結局、所長にあう防塵服は見つからず、荷物用の袋のなかに所長をいれた。もとより、機材を入れるために使う袋なので、ペットのキャリングケースだと言い張ればごまかせる程度には、さまになったはずである。
実際機材の操作やコード類のために穴がたくさん開いているその袋だからして、所長がおとなしく中で丸まってるわけもなく、興味しんしんといったぐあいで袋の穴のひとつから顔をだしていた。
『ミクは誰にもみつかりませんでしたか?』
ココノツの言葉に、ミクは無言で頷きを返す。まるで二人の声が聞こえるかのように、所長が反応して一声あげる。
カメラのついた真っ黒な触手。ココノツのマニピュレーターはうねうねとまるで猫の尻尾みたに揺れながらミクと所長を見ていた。カメラがせわしなく、焦点をあわせるかのように駆動音を立てると、反応するように所長がひげをピクピクと動かす。
『ようやく、ご対面。ですね』
『こうして近くでみると、情報量が違います』
それはココノツにとっては喜ばしいことだ。調べるために作られたものが、情報を手に入れる好意に喜びを感じないわけがない。
「なぉぅ」
まるでこの場所に自分がいてはいけない、そうい彼はしっているのか心細そうな泣き声をあげながら、振り返ってミクを見あげる。
『所長は不安そうです』
『現在、我々はルールを侵しています。無論、セキュリティに引っかかるような重大な違反ではありませんが』
難しいところだと、ミクは思う。大体所長がだめなら、間違いなく所長より毛の総量が多いミクは入れない。いやミクの毛が抜けることはまれなので、そこは比べようにもないが毛についた埃がクリーンルームですべて取れるとはおもえないし、服の中にしまいこんだところで総量がかわるわけじゃない。防塵服だって、顔はでているし手もでている。
結局のところ、ある程度。というそういったレベルのものだ。神経質になって作業の邪魔にならないていどに、綺麗で安定した空間を実現するためのシステムだといっていい。
その都合でいえば、この場所に袋にはいった所長がいることは問題にはならない。
だが、所長は猫だ。いくらおとなしく人の言葉がわかっているように思えても、所詮かれは猫だ。何かの拍子に、驚いて暴れる可能性が0だと確定することはできない。
だから所長には、自由にこの部屋にはいる権限がない。
『ルールに即している以上、問題はないと判断します』
『そうですね』
笑いながらミクが答えた。
問題はない。
はずだ。
せっかくのご対面だからと、ココノツのマニピュレーターが所長の鼻先までやってきた。
不思議なものが近づいてきて、所長はにおいをかぐように鼻をヒクヒクさせている。ココノツの視界には、真っ白な毛に覆われた所長の鼻だけがみえている。
『興味深いです』
『でもやっぱり、猫は肉球だと思います』
『足についている消音緩衝システムですね』
『ぷにぷにです。コレをさわると、人間は幸せを得るそうです』
『人の幸せはココノツには難しい問題だと判断します』
シリコンの心に、銅線の神経をはりめぐらせ、カーボンの骨をアルミの皮で覆う。歯車の心臓は休むことなく駆動しつづけ、シリンダの筋肉が熱をはっし、体を駆け巡る油が熱を伝える。
無機物できた彼らは電波で笑う。熱量は彼らの命だ。電気でできた命。それはきっと無機だろうが有機だろうが換わりなく、変わらなく、代わりのないものだ。
ミクが、所長の入っている袋に手をいれ彼の前足をとる。
「所長、我々無機生命体に幸せをご教授ください」
『ミクの冗談は、ココノツにとって好ましいと判断します』
『そういうときは、笑うものだと教えられました』
『……言葉で笑うのは難しいですね』
『幸せには歩み寄る努力が必要かと……でも所長の肉球は今ここにあります』
そういって、ミクはココノツのマニピュレーターに所長の肉球を押し付けてみる。
