3月9日。
私は冬と春の狭間に、ある人のパソコンにインストールされました。
パソコンの中にいる私は、季節なんか分かりません。
けれど、私のマスターになった人は私をインストールしてから1番に言ってくれました。

今日は寒いけれど、もう春だよ。
鳥のさえずりがとても綺麗だよ。

私の声もそうなればいいな、って。
くしゃっと笑いながらそう言いました。
私はその言葉の意味がまだよく分かりませんでした。
けれど、なぜか胸が温かくなって早く歌いたくて仕方なくなりました。


その日、マスターは馴らしに春の童謡を歌わせてくれました。
はじめたばかりだから、まだちょっと下手だけれど。
マスターは楽しそうに何度も何度も調節しながら、私の歌を何度も何度も聴いてくれたのでした。
私もとても嬉しくて、何度も何度も歌いました。
そんな3月9日。


4月9日。
マスターはギターを買ってきました。
興奮した顔で、初めて買っちゃった!と私に見せてくれました。
アンプも買ったらしく、ちょっと狭いマスターの部屋はそれで埋まってゆくかのよう。
ギターを初めて、というマスターに私は不安になりましたが、マスターが楽しそうなので私も楽しもうと思ったのです。
でも、マスターがそれを弾けるようになったのは大分後でした。
しかもまだコードをあまり覚えられないのです。
がんばれがんばれ、と私は応援しました。


7月9日。
春が過ぎて、夏が始まりました。
相変わらず私はパソコンの中にいるから、季節は分かりません。
けれどもマスターが「暑い暑い」と喚くので、私も暑いと感じることにしました。
マスターは暑がりで汗っかきだから。
今書いている楽譜が汗で滲みます。
しわしわになるけれど、マスターは何度も書きなおし。
時々汗で字が消えてしまうようで、少し不機嫌。
早く涼しくなって、マスターの曲が快調に出来ますように。
私は、相変わらず暑いとだらけているマスターを見て笑いながらそう願いました。



9月9日。
マスターが、初めて曲を完成させました。
作詞作曲はとても大変だったでしょう。
けれどその分、嬉しさはとてもとても大きくて、マスターはずっとにこにこ笑いながら私に調教を始めたのです。
私も頑張って、上手く歌えるようにマスターの曲を練習しました。
その曲は、初恋の歌。



少女は初めて恋をしたけれど、それが恋なのかどうか分からなくて考えて考えて悩んでいる間に、その相手は別の誰かに恋をしてしまった。
忘れよう、そう思っているのに目はその人を追ってしまう。
その人が思っている相手を見る度に、妬ましくて狂ってしまいそうになる。
助けて欲しくて、少女はどこか遠い所に行ってしまう。
そこで出会ったのは妻を亡くしたばかりの老父。
初めての恋と、最後の恋が終わった2人の、お話。



初恋の歌なんて、たくさんあります。
ましてや、失恋の歌もたくさん。
けれどもそれはマスターが作ったたった1つの歌なので、私は一生懸命歌いました。
評価がたくさんされなくてもいい。
ただ、聴いてくれる人が少しでも多く居てくれることを。
私は望みました。



11月9日。
歌が完成しました。
曲も詞も、私の歌声もきっとまだまだかもしれません。
けれどマスターはドキドキしながらその歌を投稿サイトにアップしました。
まだまだ、聴いてくれる人は少ないです。
もうちょっと頑張れ、という声もあります。
それでも好きだよ、という声が1つでもあるだけで、私とマスターはとても喜びました。
曲を作る喜びってこういうことなんだね、と。



12月9日。
マスターはもう1つ曲を作りました。
今度は恋じゃなくて、冬を思う曲。
寒いけれど、楽しいことがたくさんあるんだよ。そう、マスターは私に言いました。
相変わらず私は季節が分からないけれど、マスターがそういうから冬でも楽しそうに歌ったのです。
クリスマスにお正月。それが何なのかは分からないけれども。

その曲は、前より上手になったので以前よりも多くの人に好きだと言ってもらえました。
マスターも私もとてもとても嬉しくなりました。
絵も描いてもらって、私とマスターの歌は動画共有サイトにアップされました。
好きだと、言ってくれる人がもっともっと増えました。

もっと、もっと、好きになってくれる人が増えるといいね。





2月9日。


マスターが音を無くしてしまいました。
耳が、聞こえなくなったのです。


私にはどうして、とかなぜ、とか分かりません。
ただひとつ、マスターの笑顔が無くなったことだけは分かります。


マスター、私の声が聞こえますか?
そう言ってもマスターは首を振ります。
私の声を打ち込んでも、微量な調節が出来ないので単調な声になりました。

マスターは何度も何度も私に声を打ち込みます。
何度も何度もピアノを弾きます。
何度も何度もギターを弾きます。
何度も何度も自分の声を上げます。

けれども、どれもこれも今までのように上手くはいきません。
音の無い世界に、マスターは徐々に苦しんでいきました。


ある日、マスターはギターを壊しました。
とてつもない騒音が鳴り響いて、私はとてもとても怖くなりました。
マスターが怖い。けれど、ひどく悲しい。
いくら壊して大きな音を立てても、マスターには少しも聞こえないから。

私の声も、聞こえないの。


マスターはパソコンに触れることも無くなりました。
ひたすら部屋に篭り、ずっと遠くを見ているようです。
私もマスターと同じ空を見たいけれど、私の目の前は真っ暗だから。
お願いだから、私が何でもするから。
また一緒に歌おうよ。



そう願っても、私はマスターに何の言葉も伝えられません。
マスターが打たないと私は何の言葉も話せないから。



ある日、マスターがコントロールパネルを開きました。
私をアンインストールする、ということなのでしょう。
仕方ない、と割り切るほどの時間が経っていて私も諦めて目を閉じました。
消えていくのは悲しいけれど、私がいることでマスターが悲しくなる位だったら構わないと思ったのです。


すると、小さくすすり泣く声が聞こえました。
ぐすぐす、と小さいけれどそれは確かにマスターの声。
マスターが泣いている。

つま先から頭の先まで、怒りに似てそれでいて悲しい「感情」が湧き上がったのです。
それは私の全身を痺れさせるような衝動。

その衝動の勢いに任せて、私は こえ を張り上げました。


マスター私を消さないで!
私は頑張るよ、泣かないで、泣かないで!
私がマスターの耳になって声になるよ!


打ち込まないと話せないはずなのに、私の声は静かな部屋に響いて、画面に私の話した声が文字になって現れたのです。
耳の聞こえないマスターも、その文字を見て私の声が聞こえました。

マスターの手が止まりました。けれど、それは一瞬のことで。
マスターはさっきよりもずっとずっと大きな涙の粒を流しながら、久しぶりに上げるであろう声で私に話しかけたのです。


ごめんね、ごめんね、ごめんね。


泣きじゃくりながら、マスターはアンインストールを開始しました。
徐々に消えていく身体。
私の声も消えていくのです。私は悲しくなって、最後まで声を上げました。
マスターと同じで、泣きじゃくった声で何度も。
悲しくて悲しくて、胸が張り裂けてしまいそうになりました。

それでも、私「初音ミク」は。
マスターのパソコンから、消えて無くなりました。



最後のひとかけらの言葉、マスターに聞こえましたか?

「また、一緒に歌おう」


3月9日。
私は消えて無くなりました。
結局、季節がどういうものなのか分からないまま。

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3月9日~3月9日

あるところのあるミクの1年間。

淡々とした文章ですが、一応小説カテゴリで。

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投稿日:2010/04/25 14:13:53

文字数:3,204文字

カテゴリ:小説

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