杖を地に突き立て、前もって村の周辺に描いておいた陣を浮かび上がらせる。
魔法とは、呪文と陣、すなわち言葉と図形を組み合わせて起こす奇跡のことである。
そう言うと難しそうに聞こえるが、なんていうことはない、ただ単に「自分が考えていることを言葉と図形で表現して、それを相手の思考に刻みつけてしまう」ということだ。
つまり、思考を持つ生き物同士のコミュニケーションに、強制力を持たせたもの。
言葉は時に刃になるし、絵も同様だが、それだけでは毎回成功するというわけではない。だから、魔法という確立された形式が存在する。
浮かび上がった陣の一部を変更して、村の周辺全体に適用する。
それは村を守るためでもあるし、自分たちを守るためでもある。
正確に言えば、「村と自分たちをひとつの結界の中に入れてしまうことで、村を守りつつ村からの応援を要請した」というわけだ。
僕ひとりでは、とてもではないが、魔物を倒すことは出来ない。
範囲の広さに頭がくらくらしてきたが、少女にそれを悟られるわけにはいかないから、無理やり足に力を込めた。
少女には体力もあるし、きっと腕を磨けばいい剣士になるだろう。しかし、得物がなければどうしようもない。
僕ひとりで、どうにか時間を稼がなければ。
上がった息の中で、途切れ途切れに呪文を詠唱し、魔物の行動範囲を狭めていく。魔物そのものに結界を適用してしまえれば、村全体を囲んだりしなくて済む。
しかし、暴れる魔物を完全に囲うには、僕に残された魔力は少なすぎた。
形成しかけた陣がはじけ飛び、光と血が舞う。腕をかすめた熱が、次の瞬間痛みに変わった。
「くっ……」
攻撃魔法の呪文が、頭に浮かんでは消えていく。
下手に暴れさせれば、結界を壊されてしまう可能性もある。痛みと疲れで、思考がまとまらなかった。
もっと早く帰ればよかった。最初から分かっていたことを、いまさらのように考える。
何も言わなかった少女のせいではない、自分がちゃんとしていればこんなことにはならなかった。でも、どうか、届いてくれ。
結界の陣に杖を突き立て、祈りにも似た呪文を唱える。僕のいる場所を中心に、結界が光る。SOS信号のように。
少女の様子を気にする余裕もなかった。
ただ、すぐそばにいるのだけを感じた。
何故だろう、どうしても、その少女だけは守らなければいけないと思った。
どれくらいの時間が経ったのか、長くて短い攻防の後に、ふと誰かの温もりを感じた。混乱し、一拍置いて、倒れた自分が誰かに抱きとめられたのだと知る。
顔をあげると、ミク姉がいた。
戦いには向いていない彼女が、どうして。
不思議に思いながら、朦朧とした意識の中で周りを見回す。少し離れた場所に、メイコ姉とカイト兄、他にも数人の見慣れた剣士たちの顔があった。
「レン君、大丈夫?」
僕の腕に布を巻きつけて止血しながら、ミク姉が優しい声で訊いてくる。
心配しているのだと分かる声。僕が勝手に街に行って、勝手にこんな時間に帰ってきただけなのに。
「まったく、女の子連れて、こんな時間にうろついてんじゃないわよ!」
怒ったような声でメイコ姉が言う。それでもその瞳は優しくて、僕は泣きそうになった。
でも、安心したのはほんの短い時間。次の瞬間、結界に衝撃が走り、それは陣を通して僕の身体の中で弾けた。
「うあ……っ!」
声にならないほどの激痛に、僕はミク姉の腕の中で悶える。
魔法は、強制力を持ったコミュニケーション手段だ。だから、魔法に対する衝撃は、術師へ強制力を持って跳ね返る。
「レン君!」
ミク姉の声ががんがんと頭に響く。手放しそうになる意識を死に物狂いで掴み、杖へ手を伸ばした。
元は僕のミスなのだから、助けが来たからといって休むわけにはいかない。
ミク姉の手をほどいて立ち上がろうとしたが、足に力が入らずに座り込む。仕方なくそのままの姿勢で、先ほど衝撃を受けた結界の陣を描き直した。
さらに、もうひとつ結界をつくり、魔物を囲む。剣士たちが魔物と戦うには、魔物の動きを止める必要がある。
陣を描いていた手が滑りそうになった。焦点が定まらず、陣がゆがむ。それをカバーするための呪文も、うまく舌がまわらなくなって崩壊した。それでも何とか、結界を形にする。
そこからは早かった。剣士たちが一気に飛びかかり、ものの数分で魔物は倒れた。
そして、それと同時に、僕も意識を手放した。
-----
「はい」
そう言って、ルカ姉が僕に宝石を押し付ける。ルカ姉はこの村の若き長だ。
「これは、昨日の……?」
魔物は、倒されると光と宝石に変わる。その宝石を身に着けていれば、魔力や体力が向上すると言われている。僕はすでにそれを十個以上持っている。
「私は行けなかったけれど、話を聞く限りでは貴方の功績だからね。他の人たちも皆、貴方にあげろって言っていたし」
だから、とルカ姉は宝石を差し出してくれるけれど、僕は受け取らない。受け取れない。昨日のことは、功績というより、むしろ大失態ではないか。
「……僕は、確かに魔物を倒すのに一番貢献したかもしれませんけれど、魔物を呼び寄せたのも僕です」
「それは分からないわ。あの距離だったら、遅かれ早かれ、あの魔物はこの村を襲っていたでしょう」
「だとしても、もらえません」
だったら、とルカ姉は溜息をつく。
「あの子にあげれば? 貴方の判断なら、皆も納得するでしょう」
あの子。一拍置いて、あの少女のことだと気付く。
そういえば、あの少女はどこにいるのだろう。僕は気がつけば自分の部屋のベッドの上で、横にはルカ姉がいた。あの少女は、どこにいるのだろう。
僕の考えていることが分かったのか、ルカ姉はもう一度溜息をついた。
「あの子は今、ミクのところにいるわ。メイコやカイトと一緒に」
ルカ姉の表情は暗い。
「怪我でもしたんですか?」
昨日、少女がどうなったのか、僕は知らない。
ルカ姉は首を振った。
「怪我はしていないわ。少なくとも見た目には……ね」
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