【シューターの憂鬱】
第一話“再会”
人は見た目で判断しちゃいけない。
第一印象が悪いからってそいつのことを忌避するな。
とか、目上の人に良く言われる。わからないでもないし、きっと経験から出た言葉なのだろう。
その時代の不良の代名詞的アイテム、アイコンを一身にまとったようなめちゃくちゃな見た目の男が、意外とバイトの先輩に対する態度はしっかりしていて、敬語もきれいだし、飲み会なんかではお酌をしたり料理を小分けしたりといった気遣いも備えているということは確かにあるが、それは家族や学校、職場なんかで一緒の「身内」に対してであって、全くの他人に対しては、やっぱりめちゃくちゃだったりする。
「お前それ、蹴っちゃだめだろ」と注意しても、
「えぇー? 先輩、だってこいつ邪魔じゃないっスか」と、その相手が自分とかかわりのない者なら容赦ないのだ。
「避けりゃいいじゃないか、蹴飛ばさなくてもさ」
怪我でもしたのか道の真ん中でうずくまっていた子犬をである。
「このっ」また蹴る。まじかよ。
見た目で判断するな、という言葉が正しいかどうかはそのときの状況や相手との関係によって変わるということだ。子犬キッカーの彼も家ではハムスターを飼っていてとても可愛がっているというのだからややこしい。
とにかく大抵は見た目で判断した方が無難だということである。人間の、動物としての危険を察知する能力をなめてはいけない。
そういったわけでテツヤは、危なそうな見た目のヤツには、当然のこととして近づきたくないのだ。
ましてや自分からちょっかいをかけるなんて、もっての他である。
だから大学の帰りにゲームセンターに立ち寄って流行りのSTGをプレイしているのテツヤの背中に向かって、
「オメーよおオレのこと、舐めてんだろテメ、アッ?」
という声を浴びせらているこの状況は、彼にとってめちゃくちゃイヤな状況だった。しかもテツヤを威嚇するこの男の見た目ときたら、目は血走ってるし長くのばしてパーマを当てた髪は緑色に染まっているし鼻と耳にはピアスを開けているし眉毛は短く剃り込んでいるしタンクトップは豹柄でそこから伸びる腕は筋肉質でゴツくて浅黒いし意味なく安全靴履いてるし――と、テツヤのような割と温厚ないたって普通の大学生にとっては最高に近づきたくない相手で、要するにこの状況は彼にとって最悪だった。
「オメー、オレにケンカ売っといて半端なプレイしやがったらテメ、ただじゃおかねーぞ」
しかし緑頭の言うとおり、テツヤはその「最悪」に自分から向かって行って、それで今の状況になっているのだった。
30分前。
夕暮れ時。
大学の帰りだった。
来年に卒業を控えたテツヤは就職のことを考えると悩みが尽きず、気晴らしをしたい気分で街をぶらぶらしていた。
就職の悩みというのは、自分がいったいどんな仕事をしたいのかとか、楽で儲かる仕事を探してるのになかなか見つからないとか、夢追人でいたいけどそういうわけにもなぁ……とか、そういう類のものでは、無い。
テツヤが悩んでいるのは、大学の就職課の女性職員がきれいすぎるせいで、いろいろ相談したいのについ格好つけてしまい本音で相談できないことである。
しかしそれも悩みであることに間違いはなく、悩んでいる証拠にテツヤはことあるごとにため息をもらすし、食欲も最近減退していた。
悩みの種の女性職員の顔を思い浮かべると胸が痛んでうっとうしい。高い場所の書類を取るのにつま先立ちになったときのふくらはぎのなんと忌々しいこと。帰ろうとするテツヤに対して、花が咲いたような笑顔で「がんばってくださいね!」なんて、意味がわからない。
ともあれテツヤは、街を歩いていて目についたゲームセンターに立ち寄った。テツヤは、ゲームセンターに来るのは久々だった。
毎日を課題やサークル活動に追われながら過ごしていて、すっかりゲームをしなくなっていたのだが、昔はけっこうゲーマーで、こういうときの気晴らしにはゲームセンターはもってこいだと思った。
ゲームセンター「YYタウン」。
それは地下鉄の駅周辺の飲食店が立ち並ぶ一角から、路地ひとつ入り込んだ場所にあった。
うすぐらい照明、色とりどりに点滅するディスプレイ、そして喧騒……。
どこにでもあるゲームセンターだった。置いているゲームもそう。ストゼロ、鉄拳、バーチャ、デイトナ……。
