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…と言うわけで、この歌詞の感想欄を、個人用掲示板として活用させていただくことにします。 軽い話題ならば明るくこちらで(↓) http://piapro.jp/a/content/?id=zyqh8uz5p7fkr9ud 返事が必要だったり、議論討論になりそうな場合だったりした場合は、此方へ(↓)どうぞ。 ともかく、 日記として、独りで勝手に書いてます。
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投稿日:2008/04/02 17:47:32
文字数:26文字
カテゴリ:その他
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ご意見・ご感想
【共同作業】 自分の考えている共同作業というものは、 アカデミズムのそれに似ている。 どんなに嫌いな奴の論文でも、自論の証明に欠かせないものであれば、 敬意を払って引用するし、反論・否定をする相手が、人間的に嫌い だ…という訳ではない。 だから、例え自らが好きでもなくとも、世間の大勢に訴えかけるならば、 それに必要な要素であれば、ステレオタイプを最大限に利用する。 似たキャラならよりメジャーなものをオマージュする。そこに自らの フェティッシュや個人的趣向を投影するなんて考えられない。 パクリと言われても、それにより自らのメッセージが分かり易く伝わる ならば、甘んじてその非難は受けるべきだと考えている。 これは、いわゆる組織によるチームプレイとは異なる。 同じ釜の飯を食うような意味での共同作業ではない。 もっと広い意味での共同作業と言いうる現象を語っている。 これまで、無自覚に影響され、また影響しあっている 無意識的な共同幻想的な集合的無意識レベルでの 「共同作業」をもっと顕在化できないだろうか? できるのではないか…という試み。 大きすぎて成功しないのは見えている。 けどそれを私はムダと考えない。 タロットの言う魔術師(逆)…実現しない計画 多くの者がムダと考えることは判っていても、掲げる事そのものに意味がある。
2008/04/28 18:01:54
【なぜなら】 「なぜなら」の理由を付けなければならない存在の 弱い立場を理解して欲しい。してあげて欲しい。 ありがちな映画のTVCMのように、 「よかったー!」「感動した!」 そんな言葉だけで共感できる者は幸いである。 しかし、そんなことでは共感できない者も居る。 また、そことは異なる場所で感銘を受けた者は、 その「良さ」を説明するのに、どうしても言葉が要る。 どこがどう良いのかを理解して貰うために、 どうしても言葉を足さざるを得ない。 相手の感動に水をささないように、細心の注意を払いながら。 感情だけで「うんうん」 それで済んできた者は、そういったコミュニティーにのみ 身を置いてきた者は、 「なぜなら」を付け加える者は上段からうんちくを偉そうにたれる…教訓・訓辞を誇らし気に喋る…そんな存在~においてでしか、関わり合いを持たなかったのだろう。だからそれしか思い当たらない。 故に、反射的に不愉快を感じる。動機の如何を精査する必要性を感じない。 自分なら、誰かに理由もなく突きつけられる不愉快などに、どう対応するか…そんなことに考えを及ばすこともなく、自分のその気持ちを言葉で伝え返そうとする努力に向かうこともなく。うけうりの言葉を被せてくる。 だから、対話にすらならない。成りようがない。 日本には「自主規制」は存在しないとある人は言う。 あるのは、基準無き「他律規制」のみ。 「おでさま」の気分次第。波風を立てずにただ耐える。 自分も相手をも縛りながら…。自分一人が被害者意識で …加害者として荷担をしている。
2008/04/20 17:42:26
