序章

 顔に苦悩の皺を刻んで、侍医は首を振った。
「駄目ですな。あとひと月、持ちますまい」
 彼女は、唇を噛みしめてうつむいた。赤い髪が、頬に掛かった。
「計画を実行するには、今しか……」
 窓辺に寄って、夜空を見上げた。真冬の星が、降るように輝いている。
 まだ顔も知らないその人に、赤い髪の女は呟いた。
「ごめん、なさ、い……」



第一章

 教会の鐘が一五回、澄んだ青空に響き渡った。
「おかーさんっ、おやつの時間!」
 町の真ん中にある、こじんまりとした屋敷の食堂。海に似た青い瞳を輝かせて、少女は、母親のドレスの裾にまとわりついた。
「今日のおやつはなーに?」
 反対側で、同じ色の瞳をした少年が、わくわくと叫ぶ。
「今日はあなたたちの誕生日ですもの。大好きなブリオッシュよ」
 少女と少年は歓声を上げた。同じ金色の髪が、かろく揺れる。
 コンコン。
 ノックの音に、二人は同時にふり向いた。
「なあに?」
 母親が首を傾げる。
 女中に連れられて入ってきたのは、赤い短髪の、男装をした若い娘だった。
 重苦しい表情で、ぎこちなく頭を下げる。
「あら、お久しぶりですね、メイコさん」
 母親は、戸惑いを含んだ声で言った。子供たちに、小声で言う。
「リン。レン。先に食堂へ行ってて。ブリオッシュが焼けたら持って行くわ」
 リンとレンは、不思議そうな顔で娘にお辞儀をして、部屋を出て行った。



 その、夜更けのこと。
 レンは、ベッドの中でぱっちり目を開いていた。
 カーテンの隙間から、白い月影が落ちている。胸の奥がざわついて、どうにも眠れなかった。
 隣からは健やかな寝息が聞こえてくる。レンは、リンを起こさないようにそっと、ベットからすべり出た。
 月影の落ちる廊下を、一人で歩く。客間のドアから、明かりと話し声が漏れていた。
 レンはドアに近づくと、こっそり中を覗き込んだ。中の様子は陰になっていて見えないが、あのメイコと呼ばれていた客人と、両親がいるようだ。
「約束で…からね。仕方あ…ませ…」
「す…ませ…。で…、む…めさ……ほうを」
「は…」
 最後の一言だけが、妙にくっきりと聞きとれた。
「朝、娘さんを引きとらせていただきます」


 レンは、自分がどうやって子供部屋まで戻ったのか、全く記憶になかった。リンのぬくもりが温めているベッドの中で、蒼くなったまま震えていた。
 朝日が昇り、部屋の中が明るくなる。
「ん……レン……? おはよ……」
 リンがもぞもぞと寝がえりを打って、レンの方を向いた。
 その頃には、レンは覚悟を決めていた。
(お母さんが、起こしに来る前に――)
 レンはベットから降り立った。
「リン、ちょっと来て」
「んー……?」
 レンに連れられて、リンは眠い目をこすりながら、朝露の降りる庭に出た。
「どうしたの?」
 裸足に触れる露の冷たさに目を覚まして、リンは不思議そうな顔でレンを見つめた。
(かなしいことは、まだいい)
「リンに、いいものあげる」
「えーなにー?」
 無邪気に笑う姉に、レンは必死で微笑みかけた。
「ぼくの、名前をあげるよ」
「え?」
「今度会う時まで、リンにぼくの名前をあげる。その代わり、リンの名前を僕にちょうだい」
 少女は、新しい遊びの一種なのだと考えた。そして、威勢よく頷いた。
「いいよっ」
 少年は、少女をぎゅっと抱きしめた。
「約束。絶対、いつか名前返すから。だから、きっとまた会おうね」
「うん? うん」
 きょとんとした姉に見られない位置で、少年の顔が、くしゃりとゆがんだ。
「リン? レン? どこにいるの?」
 家の方から、二人を呼ぶ母親の声が届く。
「いこ、〝レン〟!」
 少年は、少女の手を引いて駆け出した。


