久々に見た元彼に、美憂は随分とご機嫌斜めだったが(これに関しては、結婚の知らせを躊躇った先輩が悪いとは思う)、なんとかなだめて自宅に戻る。思えば、彼女が来ていると連絡をもらって、引き返していたところだった。

「そういえば将哉くん、悠に用があるなら、私たちはいない方がいいかな」

不機嫌のピークが過ぎたか、美憂が先輩に問いかけるが、先輩は少し考えて、首を振った。

「んん、いろんな人の意見をききたいから、美憂さんにもいてもらいたいかな。できれば、彼にも」
「ぼ、僕ですか?」

話を振られると思っていなかったのか、帯人が目を丸くする。
もとより、美憂がうちに残って相談を聞くなら、彼も残るだろうから、先輩の心配は無用なのだが……しかし、どういうつもりなのだろう。


―Lullaby―
第二話


ひとまず、自宅に着くと3人をリビングに通して、自分は茶を出すために台所へ向かう。
橘先輩と美憂を一緒に残していいものか少し迷ったが、帯人もいるし大丈夫だろうと信じることにして、冷蔵庫から水出しの麦茶を取り出す。
果たして、俺が4人分のグラスと菓子を盆に乗せて戻った時には、2人とも昔のように笑みを浮かべて話し込んでいた。


「相変わらず立ち直り早いな」
「あ、おかえりハルちゃん、お茶ありがと」
「ハルちゃん言うな!」


半ば条件反射のように叫び返して、やや乱暴めに彼女の目の前にグラスを置く。
その様子に、先輩がくつくつと喉の奥で笑った。


「君たちも相変わらず仲がいいんだね」
「まあ、それなりにね」


笑顔でそう返した美憂に、俺は何も言わずに目をそらして椅子に座る。


「で、用って何ですか? 帯人の意見も聞きたいって……」
「あ、帯人くんっていうんだ。はじめまして、橘です。よろしくね」
「は、はあ……」

帯人の名を聞いていなかったのか、先輩はにこやかに名乗る。……昔からそうだったが、マイペースな人だ。
少々たじろいだ様子の帯人に何を思ったか、先輩は少しだけ笑みを薄くした。

「ごめんね、いきなりマスターの元彼なんて、びっくりしたでしょ」
「あ、いえ、そんな……」
「いいよ、無理しなくて。……良かったね、いい人をマスターに持って」
「え、えっと……」
「ちょっと将哉くん!」

焦ったような美憂に、先輩はまた笑いながら、ごめんごめんと謝る。
なんだかんだでこの2人も仲がいいよなあと思いつつ、やや大きめの声で呼びかけた。

「あの、先輩?」
「ん? ああ、話の途中だっけ」

ばつが悪そうにしながら、先輩はぴんと背筋を伸ばした。

「君たちに相談したい事っていうのは……その、うちのVOCALOIDの事なんだ」
「VOCALOID? 将哉くん、VOCALOID買ったの?」
「うん、まあね。1月くらい前に」

1月前とは、また最近だな。まあ先輩は学生時代に吹奏楽部にいたし、音楽嫌いではないのだからVOCALOIDを購入した事は不思議ではないが。

「マスター生活に慣れないとか……?」
「いや、そういう事じゃないんだ。マスターは僕じゃないしね」
「じゃあ、どなたが?」

いまいち話についていけていない様子の帯人が問うと、橘先輩は苦笑をこぼした。

「うちの娘」
「……はい?」

先輩の答えに、帯人は思わずといったように聞き返す。
……って待て、娘?

「娘さんがいるんですか?!」
「あれ、言ってなかったっけ? かわいいんだよー、もうすぐ1歳半。あ、写真見る?」

普段の柔らかな笑顔が、さらにふんにゃりとしたものへと変わる。
差し出された携帯の画面を3人でのぞき込むと、昼寝中なのか、幼子の寝顔が写っていた。

「いいでしょ、待ち受けにしてるんだ」
「……親バカね」
「あは、返す言葉もございません」

呆れ半分の美憂の言葉に、先輩は苦笑して返した。
というか、別れたとはいえ一度は付き合っていた相手なのだが、軽々しく子供の写真を見せて良かったのか先輩。
まあ本人が割り切っていたようだし、特に気にしている素振りも見せないし、大丈夫なのだろうが。

「でもこんな小さい子がマスターになれるものなの?」
「可能ですよ。インストール後のマスター登録は、数秒間視線を合わせることで虹彩の登録を行っています。聞く限りでは、橘さんか奥さんが登録する前に、誤って娘さんの虹彩情報が登録されてしまったんでしょう。特に年齢制限があるわけでもないですし」

美憂が呟いた疑問に、帯人がすらすらと答え、一気に喋って少しは喉が乾いたのか、麦茶を一口飲んだ。
しかしマスターに年齢制限がないのは初耳だ。

「うん、そうなんだよ。僕がインストールしたんだけど、宅配便を受け取りにちょっと部屋を出た隙ね……。すごいなあ、流石に詳しいね」
「いえ、自分たちのことですから、大したことでは……それで、そのVOCALOIDが、どうかされたんですか?」

