カルト宗教がよく使う手口にこういうのがある。
新しく入った信者を街中に立たせ声かけをやらせる。
「あなたの幸せを祈らせてください」とかなんとか。
信者は多くの人に無視されるような状況を体験し、
自尊心を破壊されたところで、神が救いを差し伸べる。
“無力なおまえには神が必要だ”と。
つまり、問題と回答はセットで用意してあるのだ。
亞北はまさに、俺の神になろうとしているようだった。
べろりと出した舌が唾液の糸をひいている。
今、目の前にいるのが同じ人間とは思えない。
目の前の女は何かが違う。全然違う。
異種だ。
精神疲労が積もり積もって理性は摩滅していく。
誰にも助けを求められず、孤独と絶望に苛まれ、
ストレスで毎日のように嘔吐していた。
いつどこにいても常に亞北の気配を感じている。
とっくにノイローゼのそれだ。
「レンくん、今日はレンくんの家に行きたいな♪」
悪びれる様子もなく亞北が無邪気にそう言ってきた。
最後の避難場所である自宅を侵されるわけにはいかない。
「ふざけんな、おまえなんか入れるわけねーだろ」
と精一杯の拒絶を示しても声は力なく震え、
そんな俺の畏れをつぶさに察しニヤニヤと顔を歪める亞北。
まるで人をおちょくるために出現したチェシャ猫を
彷彿とさせる面妖な形相で。
分かっている。この女には肯定も否定も無意味だってこと。
結局、俺は彼女を振り払うための行動など何も起こせず、
家に着いていた。
「あれぇ~、何レン、ちょっとどういうこと~?」
出かけ際のリンと玄関で搗ち合った。
「おじゃましま~す。クラスのみんなには内緒だよリンちゃん」
亞北は人差し指を立てて口元に当てながら言う。
面識はないはずだが、初対面で“リンちゃん”と呼ばれたのが、
当のリン自身はともかく、俺は何だかムカついた。
亞北との日常会話の中でリンのことを話しているような誤解を招く空気感。
さらに今日は親が留守だ。亞北のことだからそれも下調べしていたのだろう。
リンに対して、俺と亞北が“良い雰囲気の仲”だとみせるような演出。
「じゃあごゆっくり。後で詳しく聞かせてね~」
リンが去ってから少しずつ俺の心に重力がかかってくる。
なんなんだこれ、なんで俺の部屋にこの女がいるんだ。
亞北は俺のベッドに座ってぐるっと内装を眺めている。
膝を立てているためスカートの中がチラりと見え、
俺は顔をしかめて目を反らした。品のない不愉快なもの。
目が腐る・・・本気でそう感じた。
「いつまで制服着てんの? 着替えたら?」
俺はなるべく亞北を無視して
黄色いパーカーと黒のハーフパンツを引っ張り出した。
意図してなかったが警戒色の組合せだ。
着替えを始めると案の定、亞北が邪魔してきた。
シャツを脱ぎかけている俺の腹に手を当てて撫でながら、
「やっぱり男の子は引き締まってるね・・・」
と、鼻息を荒くして呟く。俺は必死で無視を続ける。
上を脱いだところで亞北はパーカーとハーフパンツを掴み
ベッドの裏へ放り投げた。俺は“何のつもりだ”と睨みつける。
「レンくんは裸でいいよ」
「・・・・・」
「何突っ立ってるの? 早く下も脱いじゃいなって」
「もう・・・やめてくれ・・・」
「はァ? アタシ、脱げって命令したんだけど?」
「もう・・・」
「“もう”じゃねーぞコラァ! てめぇーの家族も焼いてやろうか!」
亞北の恫喝に俺の中の何かが弾けた。
「頼む・・・もう限界だ・・・ゆるしてくれ・・・」
その場に膝をついて頭を下げた。流れる涙を押さえられない。
生涯でもっとも無様な涙だった。
「何なに? レンくん泣いてるの? おまえ歳いくつだよ。
女に土下座しながらマジ泣きとか終わってるでしょ。
そんなのいいからさっさと“まっぱ”になれよ、な?
アタシもそんなに気長なタチじゃないからね」
きっと俺はこれから亞北に犯される。
嫌悪する女に陵辱され、写真も撮られ、
いよいよ逆らえなくなり、一生奴隷のようになるかもしれない。
下駄箱での嫌がらせをやめさせただけだった。
他意はない。こんなことになるなんて想像もしていない。
今、なけなしの誇りが事切れようとしている。
「俺が悪いなら謝る、出来る限りのこともする、
だからもうこんなデタラメはやめてくれ」
「脱げよ」
「もう無理だ、許してくれ」
「脱~げ」
「亞北…」
「二人のときは“ネル”だろぉが!」
怒号と同時に鞄を俺の頭目掛けて振り下ろし、
続けて何度も蹴り踏みつけてから、
「ふ~ん、あくまで反抗的な態度とるつもりなんだ」
と見下ろし呆れたような口調。
亞北はうなだれる俺の髪の毛を掴んで強引に顔を上げると、
目の前にケータイの画像を突きつけた。
そこには盗撮された初音先輩の姿があった。
「レンくんの大好きな先輩は今どうしてるのかなぁ」
少し間を置いて、俺はハッとする。
「おまえ・・・先輩に何かしたのか・・・」
「まだ何もしてないよ。レンくんの態度次第かな~」
「おっ・・・ぐ・・・」
言葉にならない。感情の渦に飲み込まれ、
真っ暗な絶望の底へと深く深く堕ちていく。
俺はついにこの単純な脅迫がとどめとなって、亞北に屈した。
つづく
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