「しばらく入院する」という言葉どおり、リンは次の日もその次の日も学校に来なかった。リンと話すのが日常になっていたせいか、不在が淋しい。
部活の方は、順調に話がまとまり、配役も決まった。メインキャストはヒギンズ教授が蜜音、ピカリング大佐がグミヤ、イライザが雪歌である。
リンが入院してから一週間が過ぎ、また月曜日がやってきた。登校してきた俺は、昇降口のところで、また蜜音に会った。
「あ、鏡音君!」
……ん? なんか妙にハイテンションだな。
「これ見てくれない!?」
その言葉と共に、携帯が差し出された。携帯の画面に、蜜音と三人の派手なメイクをした男が映っている。……誰だ? どっかで見たような気もするが……。
俺はしばらく、その三人が誰なのかを考えてみた。だが結局、心当たりが全くない。
「……この三人、誰?」
「ブラックバンデージのメンバー!」
興奮状態のまま、蜜音はそう答えた。えーと……あ、そうか。姉貴がもらってきたチケットのバンドだ。……ファンと一緒に写真撮るサービスでもあったのか? あんまりそういう話は聞いたことがないが……。
「メンバーと一緒に写真撮れるなんて夢みたい。CDにサインも貰えたし! この写真とサイン貰ったCDはは一生の宝物にする!」
ま、まあ……大ファンならそうなるだろうな。俺はこのバンドがどういう曲を作ってるのかすら知らないけど、気持ち自体は想像がつく。もし目の前にラーソンが現れたら、多分俺も蜜音と同じぐらいハイテンションになるだろう。……死んでるから無理だけど。あんなに早くそっちへ呼ぶことなかったんじゃないか、神様。
「良かったな、蜜音」
そう言うと、蜜音は満面の笑顔で頷いた。幸せなのはいいことだ。
「鏡音君がチケット譲ってくれたおかげよ。本当にありがとう。感謝しても感謝しきれない」
「俺じゃなくて姉貴に言ってあげてくれ」
くどいようだが、俺は仲介しただけだ。しかし、こんなところにファンがいるとは……。
「もうそうした。メールでだけど。じゃあね!」
蜜音はハイテンションのまま去って行った。あんな様子の蜜音って初めて見たぞ……あ~びっくりした。あ、いけない。蜜音と話していたせいで、靴を履き替えてない。俺は自分の下駄箱を開けて、中から上履きを取り出した。その時。
「おはよう」
いつの間にか聞き慣れてしまった声がした。慌ててそっちを見る。リンだ。
「リン! もう平気か?」
「う、うん……もう大丈夫」
リンは暗い表情で頷いた。……例によって悩んでいるらしい。
「今日はいつもより少し遅いんだね」
「朝ごはんを食べ終わるのがちょっと遅れてしまって……」
淡々と答える様子に不安になってくる。とはいえ、昇降口で話しこむわけにもいかない。寒いし。
「じゃ、教室まで行こうか」
俺がそう言うと、リンは頷いた。少しほっとしながら、二人で教室まで向かう。
教室に着くと、リンは自分の席に座った。あ、そうだ。あれを渡しておこう。俺は自分の鞄を開けて、中からプリントの束を取り出した。リンが休んでいた間の、ノートのコピーだ。毎日授業が終わると進んだ分をコピーして、いつリンが学校に来ても大丈夫なように、鞄に入れて持ち歩いていた奴である。
「リン、これ、渡しとくよ」
リンは受け取ったプリントを見て、びっくりしている。……そんなに驚かなくてもいいと思うんだが。ノート見せてもらった方が楽だろ。
「これ……わざわざ……」
「わかんないところがあったら教えるから」
リンは黙って、じっとプリントを見つめている。表情を見る限り、不快には思ってないみたいだけど。
「……ありがとう」
リンはそう言うと、静かにプリントを机の上に置いた。
「それで、調子はどう?」
「体調の方は大丈夫」
「お姉さんは?」
リンは訊かれたくないかもしれないが、やっぱり不安だ。リンが視線を伏せる。
「……普段と全く変わらないの。朝起きると、普通に『おはよう』って言われるし」
要するに平然としてるのか。……どういう神経なんだろう。俺には想像もつかない。
リンは細かく身震いして、自分の肩を抱いている。……まずい、これ以上話させない方がいいかも。
「わたし……ルカ姉さんと目、あわせられくなっちゃった……。なんでだかわからないけど……ルカ姉さんの顔を見ると、気分が悪くなってしまって……」
いやそりゃ、階段から突き落とすような相手なんだから、その反応は無理ないだろ。その事実に、リンが罪悪感を抱く必要なんてない。
「階段から突き落とされたりしたんだから、仕方がないよ。リン、それは、リンの心が無意識のうちに『お姉さんに近づきたくない。もう痛い思いをしたくない』って、悲鳴をあげてるんだ。リン、まずは自分を守らないと」
リンの手を握るとか肩を抱くとか、そういうことをしてやりたい。……けど、そういうことをしたら嫌がるかもしれないな……それ以前に、ここは朝の教室だ。
「う、うん……頑張るから」
リンはそう答えてくれた。張り詰めていた気分が緩む。とにかく、少しずつでもいいから、リンにもっと自分のことを考えてもらわないと。
「リンちゃんっ! もう大丈夫なの!?」
あ、初音さんだ。こっちへ駆け寄ってくる。じゃ、俺はもう退散するか。……ちょっと淋しいけど。
