リンが今まで読んだ楽しかった本の話、レンが死神として担当した人間の話。取り留めのない会話を交わして道を進み、市場に行く時にレンが実体化した場所に到着して足を止める。
 高台の入り口から先は、レンは他の人間に見えない状態でリンを送る事にすると二人で話して決めていた。
 太陽がほとんど沈み大分暗くなっている。一人で行くのは少々危険ではないだろうか。家の前までは実体化して傍にいた方が安全ではないだろうか。
 心配して言ってくれているのは分かっていたが、リンはその申し出を断っていた。
 リンが初めての一人外出で知らない人、しかも異性を連れて帰って来た。
 レンの正体や性格は完全に後回しで、家は大騒ぎになる事間違い無しである。母は動揺しつつもレンを受け入れてくれそうだが、父は過保護故の心配や想像を巡らせそうである。箱入りと言う自覚はあるし、実際ほとんど外に出た事が無いのだからそれは仕方が無い。
 問題は、父がレンにあまり良い印象を持たない事がほぼ確実な事だ。娘に何かしなかったか、本当に何も無かったのか。そんな風にレンに詰め寄る姿が目に浮かぶ。
レンと父がお互いを認識して会う機会は今回一度だけだろう。父にレンを悪く思って欲しくないし、レンの父への印象が良くないものにしたくない。
 繋いでいた手を離し、リンとレンは向かい合う。
「また明日も会えるよね?」
 自分に明日が来るのか分からない恐怖と、明日はきっと来ると言う希望。両方が混ざった気持ちでリンは願うように言った。
 怯えるリンを少しでも安心させたいと思い、レンは頬笑みを浮かべて答える。
「会えますよ。いつものように」
 いつものように。その言葉がリンの心に染み渡る。
レンと出会うまでは、自分の命が終わる事に恐怖しか感じなかった。自分の命が終わってしまうのなら、何もせずに潔く逝きたいと考えていた。空虚な毎日が続くのなら、今すぐにでも終わって欲しいとさえ願った。
それを変えてくれたのは、死神のレンだった。彼と時間を共有していく内に、残り少ない命を精一杯生きたいと思えるようになり、明日が来て欲しいと願えるようにもなった。
生きている命を終わらせる死神に気付かせて貰うなんて、偉い神様が与えた皮肉なのかもしれない。生きる事を諦めていた事に対する罰かも分からない。だけど、自分がレンのお陰で救われたのは紛れもない事実で、誰が何と言おうとそれは変わらない。
「少し早いけど」
 またねと言おうとして、咳によって強制的に中断された。すぐに治まると過信していたが咳は止まる気配すら見せず、リンは右手で口を押さえる。
「ま……げほっ!」
よりによってどうしてこの時に。家に帰るまで持ちこたえてくれれば良かったのに。
またねと、明日も会えると伝えたいのに、連続して出る咳のせいで上手く言葉が出て来ない。あまりの息苦しさに左手で胸を押さえると、悲鳴に似たレンの声が聞こえた。
「リン!?」
心配しないで。そう思ってリンは首を振り、声を絞り出す。
「大、丈夫……」
 急激に気分が悪くなり足元がふらつく、頭の中に三角や四角等の図形がいくつも並び、目の前がチカチカする。
最悪。とリンは心中で毒突く。これは間も無く意識が飛ぶと言う体からの知らせ。数分間はどうにか耐えられても、倒れてしまうのは時間の問題だ。今まで生きていく内に否応なしに慣れてしまった感覚とは言え、体が辛くて悲鳴を上げる中で冷静に状況を判断できる自分が恨めしい。
 咳のしすぎで喉も胸も痛くなる。体の中全体は熱くて仕方が無いのに、冷や汗が出た表面は寒くて堪らない。
すぐに意識を手放せば楽になれる。本能が呼びかける誘惑にリンは反発する。そんな事は充分に分かっている。だけど、ここで倒れればレンに迷惑がかかる。まだ動けるのなら家に帰り、自分の部屋のベッドに辿りつくまでは耐えなくては。強く思っているのにそれ以上の速さで症状が悪くなって行く。レンが何かを言っているのは聞こえるが、声が聞こえるのを認識出来るだけで内容が分からない。
それを理解するのと同時に、張り詰めていた緊張の糸が切れた。
 駄目だ。きつい。
そう思った瞬間、リンは無意識に目を閉じた。