【ピアプロ(peer production)】 このPIAPROってサイトが「ピアプロ(peer production)」ってものを、ほんとうはどう理解しているのか、参加者が「ピアプロ」を口にする度に訝しくなる。荒れかけたトロ板へ管理人の対応が、それを見定めるチャンスだと身構えていたのだけれども、それを確認できるほどの展開は見られなかった。…安心であり残念であり。 PIAPROは「ピアプロ」というものをどう理解しているのだろう? 真に対等な関係…弱者も強者も許容される…を目指しているのか/違和感を感じる奴は端から排除していって、残った同質の仲間が均質なコミュニティー(≒楽園)を守る形にしたいのか。だが、私はそれ(後者)を「ピアプロ」だとは思えない。 もちろん、ITの巨人、強者優者が幅を利かせるネットの中で、か弱きPIAPROっだって、生き残ることが許されるべきだ! という主張も、それはそれで「ピアプロ」の精神の体現だ…その視点を限定すれば。ピアプロと十分に言える。言い張れる。 戦後あの日本の大企業も、気分は同じ。極東の弱小国…列強の下請け。中小の屈辱に近いものを持っていた。その感情は護送船団の中、大企業は中小下請けに、中小企業は孫請けに、弱小企業は社員へと、同じ関係を同じ主張のまま下へ下へとつけ回してきた。その関係と、そっくりではあります。 そんな中小が大手を出し抜き、直接市場を開くことも、それを実現させた技術と共に「ピアプロ」だって言いうる。その「ピアプロ」を自認する存在が、下位の存在に「ピアプロ」を希求させていても、いなくとも。 でもやっぱり、この「ピアプロ」って言葉の真意は、それが末端の個人一人一人に至るまで、選択の自由を、表現の自由を手に入れられる究極の状態…を想定しているものだと思う。しかしそれは、絶対に到達し得ない「理念」の言葉でもある。 絶対に到達し得ないから楽園。どこにも無いからユートピア。 それは、マルクスの共産主義(本来の意味)とかなり似ているところがある…。 あの頃、洋の東西を問わず社会主義に傾倒した者が多く居た。似た幻想を、この「ピアプロ」という言葉に見ていやしないだろうか…。そして同じ言葉を巡る異なるイメージによって、その意味が混同させ、すり替えられて行くのかもしれない。そして歴史は繰り返すのか…。どっちとも取り難い。
2008/04/18 19:27:53
日本の世間ってやつは、 犬のように腹を曝して、まな板の上の鯉を演じて いる者にしか、反省の態度を認めませんからね。 …ここもかなり、日本的雰囲気が支配している。 (当たり前っちゃ当たり前なんだけれども…) 具体的謝罪はすべて言い訳にしか聞こえない。 要点を絞った再発防止策は、免罪符(言い逃れ)としか受け止められない。 だから、同じ過ちを繰り返す。天災は忘れた頃にやってくる。
2008/04/18 19:24:34
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【共同作業】
自分の考えている共同作業というものは、
アカデミズムのそれに似ている。
どんなに嫌いな奴の論文でも、自論の証明に欠かせないものであれば、
敬意を払って引用するし、反論・否定をする相手が、人間的に嫌い
だ…という訳ではない。
だから、例え自らが好きでもなくとも、世間の大勢に訴えかけるならば、
それに必要な要素であれば、ステレオタイプを最大限に利用する。
似たキャラならよりメジャーなものをオマージュする。そこに自らの
フェティッシュや個人的趣向を投影するなんて考えられない。
パクリと言われても、それにより自らのメッセージが分かり易く伝わる
ならば、甘んじてその非難は受けるべきだと考えている。
これは、いわゆる組織によるチームプレイとは異なる。
同じ釜の飯を食うような意味での共同作業ではない。
もっと広い意味での共同作業と言いうる現象を語っている。
これまで、無自覚に影響され、また影響しあっている
無意識的な共同幻想的な集合的無意識レベルでの
「共同作業」をもっと顕在化できないだろうか?
