先輩と約束した日の午後、指定された駅で電車を降り、改札をくぐる。
「マスター、電車ってほんとに速いんですね!」
「あれ、乗ったことなかったか?」
「走ってるのを見ただけですよー。思ってたより速くてドキドキしちゃいました!」
少々興奮気味に電車の感想を言いながら、俺の見よう見まねでミクが改札を抜けた。
「……あれ? 切符……」
「ああ、降りるときは切符出ないんだよ」
「はー……面白いですね」
「そうか? ほら、また帰りも乗るから。行くぞー」
物珍しそうに改札を凝視するミクが小さな子供のようで、俺は苦笑しつつ、彼女の手を引いてその場を離れた。
……そうでもしないといつまでも眺めていそうな様子だった。
―Lullaby―
第三話
先に帰りの分の切符を購入してから、駅前のロータリーに向かう。それほど長く探すこともなく、待ち合わせの相手は見つかった。
「美憂さん、帯人さん、こんにちは!」
「こんにちはミクちゃん。……楽しそうだね?」
「初めて電車に乗ったからな。そういや先輩は?」
ミクが再び電車についてまくし立て始め、帯人が若干困り顔をするのを視界の隅に捉えながら、美憂に訊く。彼女は少し肩をすくめて、道路の方へ目をやった。
「もう少しかかるって連絡があったわ。娘さんがぐずってはなしてくれなかったとか」
「ほんと親バカだな、あの人……」
俺の家で写真を見せられた時のことを思い出して失笑する。聞けば、どうにか奥さんに娘を任せて家を出られたのが10分ほど前らしい。駅から徒歩でいける距離だと聞いていたから、そろそろ来る頃だろうか。
「――ごめん、待たせちゃったね」
考えている間に、話題の人が息をきらせて走ってきた。
「そんな走ることなかったのに」
「いや、でも遅れたのは僕だから……白瀬、ミクちゃん連れてきたんだ」
「はい。ほらミク、挨拶して」
「へ? あっ、こんにちは! ミクです!」
「うん、こんにちは。橘です」
勢いよくぺこりと頭を下げたミクに、先輩も会釈して応じる。わざわざ丁寧なことだ。
ちなみにミクを連れてきたのは、先輩のVOCALOIDがGUMIだと聞いていたからだ。他のVOCALOIDに会ったことがないのなら、外見の年齢が近い同性型の方が心持ち緊張も薄くなるだろう。
「みんな今日はありがとね。グミも喜んでくれればいいけど」
「何弱気になってんの。大丈夫よ、自信持ちなさい」
ぺしん、と美憂が先輩の背中を叩いて、先輩が困ったように痛いよと返す。つくづく思うが、よりを戻すとか、そういう話が今までまったく出なかったのが不思議だ。
「それじゃ、行こっか」
「はーい」
「美憂さん、遠足じゃないんですから……」
「いいじゃないの。どんな人と結婚したのか気になるし」
「だから、遊びに行くわけじゃ……!」
何やら楽しそうな美憂に帯人がやきもきしているが、面白いので放っておく。美憂のことだ、元彼に嫁がいたからどうこうというのは考えていないだろう。本当にただ興味があるだけだろうから、心配するだけ損だ。
帯人もそれがわからないほど、美憂を信用していないわけではないだろうに、心配なものは心配、といったところか。
「いいなあ、2人とも本当に仲がいいんだね」
美憂たちのやりとりが微笑ましかったか、橘先輩が声をかける。
突然のことで驚いたのか、小言を言いかけていた帯人が黙り込む。
「そう……ですかね」
「うん。僕も、グミと気兼ねなくお喋りしたいんだけどね……マスターのお父様、だからかな、なんか気を使われちゃって」
「そういうものなの?」
「そうみたい。気にしなくていいって言ってるんだけどね」
「あ、でも、私もマスターのお母さんに会うと緊張するな」
思い出したようにミクが呟いたが、赤ん坊の親と社会人の親では、顔を合わせる回数は比較にならないだろう。実際、彼女はうちの母親とは数回しか会ったことがないはず。緊張するのは当たり前だ。
先輩もそう思ったのか、困ったように笑って、しかし何も言わなかった。
「そういや美憂、お前、盆と正月どうしてるんだよ」
「帯人と一緒に帰ってるわよ? 特に最初の1年はまだ不安定だったし、だからって帰らないわけにもいかないし」