「しっかりして下さい!」
 危うく地面に向かって真横に倒れるリンを右腕で抱きとめ、体を支えた状態でレンは叫ぶ。
 耳元で名前を呼んでも、左手で肩を揺さぶってもリンからの反応は無い。暗く静まり返った道の中、ぜいぜいと荒い、苦しげな呼吸音だけがレンの耳を突き刺さり、昼間この場所で湧きあがった感情が再び襲いかかる。
 リンが、死ぬ。
 確信してしまった、出来てしまった。本来の役目を思い出してしまった。
 彼女の命を終わらせる為に、死神の自分はやって来たのだと。
「何を今更……っ!」
 歯を食いしばり吐き捨てる。腹の底が熱い。
きっとこれは怒りだ。リンと過ごせた事で浮かれ、それに意識が向き過ぎてリンの体調の事を考えられなかった自分に対して。
 考えろ。今自分が出来る事は何だ? 少なくとも、リンをこのままにしておく訳にはいかないだろう。彼女の命が尽きるのは避けようのない事、しかし『鎌』は現れていない。ならば、リンにはまだ生きる時間は残されている。
レンは右腕をリンの背中に回したまま、左腕は両足を下から支え、横向きにして抱き上げた。
「乗り心地が悪いでしょうが、ご容赦を」
聞こえないのを承知で囁く。意識を失っているリンからは当然返事は無い。しかし、ほんの一瞬だけ荒かった呼吸が穏やかになったように見えた。
 頼む。リンが家に帰るまでは出て来ないでくれ。彼女を殺さないでくれ。
 死神が祈るなど滑稽にしか見えないだろう。それでもレンは鎌に強く願い、リンの家に向かって走り出した。

