前編はこちらです
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今回は後編となります。張り切って参りましょう。

3⃣日本語で遊ぼう

 歌詞にはミーニング呼ばれる技法があります。端的に言うと同音異義語を用いた言葉遊びで、これを極めるところまで極めたのがずっと真夜中でいいのに。のACAねです。ミーニングの効果というのは僕は二つあると考えていて、一つは情報量を増やす事で印象に浮遊感を与える事。もう一つは情報を隠す事で言葉を飲み込みやすくする事です。わかりやすいところで例を挙げると「論理」と「ロンリー」を掛けたようなやつですね。「~していたい」という前向きな情動と「~して痛い」という、それは自分にとって痛みを伴う行為であるという表明を織り交ぜた表現も最近ではよく見かけます。僕は個人的にこれを「バカうどん構文」と呼んだり呼ばなかったりしているんですが、便宜的にここでは「ダブルセンテンス」と呼びたいと思います。ACAねの書くリリックはこのダブルセンテンスの極致とも言える技巧の集大成でもあり、インタビューなどを見ても彼女の同音異義語に対する深い執着が見えたりします。「勘冴えて悔しいわ」なんかは凄いですね。「一人を竹刀で叩きつける行為」に対する嫌悪の表明と「一人にしないで・一人にならないで」といった情動の表明をやったりしていて脳味噌がどういう構造してるのかマジで良く分からないです。

 もう一個ミーニングとは違うんですが「分解・再構成」というのもリリックライティングでは良く見かける技巧です。これには分解元となる慣用句やことわざなんかが必要になるんですが、そういった言葉の連なりを部分的に入れ替えたり、或いはそのまま用いる事によって全く違う意味合いを与えたりする事もできます。具体的にどれって言われるとなかなか出てこないんですが、例えばBEATMANIAなんかで知られるKONAMIアーティスの一角である「あさき」の作品群の中に「いきもの失格」という楽曲があって、これは言うまでも無く太宰治の「人間失格」のもじりなわけですが、歌詞の中にも「信じる者は救われる」という某宗教の常套句に応じた「信じるものは救われない」や、「前を向け」というポップソングにありがちなフレーズに対するアンチテーゼ的な「後ろ向け」、「右に倣え」は整列の時の号令としてよく言われる掛け声ですが、これに対応する「左倣え」なんかもあったりでなかなか面白い作品です。

 文字数にすれば数百文字と、原稿用紙一枚にも満たない歌詞に用いる事のできるスペースというのはやはり限りがありますし、情報を詰め込めるだけ詰め込められるようになっておいて損は無いので積極的にこういった技法は取り入れていきたいですね。といったところでようやく本日のメイン教材ジェラシー契約で用いられている遊びについて解体してその技法の髄を味わっていきたいと思います。どういった道筋でどんな表現が選ばれ、それが楽曲に対してどのような効果を与えているのかを見定めて、取り込む事ができそうなものは積極的に吸収をしていきましょう。

 これまで言ってきた通りLunaMayは基礎レベルからして高いので、レベルを上げた物理で殴るだけでもかなりハイレベルである事は疑いようもないんですが、氏の歌詞の見どころとして一つの要素だけを上げるのであれば間違いなく「日本語で遊び倒している」の一点に尽きます。例えば雨と白百合の姉グループであるベロティカの覚醒butterflyという楽曲に「ラリるレロロロロ」というキラーフレーズがあるんですが、これは「ラリる」という日本語スラングに「レロロロロ」という花京院典明よろしく何かを舐めまわしている擬音を組み合わせたものでお前は50音表をなんだと思ってるんだ的な言葉遊びを素面でやってきます。これだけ高い技術を持ちながら激しい下ネタのオンパレードを繰り広げる作家性の持ち主なので、たぶん前々前世が加瀬あつしか何かだったんだと思います。

 「耳・耳・耳」というサビ頭は、恐らく正規に表現すれば「御耳(おみみ)」で、「御」は「み」とも読むので「みみみ」になり、そこから音としての可愛らしさにちょっとした毒素を加える形で「耳・耳・耳」になったんじゃないかなと思ったりしてるんですが、なんかもう発想が異次元過ぎる。なんかそこはかとなくみみめめMIMIみたいで可愛い響きですね。みみめめMIMIに謝れ。ういっす。更にサビ頭を「い母音」の連続で抑えつけておいてからの「噛んで」の「あ母音」による伸びやかな開放に繋げるあたりが本当に音の感度が抜群でなんだこの化物。

