僕は春が嫌いだ。

そんなことを言ったら異端だと罵られてしまうかもしれない。
けれどどうしたって好きになれないのだ。
春といえば厳しい冬が終わって緑が芽吹き始め、
人々は新しい季節に心を躍らせるものである。
新しい学校、新しい職場、新しい友達。
春を称え喜ぶ様子はそれこそ歌にも歌われるほどにたくさんある。
けれど、何かが始まるということは、
何かが終わるということに他ならない。
例えばクラス替えや親の転勤に合わせての転校とかで
友達と離れ離れになるのもこの季節だし、
毎年盛大な被害をもたらす花粉が飛び散るのもいただけない。
そうして何より僕は今置かれている状況に心を苛まれているのだ。

胸には可愛らしい白い花のコサージュ、
手には重厚な黒い色をしている割に拍子抜けするほど軽い筒。
ご丁寧になくなっている制服の上から二番目のボタン。

今日は、卒業式だった。




桜の花びら泣く頃に




通いなれた坂道を一人のそのそと下っていく。
結構な急勾配で帰りは楽でいいのだが、
遅刻しそうな時などは全速力で駆け上る羽目になり、
この世の地獄を幾度となく味わされてきた宿敵ともいえる存在である。
それも今日で最後かと思うと少しだけ、ほんの少しだけだが寂しくなった。

「そういえば、アイツと会ったのもここだったっけ」

夕日で長く伸びた影に向かってそっと呟く。


あれは入学して三日もしない帰り道、
一つ前の門で早速できた友人たちと別れて坂道を下っていた時のことだった。
真新しい革靴が敷き詰められた桜の絨毯を踏む感覚はまだ少しだけむず痒く、
慣れるまで時間がかかりそうだった。
そんなことをぼんやりと思いながら
丁度坂の終わりに差し掛かったところで背後から悲鳴にも似た声が響く。

「ごめんっ……! よけてぇええ!!!」
「っ!?」

振り向いた瞬間衝撃が体を襲った。
重量のある何かが勢いをつけてこちらへ突っ込んできたのである。
ガシャーンという派手な音とともに、僕はバランスを失い地面に倒れこんだ。

「いって……」
「……う」

鈍く痺れる体をさすりながら上体を起こせば、
横倒しになった自転車とそれに折り重なる少女の姿。
スカートからのぞく白い太もも、
そうしてその先にある禁断の領域に心臓が跳ね上がった。
……白と緑の縞々模様はとても鮮やかで、
男に生まれてよかったと実感する。

「いたた……」
「……!」

その視線を咎めるが如く、図ったようなタイミングで少女の声が小さく響く。
急いで顔をそちらに向ければ、まるで人形のように可憐な容姿が視界の全てを多い尽くした。
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃、
指の一本でさえその場に縫いとめられたかのように動かせない。
呼吸さえ忘れてしまいそうだった。
まるでスローモーションのように、長いまつげがピクリと震えて瞼が開く。
大きなくりくりとした瞳に映るのは口をぽかんと開けている間抜けな自分の姿。
一瞬のような永遠のような沈黙、そして……

「わ、わ、ご、ごめんねっ大丈夫!?」
「えっ!? いや、その……」

目を白黒させて謝る少女と動転してうまく言葉を返せない自分。
気が動転して必要以上に泳ぐ視線は少女の顔とスカートの間を行ったり来たりする。
それに気づいたのか、少女はきゃあと小さな悲鳴を上げて、
乱れた裾を必死で押さえつける。
りんごのように高潮した頬でこちらをにらみ付けるが、
愛らしい顔立ちのせいか、かえって可愛らしく見えてしまう。

「見たでしょ」

鈴の鳴るような声で、少女は非難の言葉を吐く。
絶対的な断定。確かにそれは事実に違いないけれど、
偶然がもたらした産物なのである。
たまたま坂道を歩いていたら自転車に突っ込まれて、
乗っていた少女が転び、スカートがめくれてしまった。
自分は被害者なのだ。何も悪いことはしていない。