再び話題を戻すと、先輩の笑顔にほんの少し影が差した。

「そう、うちのVOCALOIDね、GUMIなんだけどさ。歌は今のところ、娘の代わりに僕と嫁さんで子守歌とか童謡とかを歌ってもらってるんだ。ほら、まだ娘も小さいし、あんまり激しい曲調の歌だとびっくりさせちゃうかもしれないから」
「まあ、それはそうよね。それがストレスになったりとか?」
「いや、その辺りは大丈夫なんだ。最初はこんな曲ばっかりでつまらないのかなーと思ってたんだけど、娘が喜んでくれるからって、むしろ進んで童謡を探してくるよ。ただ……結局僕らはマスター代理だからね」

彼女の主は、まだ幼い子供なのだ。マスターに何かあってはと心配なのか、2人一緒に散歩に行ったり、家族で出かける他には、ほとんど家から出ていないと言う。

「僕らは無理をしなくていいって言ってるんだけど、大丈夫の一点張りで……。あの子、僕ら家族以外の知り合いがまだいないんだよ」

困ったように眉尻を下げて言う先輩に、俺たちは顔を見合わせた。

「それは……確かに、ストレスになりますよね、いくら本人が平気そうにしていても」
「僕は彼女の気持ちがわからなくもないですけどね。VOCALOIDにとってマスターは神様と言っても過言じゃありませんから。何かあったらと思うと怖いんでしょう」

自分が彼女の立場でも恐らくそうする、と帯人が渋い顔をして呟く。
……表情から見るに、どうやら彼にとっては嫌なことを想像してしまったらしい。

「だからといって、やはりずっと家に缶詰めで出会いがないままストレスを溜めるのは良くないですよ。身をもって体験してますからね……」
「あー……そういえばそうだっけ……」

続けられた言葉に、美憂まで遠い目をする。
何のことかと思ったのは一瞬だけ。思えば、帯人が美憂に購入されてから、初めて第三者――俺のうちのKAITOとまともに会話するまで、数ヶ月の間があった。
過ぎた事ではあるが、もう少し早く引き合わせておけば違った形になっていたのかもしれない。

「まあ、まだ1ヶ月なら間に合うだろ」
「間に……え?」
「そうですね、今ならまだ大丈夫かと」
「ちょっと待って、間に合うって何が? やっぱりまずいの?」
「うん、このまま放置するとまずいと思う」

だから、と美憂の後を引き継ぐように口にして、卓上カレンダーに手を伸ばす。

「先輩、いつなら空いていますか?」
「え、僕まだ何もお願いできてないんだけど……」
「あれだけ聞ければ充分ですよ。要は、GUMIが意地張ってるのが心配なんでしょう」
「まあ、ね? でもそんな、無理してくれなくても」
「馬鹿ね」

可笑しそうに笑うと、美憂は付き合っていた頃のように、ぽんぽんと橘先輩の頭を撫でる。

「これくらい苦じゃないわよ、水臭いわねえ」
「とりあえず、空いてる日、教えて下さい。うちのVOCALOID、誰かしら連れて行きますから」
「帯人も、いいわよね?」
「命令しないあたり、ずるいですよね、美憂さんは……」

帯人は肩をすくめて、それでも嫌がる素振りはまったく見せない。
GUMIと彼らの馬が合うかはわからないが、最低限、気晴らしにはなるはずだ。

「……なんかごめんね、ありがとう、助かるよ」

昔と変わらない先輩の笑顔に、俺たちもつられて笑みを返した。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【オリジナルマスター】Lullaby 第二話【注意】

わっふー! どうも、桜宮です。
また随分と長くなってしまったような……。

途中の帯人について、これは結構前から考えてた事なんですよ。
作中では、彼は中古で売られる前もマスターの家に缶詰めでしたが、当時のマスターさんは引きこもりでしたから、そのままマスターしか知り合いがいなくて依存しても、そこにいる分には問題なかったと思うんです。
ただ、美憂さんがマスターになってからは、特にお出かけする用事もないまま、昼間は美憂さんがお仕事でいないわけですから、縋る相手がいなくなってストレスが溜まって、結果Accidentのような事になった、と考えてます。
要するに、別に帯人がどこかおかしかったわけではない、と思ってます。

未登場ではありますが、GUMIも似たような感じですねー。彼女の場合は、マスターがいない時間帯があるわけではないものの、特に難しいお話はできない相手なので、やはりストレスは溜まってしまうのではなかろうかと。

Q.なら何故娘さんマスターにしたし。
A.一回やってみたかったから仕方ない。

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投稿日:2011/09/01 12:14:16

文字数:3,413文字

カテゴリ:小説

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