19
今日、僕らはようやく「ソルコタ民主主義共和国」として独立する。
国際連合ソルコタ暫定行政機構、UNTASの活動は、結局は三年四ヶ月もの期間に及んだ。
波打つ緑と黄色、そしてギザギザの青と橙色が交差する国旗は、カタ族とコダーラ族の伝統模様をあしらったものだった。
三年四ヶ月の間、僕らは新政府の樹立に向けて、身を粉にして働いた。
だけれど、僕らの選択が正解だったのかはまだわからない。
これから。
そう……それはこれから決まるのだから。
『我々の人生はこれまで、困難と共にありました。それはおそらく、これからも続くでしょう』
テレビ画面の向こうで、シェンコア・ウブク新大統領――一応、正式な宣言までは新大統領予定、になるのだけれど――が演説を始める。
『しかしそれでも、これまでとこれからとでは決定的に違うことがあります。それは……我々がようやく争いをやめたということです』
力強く断言する新大統領に、画面内で歓声と共に拍手が巻き起こる。
彼はほがらかな笑みを浮かべ、手をあげて歓声に応えた。
『人という存在は未だ……お互いを理解することが難しい生き物です。我々はこれまでずっと、なにを考えているのかわからない相手に向けて、暴力で解決を図ろうとしてきました。さげすみ、罵り……そして、言葉では飽きたらずに大量の銃弾を使って。
……お互いがお互いの言い分を聞こうとせず、おびただしいほどの死の影がこの国を包み込んだのです。
しかしそれでも、おろかな私たちは争いをやめようとしませんでした。
なにを考えているのかわからない相手に対する、この上ない恐怖が私たちを支配していたのです。
恐怖に打ち勝つには、勇気が必要です。
ですが我々にはその勇気がありませんでした。
困難な勇気よりも、安易な恐怖を――銃弾を選んでしまったのです。
恐怖に打ち勝つための勇気が必要だと心のどこかでわかっていながら、そこに目をつぶって知らない振りをしていたのです。
そんなこと間違っている、と真正面から指摘したのは、皆も知っている一人の少女でした。
元子ども兵だった少女は訴えました。
「大人たちのやっていることは間違っている」
「争いなんて求めていない。欲しいのは平穏なのだ」と。
だというのに、我々はそれでも自らの抱く恐怖に打ち勝つことができず、おろかな争いをやめられませんでした。
……少女が大人になっても、我々はおろかなままでした。
我々が自らの恐怖と対峙し、真に平穏を手に入れるために立ち上がったのが……三年前のことです。
この国が一度崩壊し、そんな中でもこの国のために尽力していた彼女が……凶弾に倒れてからのことでした。
我々はそこでようやく悟ったのです。
……いえ、そこまでのことが起きなければ、我々は悟ることができなかった、という方が正確でしょう』
ウブク新大統領の静かな罪の告白に、民衆も静まり返る。
『今日私は、宣言を行うためにここに来ました。しかし……他に宣言にふさわしい人がいるのではないかと感じています。
……皆さんはどうですか?』
民衆は一斉に「そうだ!」と声をあげる。
その光景に、僕は思わず笑みをこぼしてしまった。
『一応……言い訳をさせてもらえますか?
この半年、私は毎週欠かさず面会に行きました。もちろん説得のためです。
しかし……答えは変わらなかった。
私の背後にいる……ハーヴェイ将軍にも説得に手伝ってもらいました。結果は……まあ、言うまでもなかった』
後ろを向いて、ダニエル・ハーヴェイ将軍に手をかざす。彼は大仰に両手を広げて「自分では無理だった」という態度をとる。
『私の努力はそれだけだったか?
もちろん違う!
