神の名前に堕ちる者
歌詞の補足の内容を書きます。詞の内容に興味を持っていただけた方は宜しければお読みください。主観的な内容なので、興味が無い方はスルーしてください。
祈ると救われる、神は罪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ雨を降らせる。という概念がカトリックの聖書にかかれているのですが、資本主義社会において、なくなる事のない格差や、産まれてきたにもかかわらず不条理に亡くなる命を考えると祈る事では埋まらない現実があるように思います。
2年前自分が死に面した時に、今ではのーのーと生きているわけですが
神様~!と祈りたくなるような状況の中、実際支えてくれたのは
近い人間達で、そして人はいつ死ぬかわからないので
常に近い人を思って日々生活する事が大事なんだと思いました。
カトリック学校で毎日読んだ聖書の教える、”祈る”という事よりも
近い人間を大切だ、居るんだな、と認識できる事、近すぎると
当たり前になってしまいがちだけど、そんな風に思えればいい、
と思ったりします。
祈る事や、自分自身の中に神という概念を置く事自体は否定しませんが
どんなに平等を思ってもそうならない世の中ならば、つながりを
大切にしてみるという解釈も一つ、そんな事を思い
ダイレクトではありませんが表現したつもりではあります。
30にもなって、いざ人の親として生活してみると
色々と言いたいものなのです(笑
失礼しました。