注意書き
これは、拙作『ロミオとシンデレラ』の外伝です。
『アナザー:ロミオとシンデレラ』の方に登場した、メイコのボス、マイコ先生の弟のカイトの視点です。
この作品に関しては、『アナザー:ロミオとシンデレラ』を第四十三話【君に出あってからは旋風のようで】まで読んでから、読むことを推奨します。
ちなみに、マイコ=カマイト、ガイト=ニガイト、アカイ=アカイト、カゲイ=カゲイトです。
【カイトの悩み】
十二月三十一日の午後。母親が頭の痛いことを言い出した。
「カイト、ちょっとマイコと帯人のところに、これを持って行ってくれない?」
母親が指差したのは、幾つかのタッパーウェア。中身は見なくても想像がつく。母が用意したお節料理だ。
「……なんで僕が」
「母さんはまだお正月の支度があるし、父さんは二人のところに行きたがらないし」
兄さんたちのところに行きたくないのは、僕も同じなんだけどなあ。とはいえ、そんな本音を口に出すと、母さんが悲しむ。
「ガイトは?」
「あの子は受験勉強があるでしょ」
弟のガイトは高校三年生、つまり受験が控えている。僕も大学四年だけど、大学院の受験はもう合格している。
「家に食べにくればいいのに」
男の一人暮らし――正確には違うけれど――なんだし、お正月ぐらい戻ってくればいい。そうすれば、僕だって届けに行かなくて済むんだから。
「帯人は帰って来たがらないし、マイコは父さんが嫌がるでしょ。いいから行ってきてちょうだい」
断るのは無理そうだった。僕は大きめの鞄にタッパーを詰め込んで、家を出た。
家を出た僕は、駅まで歩く途中、どっちから先に行こうか考えた。長兄のマイト兄さんのところか、次兄の帯人兄さんのところか。……マイト兄さんの方にするか。どっちも面倒ってのにはかわりないんだけど。せめて今日が大晦日じゃなければなあ。
駅に着くと、僕はマイト兄さんの家の最寄の駅までの切符を買った。電車に揺られて、しばらくぼんやりと物思いに耽る。
マイト兄さんは、僕とは十一歳離れている。こう聞くとみんなびっくりするんだけど、僕たちは腹違いでもなんでもなく、同じ父さんと母さんから生まれた。そしてマイト兄さんというのは、僕が言うのもなんだけど、「できた兄」だった。学校の成績も良かったし、スポーツも得意だった。中高の六年間ずっと剣道部に在籍していて、全国大会でベスト4まで進出したこともある。どちらかというと内向的だった僕が、小さい頃に苛められずに済んだのは、偏にマイト兄さんの影響が大きい。
そして僕にとって、マイト兄さんは「自慢の兄」だった。小さい頃の僕には、単純にいい成績を取っていて、剣道が強くて、文武両道な兄さんが自慢だった。マイト兄さんが面倒見がよくて、僕やガイトを割とかまってくれたってのもあるけど。当時、僕も剣道をやってみようかと思ったこともある。結局続かなかったけど。幸い、勉強の方は得意だったので、僕は一生懸命勉強した。いい成績を取ると「マイトと一緒ね」と、両親が褒めてくれるのが嬉しかった。
なのに……なんで、あんなふうになっちゃったのかな。マイト兄さん。
何度目かわからないため息をついた時、目的の駅に着いた。鞄を抱えて電車を降り、改札を抜けて道に出る。しばらく歩くと、目的の建物に着いた。「アトリエ・シオン」マイト兄さんの、職場兼住居。
インターホンを押すと、しばらくして、マイト兄さんの声が聞こえてきた。
「は~いどなた……って、カイト? ちょっと待って、今開けるわ」
ドアが開き、マイト兄さんが出てきた。……今日はビーズがじゃらじゃらついたセーターに、段々になったスカートという格好だ。……はあ。
「いらっしゃい、今日はどうしたの?」
「母さんが、持って行けって」
僕は中に入ると、鞄を上がり框に下ろした。鞄を開けて中のタッパーを取り出す。確か、青いタッパーに入っているのがマイト兄さんの分だって、母さん言ってたよね。
「ああ、お節料理ね。どうもありがとう。……カイト、ちょっと上がっていきなさい。お茶でも淹れるわ」
「……いいよ。これから帯人兄さんのところにも行かなくちゃならないし」
僕はタッパーを見つめながら、そう言った。……行かなくちゃならないのは本当だ。それ以前に、マイト兄さんと差し向かいでどういう話をしたらいいのか、未だによくわからないってのもあるけど。
マイト兄さんは成績が良かったし、剣道も強かった。だけど大学の受験の時、マイト兄さんが言い出したのは、思ってもみなかったことだった。
「美大に行きたい」
当然、父さんも母さんも驚いた。マイト兄さんは絵は得意だったけれど、まさかそんな方面に行きたがるとは思っていなかったから。もっとつぶしの利く道にしろ、と父さんは何度も言った。それでも、マイト兄さんは折れなかった。