国連大使として復帰したミス・ソフィーにも協力を仰いだ。
パートナーたるモーガン中佐にもだ。
我々の大切な隣人である、ジャーナリストのジェシカ・コトロワにも。
恥を忍んでUNTASのイヴァン・ソロコフ氏にも説得を頼んだ。
しかし……誰一人として「イエス」と言わせることはできなかった。
政府の要職につくことすら、当初は拒んでいたのです。国家顧問という役職に納得してもらうのにもどれ程苦労したか。
なんといってもあの人は、昨年のノーベル平和賞の受賞さえ辞退した人物ですからね』
民衆はもはや笑い出している。
僕も笑い声を抑えるので精一杯だ。
かつて……これほどまでにユルい宣言があっただろうか。
『あぁ、そういえば一人だけ協力を拒んだ人物がいました。
これは全国民に報告しておかなければなりません。
名前はカル・カフスザイ。
……彼にはこの国の重要な仕事をしてもらって、苦労してもらわなければなりませんね』
民衆はどっと笑い、もう厳粛な雰囲気など吹き飛んでしまっていた。
いやいや……おいおい。
相当無茶なこと言ってるぞ、あの大統領。
『さて……とはいえ、私は一つ、重要な約束を取り付けました』
少し道化師めいた態度で、ウブク新大統領はニヤリと笑う。
『この場での皆さんの言葉次第では、宣言を行っても構わない、というものです』
この言葉に、民衆はこれまででもっとも盛り上がる。
それはつまるところ、答えが出ているようなものだ。
『この宣言はライブ中継です。
……もちろん、あの人も見ているわけです。
この約束に備え、私はもう一つのライブ中継班を病室に待機させました』
待ってましたと言わんばかりに、ウブク新大統領の背後に白いスクリーンが天井から降りてくる。
『おやおや。スタッフたちは皆さんの言葉がもうわかっているようですね。
仕事の早いことだ』
民衆の盛り上がりは最高潮で、ウブク新大統領も――もちろん僕も――ニヤニヤが止まらないみたいだった。
『この中継……もちろん見ていますよね?
さあ、ここからが本番です。皆さん、そろそろ笑い声は控えてくださいね。なるべく真面目な……厳粛な顔をするんですよ。いいですね?
では、私の背後のスクリーンをご注目ください。
ここに映るのは……この国の、真の救世主の姿です』
同時に、僕らの目の前でカメラを構える男がおもむろにスリーカウントを唱える。
「ワン、ツー、スリー、スタート!」
同時に、僕のとなりでリクライニングベッドに横たわる母の姿が、テレビ画面のウブク新大統領の背後に映し出される。
「どうも。ええと……ご紹介に預かりました、グミ・カフスザイです」
苦笑を浮かべながら、母は頭を下げる。
画面の向こうは、それだけで拍手喝采だった。
「まだ傷が癒えておらず……アラダナ総合病院の一室から失礼します。
ここには私の他に……カルとモーガン、そして撮影スタッフが三人しかいませんので……皆さんに向けて話をしている、という実感があまりありません。
とはいえ……ミスター・シェンコア・ウブク。覚えていなさいね。貴方に頼もうと思っていた仕事は倍に増やします」
この場にいる僕らが笑う。それだけでなく、画面の向こうの民衆は大爆笑の渦だった。
ウブク新大統領は両手を上げて降参のポーズをとっていた。
「ではまず、頼まれた宣言を行いましょう。証人は……テレビの向こうの国民の皆様、ということで構いませんか?」
母の言葉に、テレビ画面の向こうのウブク新大統領がうなずく。
『もちろんだ。ここには国民以外にも大勢の来賓がいらっしゃる。UNTASの面々に周辺国の首相や大統領、そしてジェシカ・コトロワの祖国からも外相が。ちゃんと対外的にも認められる宣言だ』
ウブク新大統領の言葉に母はうなずき返し、上体を起こして背筋を伸ばす。
僕はとっさに手を伸ばして、母の背中を支えた。
「私、グミ・カフスザイは、ここにソルコタ民主主義共和国の建国を宣言します」
その言葉に画面の向こうだけでなく、この病室にいる撮影スタッフたちも拍手をする。