だがゲーマー達の間で、YYタウンは特別な場所だった。
そこにはかつて“伝説”が存在したから。
テツヤはYYタウンの奥に人だかりを見つける。そこはSTG(シューティングゲーム)の筐体が並ぶ一角である。
気になったので見に行ってみると、人だかりの中心にあるのは、いまシューターの間で最もホットな横スクロールSTGである「4093」の筐体だった。誰かがプレイしている。
観戦しているギャラリーがささやき合う声が聞こえてくる。
「おい、見ろよ。最終ステージまでノーミスだぜ」
「それに動きに無駄が無い……」
「おいおい、こりゃ『月刊秘伝』から取材がくるぜ」
「この支援ユニットさばき……ここはダンスホールか?」
彼らはくちぐちに感嘆の声を発する。
それをうける人間――「4093」の筺体に座るのは、菩薩が刺繍されたスカジャンを着た男だった。
男は戦闘機をあやつり、淡々と敵機をなぎ払っていた。
背中の菩薩の顔は、慈愛に満ちた微笑みをたたえていた。
菩薩のスカジャンの男はギャラリーを魅了しながら快進撃を続け、難なくステージをクリアしていく。
そして、勢いは衰えぬまま最終ステージの終盤にさしかかり、敵機の決死の猛攻をしりぞけながら、ラスボスのもとへたどり着こうとしていた。
戦闘機は雷鳴とどろく雲海を抜けて高度を上げてゆく。黒々とした雷雲をつきぬけると、夕陽に照らされて朱にそまる空が広がっていた。眼下には赤い雲の絨毯。
画面奥で輝く夕日が徐々に沈んでいき、画面の中の世界は、夜の色に塗り替わる。
そして戦闘機の真下、雲の中に巨大な影があらわれ、シルクの布を裂くようにして現れたのは巨大な、翼の生えた8本脚の軍馬だった。
ギャラリーがどよめく。
「おい、サンダーホースだぜ! 隠しボスだ!」
「ここまで撃墜率95%を維持してたってのか!?」
「このままクリアしたらスペシャルボーナスもついて、スコアはとんでもないことになるぞ!」
テツヤは「4093」のプレイ経験は浅かったが、スカジャンの技術が驚異的であることは理解でき、すっかりそのプレイに魅了されてしまっていた。
いよいよラスボスとの戦いがはじまる。ギャラリーと共に、テツヤも固唾をのんだ。
隠しボス・サンダーホースが臨戦態勢に入った。まずは小手調べとばかりに、異形の軍馬が何百もの赤い砲弾をばらまいた。弾速は速いが、単純な軌道なので避けるのは難しくない。しかし対するスカジャンが操る戦闘機の挙動に、そこにいた誰もが驚いた。
戦闘機はまるで、自ら撃ち落とされようとするかのように、まっすぐサンダーホースに突っ込んだのだ。そして爆発四散した。
スカジャンはそこでプレイをやめてしまった。
ギャラリーは困惑し、あるいは落胆した。テツヤも同様だった。
しかしスカジャンは、そんなギャラリーの様子を意に介していないかのようにすっと立ちあがってその場を去ろうとした。
テツヤはすれ違いざまにこの男の顔を見た。それはテツヤのよく知っている、しかし、もう会うことはないと思っていた、意外な顔だった。
「キャプテン・ラルフ……?」
テツヤは思わず声に出して彼の名前を呼んでいた。
しかし男はちら、とテツヤに視線を向けただけだった。
「キャプテン……あなたですね?」
そのままYYタウンを出ようとしたスカジャンの男――キャプテン・ラルフの背中に、テツヤは呼びかける。
何年ぶりの再会だろう……。月日を経ても見まごうはずもない、あの華麗なプレイスタイル。――最後の自爆だけが不可解だったが。
「……」
立ち止まって、スカジャン――キャプテン・ラルフが振り返る。
目が合った。彼の双眸の冷たさをテツヤは覚えている。それは敵対勢力を淡々とせん滅するシューターの冷酷さによるものではなく、彼の秘めたる哀しみによるものである。
テツヤがまだ真っ直ぐな瞳をした少年のころ、キャプテン・ラルフにここで出会ったのだ。
テツヤを見返すラルフが、何かを言おうとくちを開きかけたとき、
「よぉ! またこんなチキンプレイしてやがるのか!? CPRサンよ!」
と、いかにも軽薄そうな声がキャプテン・ラルフにかけられた。
テツヤがふりかえると、髪の毛を緑色に染めた鼻ピアス男がへらへらしながらこちらに近づいてくる。しかも豹柄タンクトップを着ていて無駄にゴツい体格な上、浅黒い。うわぁ、とテツヤは思った。