 リンを横抱きにしたまま、レンはひたすら坂道を駆け上がる。
肉体的な疲労が無いこの身を感謝したのは初めてだった。息切れを起こす事も休憩を取る事も無く走り続ける事が出来る。瞬間移動の技を使えば距離を稼ぐ事は可能だが、それを使用する為の精神集中の僅かな時間も惜しいし、人間のリンが技に耐えられるかの保証も無い。何よりこの乱れた心では使えるかどうかも怪しい。
 リンを励ましながら坂を上り切り、屋敷全体が見える場所に到着する。
「もう少しです」
 レンは呟き、一度リンを抱き直す。先程よりも呼吸が落ち着いたように見えるが、いつ鎌が現れてもおかしくない状況である。油断は禁物だろう。
 レンは走る速度を緩めて屋敷へと近づき、屋敷を四角く囲んでいる自分の背丈と同じ高さ程度の塀と門を潜り抜ける。左右に広がる庭には目もくれず、真っ直ぐ伸びる道を進んで数段の階段を上がり、扉の前でようやく完全に足を止めた。
 リンが落ちないよう注意を払いつつ、扉の中心に付けられた金属の板に右手を伸ばす。板にぶら下がる金属の輪を持ち、家の者に聞こえるようにやや力を入れて数回打ち付けた。
焦ってもリンの体調が良くはならない。家の者がすぐ来る訳でもない。分かってはいるのに早く来てくれと思わずにはいられない。
待つ事数秒。その時間はレンにとって永遠と思えるほど長く感じた。
 まだか。
 扉を叩く音に誰も気が付かなかったのかと考え、レンはもう一度扉を叩こうと手を伸ばした時、扉が開かれた。
「どちら様……」
 来訪者の正体を訪ねようとした台詞は唐突に途切れ、直後に悲鳴が上がった。
「リンお嬢様!?」
「突然申し訳ありません。この近くで彼女が体調を崩して倒れていたのを見つけ」
「旦那様! 奥様!」
 出向いてきた使用人が大声を上げ、扉を開けたまま伯爵を呼ぶ為に走り去る。訳を説明しようとしたのを一方的に打ち切られ、取り残される形になったレンはリンを抱きかかえたまま立ちつくしていた。
 こんな時はどうすればいいのか分からない。早くリンをベッドに移してあげたいのに。このまま抱きかかえられているよりも、そちらの方がリンはゆっくり休めるはずだ。今は一刻を争う事態である。勝手に家の中に入ってリンの部屋まで行ってしまおうか。
 レンが少々強引な考えを巡らせている最中、バタバタと慌ただしい足音が二階から聞こえ、その音はどんどん大きくなる。リンを心配して廊下を走っているのだろうと推測を立てていると、玄関ホールから見える二階の廊下から一人の男性が姿を現した。
 リンの父親である伯爵は玄関先に立つレンと横抱きにされたリンを一瞥すると、転がり落ちるような勢いで階段を駆け降りた。
「どうした! リン!?」
 青ざめた顔で叫んで玄関へと近づき足を止め、リンの額に手を当てる。
「酷い熱だ……」
 容体を確認して呟くと、手を置いたままレンを鋭く睨みつけた。リンを心配した表情とは打って変わった怒りの形相を向けられ、レンは一瞬怖気づく。しかし怯えている場合では無いと瞬時に考え直し、すぐに冷静さを取り戻す。
 リンと共に市場に行っていたと正直に話すと、伯爵が後でリンを問い詰めるのではないだろうか。
 ここは誤魔化した方が良い。そう判断を下して口を開く。
「あの、私は……」
「貴様は何者だ!?」
 道を歩いていたら偶然リンが倒れていた。意識を失う寸前、自分の家はここだとリンが教えてくれたので連れて来た。そう続けようとしたレンの言葉は伯爵の怒声によってかき消される。
「怪しい者にリンを任せておけるか!」
 伯爵は二の句が継げなくなったレンから奪い取るようにリンを抱き上げると、一度レンを鋭く睨みつけてから背中を向け、そのまま無言で去って行った。
 リンと伯爵が家の奥に姿を消すまでを見送り、レンは俯いて直前までリンを支えていた自分の両腕を見つめる。
 伯爵や家の使用人からは怪しまれると考えていたはずだろう。罵声を浴びせられる可能性だってあると思っていたはずだろう。
分かっていたはずだ。自分が何者であろうと、素直に受け入れてはもらえないと言う事は。それを承知の上で、リンをこの家まで送り届けたのではないか。
 なのに、胸に大きな穴があいたようなこの感覚は何だ? ついさっきまであったものが消え去り、そこを埋めるものすら無い空虚な気持ちは一体何だ?
「リン……」
 名前を呼ぼうと、今ここにいない彼女に応える術は無い。
「早く先生を呼んで来い!」
「何事ですか!?」
 聞きたく無いのに、頭にはリンの周りにいる人々の声が響く。こんな気分の時でも、死が迫った者やその者に関わる声が聞く事が出来る、死神の能力は働くらしい。
「嫌な力だ」
やはり自分は死神だと自嘲し、頭に直接届く声を意識的に打ち切って聞こえないようにした。
 死が迫った者や関わる者の声を聞こえなくする能力。今まではそれを使った事は無く、正直無意味なものだと思っていたが、まさか役に立つ日が来るとは思わなかった。
 溜息を一つつき、レンは人気の無い玄関から外へ出る。

 扉が閉まる頃には、黒ずくめの少年の姿は消えていた。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

黒の死神と人間の少女のお話 7

 自分は人間とは違うと痛感したレン。お互い歩み寄る事は出来ても、神様と人間の間にはどうしようもない壁があるんじゃないかなぁと。

 ぱっと見そんなに筋肉ついてるとは思えないのに、あっさり姫様だっこが出来る、ゲームや漫画やアニメのキャラ達は純粋に凄い。
 今回のレンは神様だから重さとか無視出来るんです、多分。

  
 ……いや、この前新しいテレビ台(約18キロ)を買った時、運ぶのに苦労したんですよ。えらい重くて(笑) 

閲覧数:225

投稿日:2011/05/28 21:02:32

文字数:4,513文字

カテゴリ:小説

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