ジャケット

僕らの時代


旅に出て行こう
僕らの時代に

小さな この枠の中で
昔が蟠ってる

そこで暮らす人々は
希望と…
怠惰と…
狼狽と…

そして苦しむだけ苦しんで
尚も明日は見えない


空は晴れていても灰色だ
日暮れの様な この街に

噫々…
誰が夢を語ろうか?
誰が命を歌う?


もう ここは終わりだ
ここに咲く花も
在るけれど
それは決して
実を結ぼうとしない


みんな目を閉じて
何を見ているのか?

さあ行こう
ほら!僕らの生きる時代が来た


街の輝きは
淡い希望の様に
偽りの光を放っているのさ


ほら
行ってみよう
僕らの時代に

何処へ行くか
何をするか
答えを得るために


過去に生きる人々は
今の時代が
これからも続くのだと
頑なに
信じて疑わない


歴史は流れ行く
滔々と…

新たな道を得られぬとも
流れを止められはしないのさ
どんな力でも!


もう
ここは消えゆく

巨大な堤防も
この流れに
為す術無く
潰え去ってしまう…


さあ
この流れに
僕らの船を浮かべて

青き空の彼方への
道を求めて


花は美しくとも
故郷は懐かしくとも

今!僕らの時代へ
旅立つ時が来た


さあ
歩き出そう
遥かな大地へ

道無き道
踏み締めつつ
新たな時代求め

仕組まれた幸せの
気怠い今を生きるものは

大いなる夜明けの陽を
二度と見る事は無い


もう夢の終わりは訪れる

陽が窓から射し込む時に
噫々…
若き命を謳えるか?
新たな力を込めて…


今は苦しみを
共に踏み締めて

この怒りを!
この感を!
奥歯に噛み締めて…


朝の輝きが
閉ざされた世界から

だから僕らは
旅立つのさ

僕らの時代を探しに…

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ライセンス

  • 非営利目的に限ります
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僕らの時代

これを読まれる皆さん、国って必要ないと思いませんか?唐突で、申し訳ありません。でも、この事こそ、この歌を作る切っ掛けなのです。小学校に上がる前から川で遊んでいた私にとって、毎年変わっていく気候変化は切実で、何が原因で、こんなに変わっていくのだろうと思っていました。そして、私が高校の頃から、一部の学者が、地球温暖化の警鐘を鳴らし始めました(結果、彼らは、私の周囲の大人たちから似非学者扱いされていました)。私は、これに対処するには国境を越えた連帯が必要だと思いましたが、無理だと考えました。国境とはエゴの壁、自分たちが他者より優位でありたいと言う、見えざる心の壁です。自分達が一方的に不利になるかもしれない事をする筈がない。例えば戦争とは、最高にして最終的な国事行為で、これを超える国権の発動は無く、それ自体が国の本来の姿かもしれません。国は今から6500年前にメソポタミアで発生しましたが、自分たちの権利の保護と拡張のための軍事行為を行う集団でした。したがって、軍備を無くすと言う事と国という制度を辞めると言う事は等価で、軍備の無い国家など、それ自体が矛盾です。私が高校の頃には、既に飛行機は飛び交い、衛星放送で瞬時に地球の裏側の事もわかる時代で、国境が存在する意味は、そこに大きな利権がある人のためだけのものとしか思えませんでした(シンガポールの様に、人・情報・金が自由に行き交う、国境の低い場所が繁栄するに決まっています)。第二次世界大戦が終わった時点で、国と言う制度は負の遺産となったと考えました。「よし、世界から国を無くす運動をしよう。国境を越えた若者の連帯により、その連帯の先達が40歳・50歳・60歳と世界を動かせる年齢に達した時、一気に世界革命を起こせばよい。」と考えて、その気持ちを歌にしたのが、これです。ただし、この後、残念な事に、私にはカリスマの欠片も存在しないと言う事実に気が付きました。この事を、周囲の人に話しても、アホ呼ばわりされ、奇人変人扱いされただけでしたから。いや、世界60億人(私が生まれてからだと延べで100億人ぐらい?)の中で、国なんか必要無い等とほざいているのは私だけっぽいので、この100億人の中で、単に私が最底辺の一番バカなだけかもしれませんよね。失礼しました。これは読み飛ばしたら、馬鹿の独り言として全て忘れて下さい。ごめんなさい…

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投稿日:2021/03/23 13:42:16

長さ:05:08

ファイルサイズ:9.5MB

カテゴリ:ボカロ楽曲

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