「最初は怒られてましたよね、美憂さん」
まあ、いきなり娘が男連れで帰ってきたら、そりゃ叔父さんも叔母さんも驚くだろうに。いつも連絡なしにいきなりやって来る奴ではあるが、親に対してもそうなのか……。
「説明したらわかってくれたけどねー。今じゃ私より可愛がられちゃってたりして。マザコンのつもりはないけど、なんか妬けるわ」
「というか美憂、それは先に説明しとかないお前が悪い」
「しょうがないじゃない、忘れてたんだから」
「あはは、忘れてたなんて、美憂さんらしいや」
朗らかに笑って、先輩はマンションの前で足を止める。駅からもちらりと見えていたものだ。
「ここの6階。ね、近いでしょ」
「ほんとね。……一戸建て買ったりしないの?」
「ん、今のところはいいかなって思ってる。お金の問題はおいておくとしても、充分暮らしやすいし、立地もいいしね」
話しながら、エントランスを抜けてエレベーターに乗る。流石に緊張してきたのか、ミクの表情が強張っているのに気付き、ぽんぽんと頭を撫でてやる。
「そう固くなるなよ、戦場にいくわけじゃないんだから」
「せっ、そんな大げさな……!」
「顔、青かったぞ?」
「へ?!」
「嘘だけどな」
軽く茶化してやると、ミクはむっとした顔をして、意地悪、と呟いた。
だが、緊張は解けたようで良かった。先輩のとこのGUMIまで固くなってもらっちゃ困るからな。
「楽しそうなところ邪魔して悪いけど、もう着くよ」
先輩が何度目かの苦笑を漏らして、それに合わせたようにエレベーターの扉が開く。
そこから右に折れた突き当たり、そこが先輩の自宅らしい。
先輩が鍵を開けて扉を開けると、てってってっ、と覚束ない足音がして、廊下の先に小さな頭がのぞいた。
見知らぬ顔に驚いたのか、小さな目がまん丸に見開かれている。
「ただいまー」
先輩が声をかけても彼女は微動だにしない。これほどの人数が家にきたことがないのだろうか。
「あやちゃん、パパ帰ってきたの?」
奥の部屋(恐らくリビングだろう)から聞こえた女性の声に、彼女はさっと振り返る。言動からして彼女の母親のようだ。
しかし――その声に、ぞわりとしたものが俺の背中を駆け上がった。
気のせいだと思いたかったが、その思いも虚しく、廊下に顔を出した先輩の奥さんは、俺の知る人間だった。
相手も俺の事は覚えていたのだろう、客人の中に俺がいるのを見て、不意を突かれたように言葉を詰まらせた。
「……白瀬君?」
「え、何、知り合いだったの?」
「……ええ、まあ」
意外だと言いたげな先輩に肯定を返したが、それもどこか遠くの事のように聞こえる。
結婚して子供がいるとは聞いていたが、まさか、こういう事だったなんて。
「同級生です。中学の時の」
中三の夏。赤い傘。にわか雨。放課後の教室。
流石に女性恐怖症とまではいかないが、それに近い状態まで俺を叩き落とした女。
藍沢南海がそこにいた。
【オリジナルマスター】Lullaby 第三話【注意】
わっふー! どうも、桜宮です。
このネタを出したくて書き始めた話だったりします。突き落とした人と、引っ張り上げた人。
んな都合の良いこと、と思う方もみえるかもしれません(実際、私も最初はそう思って躊躇しました)が、意外とこういうもんだったりします。世間ってば狭い。
先輩の奥さんについて、詳しいことはDropで書いておりますので、そちらを参照くださいまし。一応一話目→http://piapro.jp/t/7nEn
それとは別にもう1つ入れたかったネタが、白瀬家黒部家のおうち事情。
白瀬家は結構曖昧にしましたが、片や人数がいるし、片やしっかり面倒見てるしで、
互いの親がボカロのこと、少なくとも自分の子供がボカロ所有者だと知らないってことはないんじゃないかなあと。
帯人は美憂さんにべったりな部分があるし、いきなりそんな状況見たら……と考えた結果が、これです。
これもそのうち詳しく設定作って書いてみたいなあ。
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