不思議な体験を、文字にしておきたいと思い、今パソコンに向かっている。



金曜の夜、あまり眠れなかった。
少ない睡眠時間のまま、久しぶりに会った彼と映画を見た。
もしかしたらこのとき既に、何かが始まっていたのかもしれない。
と、今の私には思えてならない。

映画。そもそもそれが現実世界とは異なる物語だった。
悪く言えば「空想の世界」であるその映像に惹きこまれたが、気が付けばいつもの風景だった。
いつもとは少し違う時間を過ごしつつも、その時間の充足感はいつもの通り私にやってきた。

反対方向の電車に乗って私を家まで送ってくれた彼は、ここ数回のうちその場所で繰り返していたキスをしなかった。
多少と呼ぶには難しい程度の淋しさを感じながらも、私にそれをせがむ勇気があるわけもなく、そのままじゃあねと手を振った。

その夜、いつものようにベッドに下半身をうずめ、ゲームに耽っていた。
理性で眠るのではなく、自然とやってくる眠気に身を委ね、眠りにつくはずの深夜。
私はその感覚を忘れ去ってしまっていた。
それでも、すりガラスの窓から伺える気配が朝であることを知らせ始めたころになって、本能ではなく理性が、このまま一睡もせずバイトに向かうのは自殺行為である。という思考に至ったので、私は3時間後に迫ったバイトに向けて目を閉じた。

目を閉じても襲ってくるのは、静寂と眠気ではなく、生き物が活動を開始し始めた外の気配と、それに反応してますます眠ろうとはしない身体との葛藤だった。
しかし、人間はやはり目を閉じてじっとしていると眠ってしまう生き物なのだろう。気が付けば、置手紙を読んで起こしにきてくれた母親の声で目を覚ました自分がいた。
2時間しか眠っていないにもかかわらず、私の意識は朦朧としてはいなかった。もともと寝起きは悪い方なので、それなりにぼーっとした脳できちんきちんと準備をし、バイトへと出かけた。

その日は3時間勤務の予定だった。久々に睡眠時間よりも長い勤務であることと、責任者がいつもとまるで違うことから、気を引き締めいて1時間半ほど仕事をこなしていた私にかけられたのは、暇だからもう帰っていいよ。という声だった。

普段ならまかないの食事をしてから店を後にするのだが、その日は姉にコンビニでおつかいを頼まれていたので自分の食事もそこで買おうと思ってまっすぐに店を出た。
頼まれていたものとおにぎりとから揚げ串、それといくつかのスナック菓子を手に帰宅した私は、ぺろりとから揚げ串をたいらげた後、例にもれず下半身をベッドにうずめゲームを起動させた。

どれくらい経ったのかわからないが、空腹感に気づいた私は先ほど購入したスナック菓子を食べようと思い手にとる。ゲームには両手を使うので、食べている間だけ携帯を弄っていようと思い、左手に携帯右手に菓子という体勢をとった。

そこで私は出会ってしまったのだ。とてつもない引力を秘めた物語に。
ふと目を引いたトピック。なんとはなしに読み始めた。そこからの記憶は、携帯の文字を追っているのと食事をとったことくらいだろうか。
先日の分の睡眠時間を取り戻すかのように眠っていたようだが、いつ眠ったのか、どれだけ眠ったのか、私にはわからなかった。とにかく物語を読むのに必死で、気づけば32万字を読んでいたらしい。

その物語は、とある天才が、天才であるが故に引き起こしてしまった世界の終わりから、千年の冷凍睡眠を経て目覚め、孤独に襲われ一度は死にながらも、引き換えに生み出された者が歩いて歩いて、出会いと別れ、他者の生と死に触れることを繰り返し、やっと歩く意味を見いだし、しかしながら道半ばで倒れてしまったもはや天才ではない彼を取り巻く、壮大という言葉意外に形容しがたい物語。

途中から私は、物語を読んでいるのではなく、私自信が歩いているような感覚になっていた。だからか、とても疲れた。それを読んでいる10時間の間、私は依存していたとも思われるSNSサイトに一切いかなかった。オンラインでの繋がりが日常になっていた私にとって、世界から隔絶された状況で、前述したような物語に心身ともにのめりこんだ。

今にして思えば、なぜかあまり眠れなかったあの金曜日の夜から、いつもとは違うことの繰り返しだった。こんな文章を書いていること自体も、いつもならしないことだろう。
それでも書かずにはいられなかった。おそらく私は、現在を生きながらに、あの世界にも生きたのだと思う。小さい頃は人前で泣くことがどうしても嫌で、感動しても泣いていないぞぶりを見せていた。
最近ではその反動なのか、些細なことにも心動かされ、涙腺が仕事をがんばってしまう。それでも、音楽と歌詞と映像によって涙することはあっても、文章だけで泣くことは、今までなかった。
これもいつもと違うこと達の一部なのだろう。登場人物の一挙一動にリンクし、一緒になって息を呑んだり笑ったり泣いたり、悲しかったり苦しかったり、さまざまな感情を共にしたのだ。

とても、楽しかった。こんなありきたりな表現しかできない自分の脳の未熟さに嫌気がさすがそれでも、本当に楽しかったのだ。今まで自分で体験してきた底の抜けた楽しさとは絶対的に何かが違う、悲しみも苦しみも何もかを内包した、楽しいと感じる出来事。どこに出かけたわけでもない、ずっと家にいながらにして、こんな体験をしたのは、すごく幸せなことだと思った。

物語の中である人が言っていた。物事は、終わってからそれを振り返ってみてこそ、初めて意味が生まれるんだ。と。食べることの終わりは、便をして尻を拭く事だ。と。
それと同じように、私はこの体験の終わりとして、これを書いているのだろう。

書き終えることで、本当に終わってしまうのが淋しいと思ってしまうほどに、この体験は私の中で大きな面積を占めている。日が経てば、歳をとれば、それは薄れていくのかもしれない。それでもそのときには、これを読み返してまたあの世界にひたってみたいと思う。思うよ。

どこの誰かもわからないあなたへ、いつかの自分から、最大限の感謝を込めて。


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私が私ではなかった時間

たぶん、ただの自己満足。

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投稿日:2011/03/07 19:56:38

文字数:2,524文字

カテゴリ:その他

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