おたくからオタクへ
岡田斗司夫「オタクはすでに死んでいる」からのインスパイア。
彼の定義とは微妙に違いますが、彼が押さえていない部分を押さえてみたつもり。
備考>
図の「MM」はマルチメディアの略。…次世代のステレオタイプとしての塊が、後に何と呼ばれることになるか未だ判らない。予言者じゃないから。だからここでは便宜的に「MM」としておく。
次世代への期待をこめてMMIIを図の位置に置いたけれど、そう呼ぶべき塊は、オタクIVと重なっているかもしれない。
コメント3
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ご意見・ご感想
uri
その他
「おたく→オタク」から「オタク→OTAKU」へ
その流れが、どこか
「バンドブーム → Jポップ」と同じ
さもしい幻想化に見えてならない。
海外評価にしか価値を見出そうとしないその態度が、
歌謡文化を没個性化・画一化に拍車をかけたように、
このおたく文化…戯画文化…も、似た経緯を辿どる
のではないか…と危惧する。
国が補助すると創造性が奪われると言っていた方も居たっけ。
オタクからOTAKUへの流れによって、いわゆるオタク文化も、
Jポップ産業複合体の掲げた「Jポップ」のようなファンタジー
のようなものになってしまわないか心配だ。
そもそも表現活動・文化的生活に興味の無い経済主義者の旗振り
によって、実の無い虚実・虚構にとって変わられ、その世界に
評価されている核心のようなものを、主柱を、芯を、折られて
しまうのではないかと。
Jポップはそもそもが虚構だった。実体の無いパッケージから
始まっていた。だから、経済主義に呑まれても、文化的実害は
無かった。
しかし、すでに海外において社会的評価を得ている、文化的
足がかりを得ているこのジャンルが、文化空間が、
Jポップ産業複合体がそうだったような、実質的な日本蔑視の
海外らしさ信仰の価値観による歪んだ評価に巻き込まれれば、
みるも無惨な形で寸断され空中分解してしまうだろう。
私の診る相似性>
ザ・ベストテン時代 → バンドブーム → Jポップ
おたく → オタク → OTAKU
参考>
Jポップとは何か@烏賀陽弘
2008/05/05 19:10:04
uri
その他
【説明文流れ】
次世代への期待をこめてMMIIを図の位置に置いたけれど、そう呼ぶべき塊は、オタクIVと重なっているかもしれない。
携帯小説でブームを作り、Youtubeやニコニコでなかばメジャーデビューした感のあるクリエイターたち。そして、二匹目の泥鰌よろしくその後を追う者たちとのギャップに…。
高価なパソコンと高価なソフトをおもちゃのように与えられ、または、ネット黎明期をベンチャー企業として家族経営しているそれを、幼心に見ながら体験してきた者・デジタルクリエイトを繰り返してきた者…。
対比して、大学入学して…もしくは社会人となって漸く、初めてのようにそれに触れられる立場を得た者…。
それらの差がどこか…岡田斗司夫が貴族世代とエリート世代と形容した、おたく第一世代と第二世代との差と、類似したものとして見える。
おたく第一世代とおたく第二世代の間では、SF第一世代とSF第二世代が負ったようなギャップによってSFを殺したような展開にはならなかった。それに似た関係は、アキバ系と呼ばれた第三世代および第四世代と、それ以前との間で起こりつつあると岡田が指摘するそれは、もっと短期的に見れば、当に貴族世代とエリート世代と呼んだような関係として今、現在進行形として起こっているのではなかろうか。もちろん岡田斗司夫がおたくとして許容しうるような高尚さ高度さは なかなか認められまいとしても。
それは「東大は金持ちしか入れない」とも言われる言葉とも似て…どこか先天的な「格差」として両者の間を隔てているものがあるようにも、見える。
2008/05/05 19:07:46
uri
その他
【岡田斗司夫】
書名をあのように挑発的なものとしているが、
この著は次世代の期待で結んであった。
そして、ここで展開されているパラダイムシフトは、
1980年頃にもあった。例えば「一億総クリエーター時代」とは
その頃の言葉だ。なんだかYoutube時代を形容しているようでは
ありませんか。
2008/04/28 18:07:35