 家を包む沈んだ空気に、少女は戸惑って匙を置いた。
「リン、もう食べないの?」
 母親が、悲しげに問う。
「うん……ごちそうさま」
 それを聞いて、少年も匙を置いた。
「ぼくも、ごちそうさま」
「そう……」
 母親はため息をついて、女中に何事か囁いた。女中は頷いて、部屋を出る。
 彼女が連れてきたのは、昨日の客人だった。
 母親は、少女をきつく抱き締めた。
「さようなら。ごめんね、リン……」
「お母さん?」
 客人の方へ押し出された少女は、不安げな声で呼ばわった。母親は、顔をそむける。客人が少女の手を取る寸前に、少年は、そっと耳元に囁いた。
「〝レン〟、約束忘れないでね。絶対、ぼくが守るよ」
(必要ならば、代わりに悪にだって堕ちるから)
 少女は、訳もわからぬまま頷く。
「うん、またね、〝リン〟」
 そして、赤い髪の娘に連れられて、部屋を出た。
 それっきり、彼女が家に戻ることはなかった。


 都へ向かう馬車の中で、赤い娘は、少女の目を覗きこんだ。
「あなたには、これから、王女になっていただきます」
「え? 私お姫さまになるの?」
 少女は喜色を浮かべて叫んだ。
「はい」
 赤い娘は、束の間目を閉じた。そして、低い声で言った。
「暴君に、なってください」
「ぼう……?」
 少女は、眉を寄せて首を傾げた。
「はい。独裁者に、なってください。民に憎まれ、恨まれる、絶対君主――悪逆非道の、支配者に」
「どうして?」
 少女は、訝しげな顔をする。娘は首を振って答えない。
 ただ一言、刻みつけるように言った。
「殺されるほどに、憎まれてください」



第二章

 そして、九年の月日が過ぎる。


 王宮の大広間には、大勢の貴族が集められていた。
 その最奥、煌びやかな玉座に収まった少女は、愛らしい声で、傲慢に言い放った。
「さあ、ひざまずきなさい!」
 金の髪の王女の前に、人々は、一斉に膝をついた――屈辱に歪んだ顔を、見られないようにうつむけて。
 鐘が十五回鳴り響き、王女は嬉しそうに顔を上げる。
「あら、おやつの時間だわ」
 国一番の仕立屋が仕立てた、白と金の長いドレスの裾を引きずって、王女は堂々と広間を出た。そのまま自室へ向かう。
 広い部屋の中は、大広間に負けず劣らず豪華だった。
 最高級の椅子に身を沈める。優雅にティーカップを口に運ぶ王女に、召使の一人が告げた。
「王女さま、新しい召使が来たようでございます」
「ふうん?」
 王女は、さして興味もなさげに言った。
「いいわ、通しなさい」
 別の召使が、すかさず扉を開いた。
 一人の少年が、黙って進み出る。
 王女によく似た金の髪。王女によく似た青い瞳。
 王女は、呆然と茶器を置いた。
「レ、ン……?」
 一瞬、少女の瞳が揺れる。
 立ち上がりかけた少女の足を、誰の目にも映らない鎖がつなぎとめた。
 王女は椅子に腰かけたまま、にっこりと笑った。
「ようやく来たのね。遅かったじゃないの」
 その言葉に、少年は悲しげに目を眇めた。小さく息をついて、言う。
「ごきげんよう、〝レン王女〟」
「え?」
 王女は、目をみひらく。召使たちを残らずさがらせて、王女は少年に詰め寄った。
「レン、何を言っているの。約束を忘れてしまったの?」
 少年は首をふる。
「忘れてなんかいません。――約束を守れなくて、ごめんなさい……」
「レン?」
 王女は、困惑して立ち尽くした。少年は、顔を上げなかった。



第三章

 朝議の場で、財務大臣がおずおずと進言した。
「王女さま、そろそろ国庫も尽きかけておりますが……」
 王女はこともなげに言う。
「愚民どもから搾りとりなさい。税を倍にして」
 財務大臣は、黙って頭を下げた。
 赤い短髪を揺らして、まだ年若い女将軍も進み出る。
「北アクセレル地方で、反乱分子の動きがございます」
「さっさと粛清してしまいなさい。兵士も物資も好きなだけあげるから、すぐに行って」
「かしこまりました」
 表情のない声で、女将軍も答えた。
「さて、もう他にはないかしら?」
 広間はしんと静まり返っている。
「よろしい――さあ、ひざまずきなさい!」
 人々の心の中に、澱は少しずつ降り積もる。