 「小指の糸」の設定に「ドス黒さ」を持ってきたところにもセンスが光っていて、血って動脈だとヘモグロビンが酸素で赤くなってるんですが、酸素を運搬しおわってる静脈だと元の鉄の色になってるので黒いんですよね。「小指の赤い糸」っていうのは運命で結ばれたつがいを指す一般的な日本の言葉なんですが、「赤」を血の色に見立てた上で、「赤い血」の表裏である「黒い血」を持ち出して自分の心中や執着を描くというのはなかなか凄いセンスをしているなと思います。深読みするのであれば、黒い状態は「酸素を失っている状態」、つまり「愛に飢えている状態」とも言えるので、赤い状態に戻すためには「あなたと強く結びついて愛に満ちた状態にしなければならない」という決意表明を示しているような感じもします。

 それはそれとしても2Cで「卍固め」を書けるマインドがマジで宇宙。理屈としては1Cひと回し目の「契りましょう」の意味合いと、1C二回しめの「マーキング」の音を合わせたプロレス技(意味深)というのはわかるんですけど、じゃあそれをお前に書けるのかと言われると絶対に思いつかない自信がある。なんだこれ。発想と思い切りの良さが尋常じゃない。

 「丑三つ時の背後に御乱心」もなんかもう凄いです。先ず丑三つ時って「丑の刻参り」の時間で、相手を呪ってる時間なんですよね。じゃあ呪ってるのは誰なのかっていうと「君の周りの悪い虫」で、呪われてるのは主人公なんじゃないかなと思うわけです。たぶんラブホかなんかから出てきたか入っていくところだったか何にせよ深夜で二人でいた現場を抑えられたところなんだと思います。

 だから正規表現としては「丑三つ時の背後に御注意」になるんですけど、この場合はどちらかというと主人公の視点として言葉を綴るのでどっちかというと「あたしゃあブチ切れちまったよ」的な意思表明の場となるわけです。ましてや「乱心」は時代劇とかだとほぼほぼ刃傷沙汰とセットで語られる単語なのでたぶん色々やったんだろうなという弾みをつけます。そこからアッパーカットに繋げるのでたぶん物理攻撃を加えたんだと思うんですが、このあたりの一連の流れがとても楽しそうでとっても素敵です。

 アッパーカットの後のRa-ta-taは一見意味の無いオノマトペにも見えるんですが、恐らくここは後半フレーズとそれぞれリンクしていて「アッパーカット→真っ赤っか」「Ra-ta-ta→落下っか」に繋がるんじゃないかと思ってて、前者が物理攻撃による鮮血、後者が「rat-a-tat-tat」つまりドアをドンドンと叩く音、「♪」が歌詞として記述されている事から、さしずめ密会現場を鬼ピンポンして窓から逃げ出したお相手が落ちたところを楽しく描いたのか、もしくはアッパーカットからコンビネーションを繋げた連撃を描いたのかもしれませんが、どのみちとっても楽しそうにテンポよく描かれています。サイコパスが過ぎる。すでにお気づきの方も多いかと思うんですが、ここ徹底的に「あ母音」なんですよね。「ト」と「っ」に関してはほぼ発音されない音なので、聞いている方からするとずっと伸びやかな「あ母音」が連続している形で、それがフレーズ全体の爽やかな印象に貢献していると言う事ができるでしょう。爽やかって何だっけ。

4⃣技術を学び続けていこう

 さて、そんなこんなで歌詞の主だった技術的な技法の紹介でした。芸事ではよく神は細部に宿るといった事が言われますが、基礎的なレベルは満遍なく上げた上で、どんな技法を用いるか、何故その技法を用いるのかに対しても意図を与えられるかどうかというのが作品作りにおいては重要な部分となってきます。これはモチーフそのもののをどう捉えて、どういった側面を選んでどう描くかのと同じぐらい重要なものです。時代の変遷と共に求められるメッセージが変わっていけば、当然それを描くために求められる技法も変わっていきますし、今日の最新技術が明日には化石と化しているかもしれない。それはリリックライティングの世界でも何も変わりません。最終的に何を是として何をどう描いていくかを選ぶ事は作家自身が積み上げていくべき作家性の選択ですが、そもそも知らなければ選択のしようもありません。流行を追えと言っているわけでは無く、その変遷に食らいついて新たな技術や技法に対しては常に積極的にアンテナを張ってその構造を捉え、盗めるものは積極的に盗んで道を切り開いていきましょう。そういって積み上げた作家性の歩みの果てに新時代の先端を切り開いていくのは、他でもないみなさんの綴る言葉であるかもしれません。励んで参りましょう。

 それでは今回はこの辺りで筆を下ろしたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。

(終わり)

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

【作詞講座】技巧編第二部:日本語で遊ぼう

最終的に何を選ぶのかが作家性です。
何かを選び抜いた証が作品です。

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投稿日:2024/08/05 01:23:08

文字数:3,879文字

カテゴリ:その他

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