「不可抗力だ!」
「でも見たでしょ」
「見たくて見たわけじゃないぞ」
「なにそれ!」
「いいから早くどけろよ、重いんだ」

売り言葉に買い言葉、とっさに口をついて出た弁解は
いつしか空回りの言い訳に変わり、
双方のボルテージは上昇するばかりである。
よく見れば少女は自分と同じ学校の制服を着ていて、
学年を分けるセーラー服のスカーフの色は赤、
すなわちこの春入学したばかりの一年生、自分と同学年ということになる。
下手をしたらこの一件に尾ひれや背びれや胸びれがついて
学年中に流れるかもしれない。女子の噂の伝達力は恐ろしいのだ。
そんなのは真っ平ごめんである。
きつい口調で下半身にかぶさった自転車を指差せば、
少女は理性を取り戻したのか、とても申し訳なさそうな顔をした。

「あ、ゴメン。痛かったよね……」

明らかに意気消沈した声のトーン。
俯いたままそっと起き上がり、自転車を持ち上げようとする少女。
目にはうっすらと涙が浮かび上がっているようにも見える。
少し強く言い過ぎてしまったのかもしれない。
言いがかり(……のようなものと言ったほうが正しいが)
をつけられて頭に血が上っていたとはいえ、
相手は可愛い女の子なのである。

「その、僕も少し言い過ぎたけど」
「いたっ!」
「ぐっ!!」

なんだか悪いような気がしてフォローしようとしたけれど、
持ち上がった自転車が再びガシャンと足の上に落ちる音と痛みで
かき消されてしまった。
仰ぎ見れば少女は眉を寄せ目をぎゅっとつぶって小刻みに震えている。
どうやら足をひねっているらしい。

「ご、ごめっ…」

少女は慌てて謝罪の言葉を述べて再び自転車を持ち上げようと屈み込む。

「あ、大丈夫だから!」

痛みに耐えようとする姿がなんだか居た堪れなくて、
本当はじんじんと鈍く痛む体を無理やり自転車を持ち上げて引き抜いた。
どうやら自転車のほうもご臨終らしい。
カゴがひしゃげているくらいならまだましだったのだが、
もともと磨り減っていたのか坂との摩擦でかタイヤが随分貧相になっていたし、
ご丁寧にブレーキまで壊れていたようである。
雨ざらしにしていたのか、錆びで赤茶けていて非常にききが悪そうである。
(……これが事故の原因かもしれない。)

「そっちこそ、足、平気?」
「歩くと痛いかも…」
「そっか…えっと…」

突然のハプニング、目の前には怪我をした可愛らしい(ここ重要)少女。
幸か不幸か周囲には人がいない……
コレは別の意味での春が訪れる絶好のシチュエーションに他ならない!
と、脳内のきっと本能に近い部分が叫んでいる。
けれど現実世界の自分がそれに忠実になれるかと言えばこのとおりである。
『家まで送ってやろうか』のたった一言さえ言えない。
それどころか、もし誰かに見られでもしたらと思うと
背中から変な汗まで出てくる始末である。
積極的にこの場をどうやり過ごすか、という方法を探しているのだ。

「あのさ」
「え、ナニ!?」

脳内の葛藤などお構い無しに少女がこちらに語りかけてくる。
……それも、顔を覗き込むように上目遣いで。

「良ければ肩貸してくれないかな、ウチすぐそこだから」

しかも、さっきまでの表情とは打って変わって、極上の笑顔で。

……答えは一つしかなかった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい

【小説】桜の花びらなく頃に【桜ファンタジア】

コラボ企画、桜ファンタジア1st捏造妄想爆走小説前編です。
履歴で後編。
ちなみに本部非公式の二次創作なので、
原曲の素敵なイメージを保ちたい方はスルー推奨だぜ。


稚拙な分ですが、少しでも楽しんでくだされば嬉しい。

何だこのコラボ企画、面白そうじゃないか、
と思った方はコチラ。

桜ファンタジア製作委員会本部


http://piapro.jp/a/content/?id=nxq2li06a3xwwxam

閲覧数:309

投稿日:2008/02/29 05:18:35

文字数:2,983文字

カテゴリ:その他

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