「美大に行って、デザイナーになりたい」
結局、二人は渋々納得した。マイト兄さんも頑張って説得したというのもあるけれど。マイト兄さんは美大に合格すると、猛勉強した。才能があったのか、在学中にコンクールで賞を取り、卒業後は外国に留学することになった。
父さんと母さんは当然喜んだ。ところが、二年の留学を終えて戻って来たマイト兄さんは、すっかり別人になっていた。
「ただいま」
マイト兄さんがそう言って、戻って来た時のことを、僕は今でも覚えている。玄関に立っていたマイト兄さんは、スカートを穿いて化粧をしていた。まだ中学生だった僕は、唖然としてそこに立ち尽くすことしかできなかった。
「ずっと、自分の性別に違和感があった。綺麗な服を着て、化粧して歩きたかった。それにそういう服が大好きなのに、好きだって言えないのも苦しかった。自分は長男なんだし、そんなことを考えたらいけないと思っていた。けど……もう限界なんだ。自分の感情に素直に生きていきたい」
それがマイト兄さんのしてくれた説明。父さんは当然激怒し、マイト兄さんに「二度と実家の敷居はまたぐな」と言って、家から追い出してしまった。マイト兄さんの方も覚悟をしていたのか、それっきり、実家に来ることもなかった。
そしてマイト兄さんは今、「アトリエ・シオン」を構え、そこで独立したファッションデザイナーとして仕事をしている。滅茶苦茶有名ってわけではないけれど、食べて行くのには困ってないようだ。
「お父さんやお母さんは元気?」
「二人とも元気だよ」
「ガイトは?」
「受験だからピリピリしてる。でも、あいつ、あれで要領いいから、ちゃんと志望校受かるだろ」
マイト兄さんの家の玄関で、立ち話をする。僕はずっと下を見ていた。派手な化粧をした兄さんの顔を、どんな風に見ればいいのかは、未だによくわからない。
「マイト兄さん」
「マイコ姉さんだってば。カイト、めーちゃんなら今日はいないわよ。大晦日だもの。仕事はないわ」
「……そんなのわかってるよ」
確か去年の夏だったと思う。僕がここに来た時――母さんが、頂き物のメロンが食べきれないから持ってけって言ったんだ――出迎えてくれたのが、めーちゃんだった。
「今、先生ちょっと行き詰っていて、来客があっても取り次がないようにと言われているんです」
「じゃ、これ、渡しておいてもらえますか。実家の母からなんです」
僕はメロンを差し出した。
「あら、美味しそうなメロン。え? 実家ってことは、先生のご家族?」
「弟のカイトです。あなたは?」
「私は鏡音メイコです。今年の四月から、ここで働くことになったパタンナーですよ」
パタンナー? ああ、そう言えば、前の人は辞めたんだっけ。で、この人が新しく入ったのか。そんなことを考えながら、僕はめーちゃんを眺めていた。明るい笑顔が印象的だった。
「良かったら、少しあがって先生を待ちません?」
「え、でも……」
「私、デザイン画があがるまで暇なんですよ」
めーちゃんは、僕を見てにっこり笑った。正直言うとマイト兄さんとは顔をあわせたくなかったんだけど、気がついたら僕は頷いていた。
居間で、めーちゃんがお茶を淹れてくれて、僕たちはしばらくお喋りをした。めーちゃんは今年の三月に専門学校を卒業したばかりの新米パタンナーで、だから、こんなところに就職できてものすごくラッキーだったとか、そのラッキーを無駄にしない為にも、一生懸命仕事をしたいんだけど、自分が上手くやれてるかどうかわからなくてちょっと不安なんだとか、そんな話を笑顔を交えながらしてくれた。
「カイトさんは大学生でしたよね」
「あの……敬語じゃなくていいですよ。だってメイコさん、僕より年上だし、社会人でしょ」
めーちゃんは何かを思案する表情になり、それから、悪戯っぽくくすっと笑った。
「本当にいいの?」
「あ……はい」
「じゃ、普通に話すわ。あ、カイト君も普通に話していいわよ」
「え……でも……」
「いいじゃない、年上っていっても一つしか違わないんだし、社会人といってもまだぺーぺーだし」
あっけらかんというめーちゃんの口調はすごく明るくて、僕はなんというか、乗せられてしまった。
「……わかったよ」
「はい、これで決まり。で、カイト君は大学生なのよね? 学部はどこ? 学校生活は楽しい? 私、専門学校卒だから大学ってよくわからなくって」
僕は問われるままに、大学のことや学部のことを話した。法学部に在籍していると言うと、めーちゃんはびっくりした表情になった。
「じゃあ法科大学院に行くの?」
「そのつもりで勉強してるよ」
法学部といっても、全員が法律関係に進むわけじゃない。つぶしが利くと言われている学部だし、迷ったのでとりあえずここにしたという奴もいる。とはいえ、僕は法曹関係に進もうと決めた方だけど。