「……」しかしラルフは動じない。ちら、と視線を向けただけだった。
「オメー、途中まではテメ、調子良かったみたいだけどよぉ、しょせんランキング2位の自分のスコアに迫ってただけだぜ! チキンプレイしかできないCPRサンは、このオレ、ジュン様のベストスコアにとどかないと見るや勝負をなげたってわけだ!」
わざと大きな声で演説のようにまくしたてるジュンという男。
CPRというのはキャプテン・ラルフのことを言っているようだった。
CaPtainRalphでCPR。
ジュンの後ろの「4093」のディスプレイ、デモプレイとともに表示されているスコアランキングの一番上に「JUN」という登録名があった。そのひとつ下に「CPR」という名前がある。
「オメーの腕前は大したもんだがよ、この『YYタウン』で今ナンバーワンなのはこのオレ!」
テツヤは、しかしよく喋るなこいつ何しに出てきたんだ? と、一歩ひいたところで思っていた。いるんだよなこういう、上手いからって他人を馬鹿にするやつ。
しかし次の言葉は聞き流すことはできなかった。
「以前ここに伝説の『キャプテン・ラルフ』とかいうシューターがいたようだがよ、オメーなんかじゃそんなホコリをかぶった伝説にすら追いつけないぜ!」
「……!」
キャプテン・ラルフに対する侮辱――。テツヤの胸中に浅黒緑ピアスに対する怒りが芽生えた。
この男は目の前にいるのがそのキャプテン・ラルフ当人であることを知らないのだが、頭に血が上ったテツヤには、今の緑頭――ジュンの言葉からそれに気づくことはできなかった。
ラルフはというと、ジュンの言葉に眉ひとつ動かしていなかった。
「……STGは点数稼ぎだけの的当て遊びじゃないぜ」
キャプテン・ラルフが静かに告げる。テツヤはその声の、かじかんでしまうような冷たさにぞっとした。だがジュンはそれを気にもとめてないようだ。
「アァ? バカ言ってんなよテメ、STGは当ててナンボ、稼いでナンボだろが!? オトナなCPRサンが屁理屈こねるのは勝手だが、半端なプレイするやつに『YYタウン』でSTGやる資格はねえんだよっ!」
なおも罵倒。
テツヤは憤る。
キャプテン・ラルフを侮辱するものは許さない。かつて、キャプテンと共にたたかった仲間として。
考える前に体が動いていた。テツヤは緑頭の前に歩み出る。
「お前なんかがキャプテン・ラルフを侮辱するな!」
テツヤは思わずくち走っていた。相手は豹柄タンクトップなのに。耳だけでなく鼻にもピアスを開けているのに。
「なんだテメ―は?」
相対するとわかるが、かなり怖かった。ゴツいしデカいし柄が悪い。そんなやつの敵意むきだしの血走った視線がいま自分に向いているのだ。
それでもテツヤは一歩も退かずに、
「俺が思い知らせてやる!」
と叫んでいた。
「ヒャハハハッ! お前がオレのハイスコアを抜くってかよ?」
馬鹿にしたように笑うジュン。体だけじゃなく声もでかい。めちゃくちゃうるさい哄笑だった。テツヤは気を張っていたのだが、思わず、びくっとした。
ともかくあとに引けなくなったテツヤは、「4093」の筺体に座った。
得意なゲームではない。全クリアしたこともない。
コインを投入すると、とたんに不安におそわれた。
自分が出しゃばったところで、キャプテン・ラルフの顔に泥をぬるだけじゃ……。
だが、退くわけにはいかない。やらなくては…………しかし――
そんなテツヤの肩に誰かがぽん、と手を置いて、耳元でささやいた。
「お前ならやれるさ、チーフ(参謀)」
キャプテン・ラルフの声だった。
その言葉には信頼が込められていた。肩に乗るラルフの手には不安を一掃する頼もしさが感じられた。
テツヤは思い出した。あの熱かった時代の記憶がよみがえった……キャプテン・ラルフとともに戦った日々の記憶が。
テツヤの顔つきが変わった。
そこにいるのは、毎日を無気力に生きる大学生・テツヤではなく、ましてや就職課の女性職員のふくらはぎを思い出すだけでぼーっとしてしまうテツヤでもなかった。
そこにいるのは、数年たった今なお語り継がれる伝説のシューター「キャプテン・ラルフ」の右腕であり、彼に絶対の信頼を置かれていたシューター「チーフ・バイパー」だった。
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