すごく小さな動作だったけれど、母が鼻をすすったのを僕は見逃さなかった。
「先の選挙結果を踏まえ、シェンコア・ウブク氏を大統領に任命します。また、ダニエル・ハーヴェイ氏をソルコタ国防軍の将軍に任命します。それから私、グミ・カフスザイの……ソルコタ国家顧問就任も、承認いただけますか?」
苦笑気味の母なんてお構いなしに、盛大な拍手が鳴り響く。
『貴女の怪我が完治していたら、貴女の役職は国家顧問どころではなかったかもしれませんね。……私が楽できたかもしれないのに』
盛大な拍手が、再度の爆笑に切り替わる。
「ウブク新大統領。また仕事が増えますよ?」
母の冷ややかな笑みに、肩をすくめていたウブク新大統領は両手を上げて再度の降参。
「その他の役職の任命は任せて構いませんか?」
『もちろんですよ。まだ病床にあらせられる国家顧問に無理はさせられません』
少し含み笑いをしているウブク新大統領につられてか、母も笑みをこぼす。
『では……最後に国民に向けて一言、よろしくお願いします』
母はうなずいて、ゆっくりと話し始める。
「小さな頃から争いの中にあった私たちは、ずっとこのときを待ち望んできました。
戦争も紛争もない“平穏”というものが理解できない子どもは、おそらく少なくはないでしょう。
この三年、新政権樹立に向けた調整は難航を極めました。
民族自決権の問題から、二国に分断する案さえ出たほどです。
ですがこうやって……これまで敵対していた私たちがまた手を取り合う道を選んだという事実に、喜びと誇らしさを感じています。
私たちはようやく独立を果たしますが……この独立は終点ではありません。
むしろ、この独立をもってようやくスタート地点に立ったのです。
私たちの前には、多くの困難が待ち受けています。
三年以上経った今でも、復興が完了していない地域はたくさんあります。教育の充実をなくして、発展はあり得ません。
これまで、私たちの敵ははっきりしていました。
コダーラにとってはカタが。カタにとってはコダーラが敵でした。
ですがこれからの我々の敵は……金融であり、経済であり、社会システムそのものとなるでしょう。
私たちが手を取り合って協力してもなお得体の知れない、アイマイなものが立ちはだかるのです。
この独立宣言は、単なる国家の設立のみを示すものではありません。
ソルコタ民主主義共和国という国が、これから世界に立ち向かうぞ、という宣戦布告なのです。
それは武力によるものではありません。
自動小銃も、手榴弾も、地雷も必要ありません。
必要なのは個々の強い意志です。
これは、私たちがこの国から戦争をなくし、武器をなくし……裕福さと繁栄を掴み取るための戦いです。
我が子らを戦争に巻き込ませず、誰もがお腹一杯にご飯を食べ、笑いあえる社会を作るための戦いなのです。
それには、皆さんの協力が必要です」
テレビ画面から、割れんばかりの拍手とときの声が上がった。
それは実に五分以上も続いた。
ちらりと隣のベッドに横たわる母を盗み見ると、その光景に慈母のような柔らかなほほ笑みを浮かべていた。
その瞳はいまにも涙が溢れんばかりに潤んでいたようにも見えたが、確信はまでは得られない。
「このアイマイな宣戦布告を……このアイマイな独立宣言を、皆さんが受け入れてくださって本当に感謝します。後は……シェンコア・ウブク新大統領からお願いしますね」
「はい、カットです。お疲れ様でした!」
撮影スタッフの言葉に、母がふっと息を吐いて緊張を解く。
「母さん、大丈夫?」
「ええ。でも……疲れたわね。少し休むわ」
「そうするといい。俺たちも帰ろう」
モーガンの言葉にうなずく。
「うん。でも……少しだけ」
「……わかった。グミに無理をさせないようにな」
僕がベッドのリクライニングを戻している間に、撮影スタッフとモーガンが病室から出ていく。
「カル?」
「……母さん」
「どうしたの?」
「ええと……あの、言いそびれたことを、言わないとって……思って……」