「はぁー、なにか甘いものが食べたくなっちゃった。レン、おやつが食べたいわ。ブリオッシュを焼いてちょうだい」
 王女は甘えた声で言った。
「かしこまりました」
 少年は一礼して、部屋を出る。
 少年を見送って、王女の顔からすっと幼い表情が消えた。
 しばらくして、少年が盆にブリオッシュと茶器を載せて戻ってきた。王女は嬉しそうにそれに手を伸ばす。
「んー、おいしー」
 少年の顔が、少しほころぶ。よくブリオッシュを焼かせてしまう理由の半分くらいは、その顔が見たいからだ。
 そういえば、と、王女は手を打った。
「レン、ちょっと緑の国へ行ってきてくれないかしら」
「はい、王女さま」
 少年は、とりあえず頷いた。王女は桃色の唇を、心もち尖らせる。
 少年が来てから、ずっとレンと呼んでいるのに、彼は彼女の名を呼ばない。
 少女の心に、懐かしい昔の記憶が浮かび上がりかけ、見えない鎖に沈められた。
「あの国で採れる宝石を使った、首飾りを作らせたの。取ってきてちょうだい」
「はい、王女さま。明日の朝出発で、よろしいでしょうか」
「ええ」
 王女は笑んだ。不遜な、それでもかわいらしい顔で。
「よろしくね。すぐ帰ってくるのよ」



 見知らぬ国の雑踏で、少年は地図とにらめっこしていた。
「トリニコル宝石店……んん、こっちか?」
 思わず、天を仰ぐ。異国の空は、どこまでも高く、青い。
 日に日に怨嗟の声が大きくなる、あの国の空とは違って。
「どうしました?」
 不意に掛けられた明るい声に、少年は、はっとふりむいた。
 長い長い、青みがかった緑の髪を二つに括った娘が、にこ、と微笑んだ。
 その、透明な笑顔が、かつてのあの子に重なって、少年は一瞬硬直する。
「あ……の、トリニコル宝石店へ……」
「どうしたの、ミク」
 青い髪の青年が、娘に駆けよった。
「あ、カイトさん! この人が、トリニコル宝石店に行きたいんですって」
 娘は、少年に向けたのとは全然違う笑顔を、青年に向ける。
 青年は、人のよさそうな顔で言った。
「じゃあ、一緒に行きましょう。僕たちもそこへ行く途中だから」
 その道すがら、知った。
 娘が、この国の民であること。
 青年が、隣国の青の国の王であること。
 二人が、大事な指輪を作りに行くこと。
 ああ、と、少年は祈るような気持ちで思う。
 あの子のような彼女を見せれば、あの子は、昔を思い出してくれるかもしれない。
 一筋、光が見えた気がした。
 ぼくは、あの子を救えるかもしれない。
 ぼくが、取り戻さなければならないものを。
「ぼくは、黄色の国の王女に仕えているんです。いつか、遊びに来てください」
 青年と娘は、顔を見合わせた。冷酷な王女の噂は、海の先にも届いていた。
 それでも、二人は優しく笑う。
「ええ、きっと」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • 作者の氏名を表示して下さい
  • オリジナルライセンス

悪ノ娘 -Original Happy End- 【序章~第三章】

ありえたかもしれない、もう一つのおとぎ話。


公式からも小説が出ていますが、それが出るより前に、下の4曲から妄想した内容です。
ハッピーエンドにしたかっただけなので、原曲さまとは最低限の整合性しかありません(最低限はあります)。それでも大丈夫な方のみどうぞ!

【鏡音リン】 悪ノ娘 【中世物語風オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm2916956
【鏡音レン】悪ノ召使【中世物語風オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3133304
【鏡音リン】リグレットメッセージ【オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm3440324
【弱音ハク】白ノ娘【中世物語風オリジナル】 http://www.nicovideo.jp/watch/sm9305683

閲覧数:282

投稿日:2015/12/18 01:22:43

文字数:4,485文字

カテゴリ:小説

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