだけれど……。
 わたしは言おうかどうか迷った。けどここでそんなことを言ったら、余計ややこしくなるかもしれない。
「あの……ガクトさん」
「何かな?」
「ルカ姉さんのこと、どうか大事にして……幸せにしてあげてください」
 ……シンデレラを幸せにしてくれたのは、王子様だ。ガクトさんがルカ姉さんの王子様になってくれれば、ルカ姉さんだってもしかして……。
「可愛らしいことを言うな。心配しなくても、ルカのことはちゃんと幸せにする」
 ガクトさんはそう言ってくれたけど、わたしは一抹の不安を拭うことができなかった。でも……わたしはルカ姉さんに関わらない方がいい。できるのはこれくらいだけだ。
 わたしはこの後、ガクトさんとリュウト君と一緒に、レストランの個室へと戻ったのだけれど、ガクトさんが上手に話をしてくれたので、その後は揉めなかった。……色々な意味でほっとした。
 ……でもその翌日、波乱が起きた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

ロミオとシンデレラ 第四十五話【裸の王様】

 ガクトの兄はオリジナルキャラ、弟はがちゃっぽいどです。兄の名前に関しては……すいません、ネタが無かったんです。今がフィギュアシーズンなのが悪いんだ~。

 ちなみに今回はアナザーはお休みです。多分この次の回も……。

閲覧数:1,077

投稿日:2012/01/13 23:39:59

文字数:4,522文字

カテゴリ:小説

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