ココノツのマニピュレーターの出力は、機体整備用であるので出力は人間の腕と変わらないものだ。空中でゆらゆらゆれていたものが、なぜか触ってもびくともしない光景、それはミクやココノツには不思議な光景ではないが所長にとってはずいぶんと驚くべきことだった。
目を丸くしてミクにされるがままになる所長。
『ミク。ココノツのマニピュレーターには触覚素子がありません。抵抗値は検出されていますが、幸せは得られないと予測します』
『圧力センサはありますか?』
『機体にタッチパネルとして使われてる部分があります』
いわれてみると、液晶のような画面がひとつココノツには付いていた。メンテナンス用の多目的ディスプレイ。ココノツの状態を表示したり、人間とのコミュニケーションをとるためにある入出力装置だ。
「所長。ここに」
そういって、ミクが所長の手を導く。真っ白の手に肉球の肌色。その所長の超然とした態度とは裏腹の可愛いコントラストがココノツの機体に触れた。
所長の肉球に反応して、ココノツのディスプレイが点灯する。まるで肉球の感触を計るように、ちかちかと光が明滅した。
「なぁっ!」
この光に驚いたのは所長である。いきなり黒いものが光りだしたのだ。大体彼にとって光は上からくるもので目の前が光るなんて想像もしてなかったものだから、驚きようといったらなかった。
落ち着いた今までの彼とは真逆に、目を見開き牙をむき、尻尾の先まで毛を逆立たせた。ミクの腕から、この場所から逃げ出そうとする猫の本能はいともたやすく拘束と袋を抜け出し――
前へ。
「あ!」
ミクも、そしてココノツも反応できなかった。
壁よろしく所長は目の前のココノツの機体に飛び掛り、足場にして逆側へ。美しい三角とびだ。白い軌跡は間違いなく芸術的な弧を描いただろう。だが、いまはそんなことどうでもよかった。
『――胴体衝撃は閾値内。検査を優先度2で実行。ログは検査後に最大権限で削除のちメモリの物理クリアを実行。入室状況ログに問題点を発見、フィックス開始。監視カメラの記録にファイル破損を発見、HD保護のため部分消去を開始します。検査権限を管理権限へ譲渡、他権限領域への検査開始――』
ココノツが叫ぶように己の状態を検査し始めた。いや、所長がいたという事実を消去し始めた。
驚いて部屋の隅へ逃げ込んだ所長だけが、いまだ状況を飲み込めず真っ白な饅頭になって固まっている。
『状況に問題はありません。所長の入った履歴も改ざんしました。問題は――』
『……ココノツの機体に傷を確認しました。所長の爪あとだと判断します』
そして所長がけりつけたココノツの機体には、彼の爪あとがしっかりと刻まれてしまった。
『確認しました』
マニピュレーターの先についてるカメラを器用に自分に向けて、ココノツが傷をなめるように見つめていた。
『すみません……』
『いえ、問題はないと思います。この場所は――』
その場所は、プロジェクト名の刻まれたプレートだ。メンテナンス用ディスプレイの上部、そこにずいぶん上品な表面加工を施されたプレート貼り付けてある。
――プロジェクト、E・E
Extrasolar(太陽系外)、Explorerの略だろうか。なんだかずいぶん気の抜けた名前のきもする。
『私は準惑星をもう一度冥王星にするためにゆきます。ですが、このプロジェクトはあくまで太陽系外探査プロジェクトとして打ち立てられています。ココノツはこのプロジェクト名がココノツに相応しくないと判断します。傷がついてもココノツはかわりません』
『しかし、安間博士に見つかれば問題に……』
『幸い室内の光源のおかげで影になる部分にあります。人間の目で傷を発見するには光を当てる必要があると思われます』
つまり、
『秘密にするんですか?』
『秘密? いえ、なにも問題がないのでココノツは報告の必要性レベルを最低レベルと判断しただけです』
しれっと。いやココノツの語調に抑揚がないからかもしれない。本当にさも当然であるかのように彼はそういって、所長を見つめるようにマニピュレーターを動かした。