できるのではないか…という試み。
大きすぎて成功しないのは見えている。
けどそれを私はムダと考えない。
タロットの言う魔術師(逆)…実現しない計画
多くの者がムダと考えることは判っていても、掲げる事そのものに意味がある。
2008/04/28 18:01:54
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【なぜなら】
「なぜなら」の理由を付けなければならない存在の
弱い立場を理解して欲しい。してあげて欲しい。
ありがちな映画のTVCMのように、
「よかったー!」「感動した!」
そんな言葉だけで共感できる者は幸いである。
しかし、そんなことでは共感できない者も居る。
また、そことは異なる場所で感銘を受けた者は、
その「良さ」を説明するのに、どうしても言葉が要る。
どこがどう良いのかを理解して貰うために、
どうしても言葉を足さざるを得ない。
相手の感動に水をささないように、細心の注意を払いながら。
感情だけで「うんうん」
それで済んできた者は、そういったコミュニティーにのみ
身を置いてきた者は、
「なぜなら」を付け加える者は上段からうんちくを偉そうにたれる…教訓・訓辞を誇らし気に喋る…そんな存在~においてでしか、関わり合いを持たなかったのだろう。だからそれしか思い当たらない。
故に、反射的に不愉快を感じる。動機の如何を精査する必要性を感じない。
自分なら、誰かに理由もなく突きつけられる不愉快などに、どう対応するか…そんなことに考えを及ばすこともなく、自分のその気持ちを言葉で伝え返そうとする努力に向かうこともなく。うけうりの言葉を被せてくる。
だから、対話にすらならない。成りようがない。
日本には「自主規制」は存在しないとある人は言う。
あるのは、基準無き「他律規制」のみ。
「おでさま」の気分次第。波風を立てずにただ耐える。
自分も相手をも縛りながら…。自分一人が被害者意識で
…加害者として荷担をしている。
2008/04/20 17:42:26
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【ピアプロ(peer production)】
このPIAPROってサイトが「ピアプロ(peer production)」ってものを、ほんとうはどう理解しているのか、参加者が「ピアプロ」を口にする度に訝しくなる。荒れかけたトロ板へ管理人の対応が、それを見定めるチャンスだと身構えていたのだけれども、それを確認できるほどの展開は見られなかった。…安心であり残念であり。
PIAPROは「ピアプロ」というものをどう理解しているのだろう?
真に対等な関係…弱者も強者も許容される…を目指しているのか/違和感を感じる奴は端から排除していって、残った同質の仲間が均質なコミュニティー(≒楽園)を守る形にしたいのか。だが、私はそれ(後者)を「ピアプロ」だとは思えない。
もちろん、ITの巨人、強者優者が幅を利かせるネットの中で、か弱きPIAPROっだって、生き残ることが許されるべきだ! という主張も、それはそれで「ピアプロ」の精神の体現だ…その視点を限定すれば。ピアプロと十分に言える。言い張れる。
戦後あの日本の大企業も、気分は同じ。極東の弱小国…列強の下請け。中小の屈辱に近いものを持っていた。その感情は護送船団の中、大企業は中小下請けに、中小企業は孫請けに、弱小企業は社員へと、同じ関係を同じ主張のまま下へ下へとつけ回してきた。その関係と、そっくりではあります。
そんな中小が大手を出し抜き、直接市場を開くことも、それを実現させた技術と共に「ピアプロ」だって言いうる。その「ピアプロ」を自認する存在が、下位の存在に「ピアプロ」を希求させていても、いなくとも。
でもやっぱり、この「ピアプロ」って言葉の真意は、それが末端の個人一人一人に至るまで、選択の自由を、表現の自由を手に入れられる究極の状態…を想定しているものだと思う。しかしそれは、絶対に到達し得ない「理念」の言葉でもある。
絶対に到達し得ないから楽園。どこにも無いからユートピア。
それは、マルクスの共産主義(本来の意味)とかなり似ているところがある…。
あの頃、洋の東西を問わず社会主義に傾倒した者が多く居た。似た幻想を、この「ピアプロ」という言葉に見ていやしないだろうか…。そして同じ言葉を巡る異なるイメージによって、その意味が混同させ、すり替えられて行くのかもしれない。そして歴史は繰り返すのか…。どっちとも取り難い。
2008/04/18 19:27:53
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ご意見・ご感想
日本の世間ってやつは、
犬のように腹を曝して、まな板の上の鯉を演じて
いる者にしか、反省の態度を認めませんからね。
…ここもかなり、日本的雰囲気が支配している。
(当たり前っちゃ当たり前なんだけれども…)
具体的謝罪はすべて言い訳にしか聞こえない。
要点を絞った再発防止策は、免罪符(言い逃れ)としか受け止められない。
だから、同じ過ちを繰り返す。天災は忘れた頃にやってくる。
2008/04/18 19:24:34