「ということは、将来はやっぱり判事になるの?」
「え……?」
僕はびっくりした。こんなことを言われたのは、初めてだったから。僕の呆気に取られた表情を見ためーちゃんが、すまなそうな顔になる。
「あ……訊いたらまずかった?」
「いや、そうじゃなくて……法学部で法科大学院志望って言うと、大抵の人は『将来は弁護士?』って訊いてくるから」
少なくとも、今まで僕が法科大学院に行くって話をした人は、大体そんなことを言った。
「え……ああ、ごめんなさい。ただ今ちょっとカイト君と話していたら、なんかカイト君って判事が一番あってそうだなあって思えちゃったの」
明るい笑顔に戻って、めーちゃんはそう言った。深い意味はないようだったけれど……。
誰にも言ってなかったことがある。それは、僕が本当は判事になりたいということ。でも、僕が法科大学院に行きたいって言った時、父さんが当然のように「じゃあ、将来は弁護士だな」って言ったせいもあって、僕は自分の希望を言いそびれてしまった。そんなのおかしいって? でも、マイト兄さん、帯人兄さんと妙な形で実家を出てしまったから、僕まで「僕はこうしたい」って、大きい声で言うのは、ひどく気が咎めたんだ。
だから、未だに本当の希望は言い出せずにいる。でも、僕はやっぱり、将来は判事になりたい。
「僕って、判事に向いてそうに見える?」
「私は法廷って漫画やドラマでしか見たことないけど、でも、なんだかそういうイメージがしたの」
そう言って笑うめーちゃんを見ていたら、僕はなんだか自分に自信が持てた気がした。
「……ありがとう」
「え、私、何かお礼言われるようなこと言った?」
「あ、うん、その……」
僕が説明をしようとした時、居間のドアがバタンと音を立てて開いた。
「あ~駄目、ちょっと休憩するわ……ってカイト? 来てたの?」
「……うん。久しぶり、マイト兄さん」
スカートを穿いて化粧をしたマイト兄さんが、戸口に立っていた。僕はそっちを見ないで、返事をする。
「マイコ姉さんだってば。それはそうと、どうしたの? いつも用事だけ済ませてさっさと帰るのに」
「私が暇だって言ってつきあわせちゃったんです、先生、すみません」
「ふーん……」
マイト兄さんはのそのそと居間の中に入ってくると、ソファにどさっと座った。
「めーちゃんお茶淹れて……」
「あ、先生。実はさっき、カイト君がメロンを持って来てくれたんですよ。良かったらそれも切ります?」
「お願い。あ、めーちゃん、切り分けてみんなにも分けてあげて。カイトにも頼むわ」
はあいと軽い返事をすると、めーちゃんは立ち上がって台所に行ってしまった。……なんだか淋しい。
「そんな、僕は……」
「いいから食べときなさいよ」
僕は帰ろうかと思ったけれど、めーちゃんが消えて行った台所を見たまま、結局動けなかった。残念ながら、めーちゃんはお皿に乗せたメロンを持ってくると、他の部屋にいるスタッフのところにメロンを持って行ってしまったので、それ以上話はできなかったけど。
きっと、僕とマイト兄さんを二人きりにしてあげようと思ったんだろう。僕は、めーちゃんともっと話がしたかったんだけど。
マイト兄さんの家を出て、駅までの道を歩きながら、僕はめーちゃんのことを考えていた。
あの日、僕はめーちゃんに恋をした。そして、今もそう。
でも、めーちゃんに会う機会なんてそんなにない。めーちゃんの職場はマイト兄さんのアトリエだから、そこに行けば会うことはできる。でも、ファッションデザイナーのアトリエに、用事もないのに行ったら邪魔になってしまう。勉強だって忙しいし、マイト兄さんにはやっぱりあんまり会いたくないし……。
僕は母さんが「これ、届けて」と言う度、なるべく引き受けることにした。今回みたいに、めーちゃんが確実にいないとわかっている日以外は。もっともそういう用事も、月に一度あればいい方だし、忙しくてほとんど相手をしてもらえない時も多い。でも、めーちゃんに会って、ほんのちょっとでも話ができれば、僕は幸せだった。
できるなら、ちゃんとこの気持ちを伝えたい。でも、告白する勇気が僕にはなかった。何て言ったらいいんだろう。振られてしまったら、どうしたらいいんだろう。そんなことばかり、頭をかけ巡ってしまう。
一つだけラッキーなのは、めーちゃんの職場はマイト兄さんを除けば女性ばかりということだ。マイト兄さんの専門は婦人服だから、来る人も女の人が多い。さりげなく訊いてみても、めーちゃんに彼氏はいないらしいとのことだった。
このまま、めーちゃんにずっと彼氏ができなければいいのに。
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