「じゃ、俺はこれで」
俺は自分の席へと戻った。後ろから、リンと初音さんが楽しそうに話す声が聞こえてくる。初音さんもリンのことは心配なようだ。
その日の授業と部活は、滞りなく終わった。蜜音は部活中もハイテンションで、他の部員に首を傾げられていたりしたけど。恐るべしバンド効果。
部活が終わり、俺が帰り支度をしていると、クオが声をかけてきた。
「レン、ちょっといいか?」
「なんだよ」
俺はクオの方を向いた。
「もうじき十二月だよな」
あ~、言われてみれば。今週末には十二月になるんだよな。十二月になったら、期末か……。
「十二月になると期末テストだよなあ……クオ、勉強してるか?」
「お前は十二月って聞いて真っ先に期末が出てくるのか?」
クオに呆れられた。何もそんなに呆れることないだろ。十二月に入ると割とすぐなんだぞ。
「何だよ、年の瀬だな、とでも答えて欲しかったのか?」
「いやそうじゃなくてさ……ここは普通クリスマスだろ」
あ、あったなそんな日も。けどなあ……アメリカのニューヨークに赴任している母さんがこっちに帰って来るのは、二十五日の夜遅くだ。そのせいか、俺の家ではここのところ何もしていない。プレゼントはもらえるけど。
「もうクリスマスをありがたがる年齢でもないからなあ……」
「お前ねえ……淋しいこと言うなよ」
「だって姉貴は職場のパーティーに参加するから、俺、クリスマスイヴは一人だぜ」
俺も来ていいと言われたが、さすがに遠慮した。場所が場所だけに、あまり行きたくない。
リンは、クリスマスはどうするんだろう? 家にいるのかな? お姉さんは……婚約者いるんだから、その人と一緒か。ハクさんの方は部屋に閉じこもってるだろうし……。
「あ~そうか、お前暇なのか」
「喧嘩売ってんのか?」
そういやクオはどうするんだ。確か両親は、まだ日本に戻って来れないって言ってたような。じゃあ初音さんの家にいるんだな。
「いやそうじゃない。お前暇ってことは、クリスマスイヴはミクの家に来るということで、はい決定」
……は?
「何だよそれ」
初音さんの家? 何がどうなってんだ。
「だからイヴはミクの家に来いってことだよ」
「悪いけどクオ、クリスマスにお前と『悪魔のサンタクロース 惨殺の斧』を見るのはちょっと……」
「幾ら俺でもそこまで悪趣味じゃねえっ!」
大声で叫ぶクオ。おいおい、今のは冗談に決まってるだろ。けどなあ。
「クリスマスだろ。初音さんと二人で遊びに行けばいいじゃん」
「……ミクは、巡音さんを家に呼ぶっつってんだよ。二対一だと俺が不利なの! 二人につきあわされて、クリスマスラブコメなんか延々見るのは拷問なんだよっ!」
まーたそれかい。だったらどこかに出かけるとか、部屋にこもるとか、取れる行動幾らだってあるだろうに。結局、初音さんと一緒にいたいんだろうなあ。
うん? リンは初音さんの家に遊びに行くのか。
「そういうわけだから、お前も来い。お前が来ないってんのなら、別の奴に声かける」
ちょっと待て。それだと、リンがろくに知らない奴と同席する羽目になる。人見知りの激しいリンを、そんな状況に放り込んだら、多分がちがちに緊張してクリスマスを楽しむこともできなくなるじゃないか
「あ……うん、わかった、行く」
「OKってことだな。じゃ、ミクにそう伝えとく」
なんか妙なことになったけど……いいや、いい方向に考えよう。クリスマスイヴにリンと会えるわけだし……。というか、冬休み入ったらしばらくリンとは会えないんだよな。クオが声かけてくれて、むしろラッキーと思うべきか。
「……なあ」
俺がそんなことを考えていると、クオがまた声をかけてきた。
「なんだよ」
「お前、巡音さんのことどう思ってんの?」
「どうって……」
友達、のはずだ。なのに、その言葉を言おうとして、俺は詰まってしまった。俺にとって、リンは一体何だ? リンの顔が頭に浮かぶ。
「今だって、巡音さんが来るって聞いた途端、来るのOKしたし」
そんなこと言うんなら今からでも撤回……は、するわけにはいかないな。
「いいだろ……別に」
「俺、この前、クラスの奴に訊かれたんだよ。いつもミクと一緒にいる可愛い子は誰かって。ミクの幼馴染だって答えたら、ミクが無理ならそっちを紹介してくれないかって言われた」
……どこのどいつだ、その失礼な奴は。リンは初音さんの代替品じゃないぞ。
「もちろん断ったよな?」
「そりゃ、俺はあの子と親しいわけでもなんでもないしな。けど、あの子が誰かと交際を始めたところで、お前が首を突っ込む問題じゃないだろ?」
クオの言ってることは正論だ。俺だって、リンには幸せになってほしい。だから、リンがクオや、あるいは他の奴のことを好きだって言い出したら、その時は……。
……やっぱり嫌だ。誰か他の奴と一緒のリンを想像すると、ひどく嫌な気持ちになる。フレディのような奴が、俺とリンの間に割り込んできてリンをかっさらっていくなんて許したくない。リンに一番近い場所にいたい。
それは……要するに。
俺がリンのことを好きで、誰かにリンを取られたくないからなんだ。
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