第一章 04
「ここが厨房で、その奥は使用人達の居室じゃ。なれに……それ以上の説明はいらぬな」
「この下に地下水脈の水汲み場と祭事用とは別の祭壇がある。なれにはあまり関係ない所じゃな」
「この通路から先が軍の本部と宿舎じゃ。余が王宮におらぬ時は、大抵ここにおるじゃろう」
「この広間は朝夕の祭事の場でもある。なれは主にここで演奏をする事になるの」
「この階段の上が最上階、父上の……国王の居室じゃ。無断で上がればそこの衛兵に斬り伏せられるじゃろう。……王宮内は、だいたいこんな所じゃな」
王宮の二階にある広間の裏手でそう告げる焔姫は、伸びをするとバルコニーの外へと出ていった。
焔姫の案内は的確だったが、やや丁寧さには欠けていた。とはいえ、それでもわざわざ案内をしてくれたという事に、男は自分が焔姫に気に入られているのだろうか、と考えてしまう。分からないが、少なくとも嫌われてはいなさそうだった。
「……活気のある街ですね」
焔姫の一歩後ろで、彼女と共にバルコニーの眼下に広がる街を見て、男がつぶやく。明かりを使える者はそう多いわけではないはずだが、夕方だというのに、まだ街の通りには民や行商人が行き交いにぎわいを見せている。
「危うい繁栄ではあるがの。余はそれを守らねばならん。それが、余の義務じゃからな」
「……?」
街で聞いた話では彼女はこの国の将軍の地位でもあるという。焔姫の言葉は、その将軍という立場ゆえのものなのだろうか。そう思ったが、男にはそれ以上の覚悟がその言葉には込められているように感じられた。
焔姫の真意は図りかねたが、そもそも焔姫は男に分かって欲しくて言ったのでは無いようだった。ただ、自らに言い聞かせていたのだろう。見れば、街を見下ろす焔姫の顔はどこか暗い。
「そう言えば――」
それも一瞬の事で、気のせいだったのだろうか、と思えてしまうほどだった。焔姫はすぐに皮肉げな笑みと共に男を見る。
「なれは、なれの待遇に不満があるようじゃな」
「……」
とっさに否定出来ず、男は黙ってしまう。
「それなりによい待遇を用意したつもりなのじゃがのう」
「いえ……待遇が悪いと思っているわけではございません。ただ……」
「ただ、なんじゃ?」
男は居心地が悪そうに肩をすくめる。
「待遇が良すぎて、困惑しているのです」
焔姫は言っている意味が分からないといった様子で首を傾げる。
「私はこれまで、ずっと流れの吟遊詩人として生活してきました。どこかに仕えるという経験もなく、街角で稼いだ日銭でなんとか暮らしていたような者です。自分の部屋を与えられた事も、このような質の良い衣類に袖を通した事もありません。今日も、他の者達と同じように追い払われるだろうと思っていたくらいです。本来このような立派な所に仕える事など出来ないはずの身分である私が、このような事になって……初めての事ばかりでどうすればいいのか、どう振る舞えばいいのか皆目検討もつかない有り様なのです。それで……不満があるように見えたのでしたら、なんと申し開きをすればいいのか……」
そんな男の泣き言まがいの言葉にも、焔姫はさえぎる事なく静かに聞いていた。かと思うと、焔姫は声を上げて笑い出す。
「……姫?」
「いや……すまぬ。……そうか。そういう事じゃったのじゃな。まさかそんな風に考える者がおるとは思いもよらなんだ。そう言われてみれば、なれの態度にも得心がいく」
「も、申し訳ございません」
「よい。責めておるのではないのだ。謝るでない」
頭を下げようとする男を引き留め、焔姫は柔和な表情を浮かべた。
「歌ってたもれ。それで十分じゃ」
乞われて、男は弦楽器を構える。
『瞳閉じれば微笑む君よ 貴方はどんな顔だったろう
朽ちぬ身体というのに記憶は薄れ 滅び崩れて逝くのか
忘らるる想いよ風に乗り 消え逝く前に彼の人の元
潰えた道辿り着くまで 私のこの心届けておくれ』
歌いながら、焔姫とはどんな人物なのだろうと男は思う。
こうして歌を聞いている分には淑女にしか見えない。だが、昼間他の吟遊詩人を追い払っていた様は傍若無人だった。
男の想像など簡単に上回るほどに様々な顔を持つ“焔姫”は、一体どんな理由で彼を選んだのだろう。
男がそんな事を考えた所で分かるはずもなかったが、ただ、焔姫の機嫌を損ねないように気をつけなければならないのだろうと思った。
「――そうじゃ。なれに一つ仕事を頼まねばならんと思っておったのじゃった」
男が歌い終わり、その余韻にひたるように焔姫が息をついてから、彼女は忘れるところだった、と言いそうな軽い感じでそう言う。
「仕事……でございますか?」
「ああ。余の歌を作って欲しいと思ってな」
「即興でという訳ではなく……ですよね」
昼間、焔姫の歌を歌って散々に否定されていた男の事を思い出しながらそう確認すると、焔姫は無論じゃ、と言いたげにうなずく。
「時間が……かかります。まだこの国に来て日も浅く、この国の事や焔姫の事をよく知ってからでなければ、姫に満足いただける曲は書けないでしょう」
男が素直にそう告げると、焔姫は退屈そうに鼻を鳴らした。
「正直者じゃな。駆け引きをせぬのはつまらぬが、嫌いではない」
「申し訳――」
「謝るな。何度も言わせるでない」
「……は」
そう言う焔姫は、可笑しそうに微笑んでいた。そのころころとよく変わる表情に、男はこの仕事がいかに難しいかを思い知らされたような気がした。
「……では明日から頼むぞ。慣れぬ事は余や他の者に聞け」
「承知致しました」
その身を翻して歩いていってしまう焔姫に、男は慌てて返事をする。が、それが本当に焔姫に届いたのかどうかは分からなかった。
振り返る事無く去っていく凛々しい後ろ姿を半ば見惚れながら、男は、焔姫がこの「焔姫の曲を作る」事を頼む為だけにやってきたのではないだろうか、と思った。
そしてそんな焔姫に、男はどうしようもないほどに憧れと畏敬の念を抱いてしまったのである。
焔姫 04 ※2次創作
第四話
二重カギ括弧内は仕事してP様の「ECHO BLUE」より「コイウタ」から引用しました。この場を借りて感謝申し上げます。
ちなみに、男は吟遊詩人のくせにプロット上ではこの先あと一回しか歌う予定がありません。今回の第四話を読めば最後の一回はなんとなく想像がつくんじゃないでしょうか。……カイト、本当に吟遊詩人なのか?
第一章を書いている際は「あれ、プロットで書いた割に一話が短いな。思ってたよりは短くなるかも」とか思っていたのですが、今書いている第二章はやっぱり一話の文章量は長くなってきています。
最終的にどれだけの分量になるのやら。
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