三年前。あの会談の直前に白状してしまおうと思った自らの罪。いまのいままで……先伸ばしにしていた。
でも、もう……独立宣言まで行ったいまを逃したら、言える自信がなくなってしまう。
「――いいのよ」
「えっ?」
その母の言葉は予想外過ぎていた。
「言わなくていい。きっと赦してくれるわ。私の母も……あの子、リディアもね」
「……っ!」
ゾワッと総毛立った。
母は……母さんは、気づいて……知っていたのだ。
「なら、な、んで……」
僕の言葉に、母は苦笑した。
「誰もが罪を重ねているわ。私も、数えきれないくらいの罪をね。大事なのはそれを受け入れ、赦すことよ」
「……」
「大丈夫。貴方にもできるようになるわ」
母の優しい視線に、僕は耐えられなくてうつむいてしまう。
「でも、僕は――」
――赦されるべきでないことをしたんだ。
なのになんで、母はこんなに……優しい顔をしているんだろう。
僕には、理解ができない。
「私はね、ウブク大統領に一つ条件を出したの」
「……?」
母は相変わらず優しい顔をしている。
「私を国家顧問にしたいなら、収監されている彼の恩赦が必要だってね」
「どう、して……」
母の言う“彼”が誰か、聞くまでもなかった。
だけれど、それ以上はなにを言ったらいいかわからない。
彼は母に復讐しようとしたけれど……そもそもその罪は僕のものだ。しかもそれは……おそらく母も知っている。
「……いいのよ。いまはまだわからなくても」
まるで僕の心を読んだみたいに、母が告げる。
「でも、誰かを赦せるようになったときには……誰よりもまず、自分のことを赦してあげなさい」
「母……さん」
なにもうまく言えなかった。
だけどただ、その母の優しさに涙が溢れてしまっていた。
僕のほほを流れ落ちる雫を、母の指先がそっと拭き取る。
「いまは泣いていいのよ。これからはまた忙しくなるわ。つらくてくじけそうになったら……私のところで泣いたらいいの」
「うん……母さん、ごめんなさい。ごめんなさい……」
「いいの。いいのよ。大丈夫だから……」
罪悪感と、母の優しさに対する安堵と、他にもいろんな感情がぐちゃぐちゃになって、しばらく涙が止まらなかった。
僕はそうやって……母に甘えて、しばらくの間泣き続けた。
また立ち上がって、未来へと歩みを進めていくために。
自らの罪を赦すことが……いつか、きっとできるようになるために。
アイマイ独立宣言 19 ※二次創作
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第十九話こと、最終話
ずっと緊迫した暗い話だったので、最後くらいは明るい話にしてみました。
作中、何度か演説がありましたが、一番ユルい演説にしてみました。
それはともかく、最後までお付き合い下さり、ありがとうございます。
そして、原曲「イチオシ独立戦争」及び「アイマイ独立宣言」を作曲・公開して下さったゆうゆ様、感謝してもし足りません。あと、謝罪してもし足りませんね……。
そして「イチオシ独立戦争」からの続き物にしたせいで、今回の「アイマイ独立宣言」はこれまで以上に原曲無視感が尋常じゃありません。
ゆうゆ様並びに「違う、この曲はこうじゃない」と思った皆様に深くお詫び申しあげます。
とはいえ今回の二作は、これまでで一番読み手に「おっ?」と思わせられる構成になったんじゃないかと思っています。
作中で明言していない事実もいくつかあり、読み返してみると「これってまさか……そういうこと?」となったりすると思います。(再読を煽っていくスタイル)
また、例によっておまけがあります。
気になる方は前のバージョンをご覧ください。
さて、相変わらず次回更新予定はありませんが、また気になる楽曲ができたらお邪魔します。
そのときまで、それではまた。
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