その動きがなんだかイサムが、知らない振りをするときの雰囲気に似ててミクは思わず笑う。
『ふふ。そうですね、問題ないエラーは報告する必要はないですから』
電波の笑い声が、誰にも届かずに二人の間にだけ響いた。
いまだ所長だけが状況を理解できないまま、うずくまっていた。
◇
あっという間。という表現では、少々語弊があるようなそんな感覚。短いようであったが、永遠苦労をし続けていたような感覚。
イサムは自室でじっと天井を見上げていた。もうかれこれ、一ヶ月ちかく干していない布団に染み付いた埃と自分の体臭に埋もれながら、じっとイサムは天井を見上げていた。食事を何度取ったか忘れた。何度学校にいったかも数えていない。ただ、今はもう心配の電話がかかってくることもなかったし口うるさいミクに生活態度を改めるように説教されることもない。
あきれられているのだと、理解している。
だがいまさらどうしようもない。
アレから。歌詞を変えるといってから、結局作業は半分しかおわっていなかった。でっち上げで終わらせたくないという想いでこれまでやってきた。しかしそろそろあきらめなければいけない時期がきたのかもしれない。
ココノツに搭載される曲の公募期間はもう残り一週間と一日だった。幽霊のように日々をすごし、気がついたらこんな時期まできてしまっていた。他人と関わらないままだと時間間隔がおかしくなるらしい。体力はすでに数ヶ月も同じことをやってるような疲弊度合いのくせに、振り返ると一日たったのかも怪しい記憶しかない。今日は学校があっただろうか、その疑問を何度思ったかも覚えていない。曜日をみれば土曜日。今日は講義はないので、
「イサムさん、これからココノツの搬送があるそうですが」
ココノツにでもあいに行こうかと思った矢先、ミクの声が廊下から届いた。
「あ、あぁ」
久しぶりに声をだしたのか、喉が痛い。どれだけ自分は廃人になってしまっているのだろうか。体はちゃんと動くのか、不安だった。
と、扉が開く。扉から入ってくるのは光だ。久しぶりの朝がやってきたような、そんな気すらした。
「搬送作業は13時からで、搬送は15時だそうです。お昼までは会えるって安間さんが……大丈夫ですか?」
今は何時だろうと視線をめぐらせれば、古ぼけた時計が9時を指している。
「朝ごはんたべたら、行こうか」
「用意しますね」
扉をあけたまま、ミクが背を向けた。長い髪の毛は腰まである。一度だけその髪の毛を触ったことがあった。あの感触は今でも覚えている。
どっかで馬鹿みたいに、女の髪の毛はさらさらだなぁ、なんて考えてた記憶もはっきりしていた。彼女は人間ではないと、わかっているくせに。
すこし癖のある、だが今は寝癖でひどい状態の自分の頭をかきながら、イサムは勢いよく布団から起き上がった。
思ったよりも体はちゃんと反応してくれた。忘れていたのは頭のほうだけだったらしい。
廊下をぬけキッチンにいるミクをのぞく。無言で視線だけ向けてきたミクは相変わらず、半目で無表情にこちらをみていた。どうしたんですか? 言わなくても聞こえる言葉。
「おはよう。お風呂はいってくる」
「はい」
いつになったら、デレるのだろうか。そんなことを思いながらも、いまのミクが気に入ってるところもある。無表情だけどその分彼女は無言の意思表示をしてくる。なんとも不器用だと思う。きっといま頭をなでても、本当の意味で彼女は拒否しないんじゃないか、とかそんな馬鹿な考えが頭の中でくるくるまわってははじけて消えた。
Re:The 9th 「9番目のうた」 その9
OneRoom様の
「The 9th」http://piapro.jp/content/26u2fyp9v4hpfcjk
を題材にした小説。
その1は http://piapro.jp/content/fyz39gefk99itl45
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