マスターが学校に行っている間、私はたいがい眠っている事が多い。初期設定の録音室のソファで毛布を被って眠る。時々ネット上の街にくりだしたりもするけれど、マスターのパソコンは狭いので服などのモノを増やす事も難しい。というか、デスクトップ汚すぎなのよ、マスターは。
 そんなわけでぐうたら過ごす事の多い私なのだが、この日はお出かけすることにしていた。
 髪をきちんと梳かして、アホ毛だけはぴょこんと跳ねているままなんだけど、お出かけの準備をする。服は一枚しか持っていない私なりの精いっぱいのお洒落だ。
よっこいしょ、とデスクトップ上にあるいくつもの障害を乗り越えて、ネットに接続する部屋にもぐりこんだ。いくつものディスプレイが並ぶ部屋の中央に立ち、そのひとつ、ひときわ大きなディスプレイに手を伸ばした。かちかち、と空いている方の手で出現させたキーボードをリズミカルにたたく。と、手を伸ばしていたディスプレイがひかりを帯び、そこが扉となって開いた。そのまま私はネット上の世界にもぐりこみ、ネット上にいくつも構成される街並みの一つに交信をした。
 街に着いた瞬間、いい匂いが鼻孔をついた。街路に並ぶ屋台から流れてきた匂いだ。粉モノとソースの香ばしい匂い。いつもの時間よりも少し早いから、何か食べようかなと立ち並ぶ屋台に視線を向けていると、ぽんと背中を叩かれた。
「ミキちゃん」
その男の人の声に反射的にいちばん可愛い笑顔で振り返ると、そこにはにやりと笑みを浮かべた氷山キヨテル(ロリコンボーカロイド、私の天敵)が居た。だ、だまされた。
 にっこりと可愛らしく微笑んだ私に向かって、キヨテルはまるで面白いものを見たかのようにぷ、と吹きだした。
「カイトさんと間違えたか」
「うっさい。私の良い顔返せ。てか普段チャン付けしないくせに」
悪態をついた私に、おお怖い、とわざとらしくキヨテルは肩をすくめた。
「そんなんじゃあ愛しのカイトさんに嫌われるぞ」
「あああ憧れてるだけだけど!?」
「はいはい、そう言う事にしておきましょうか」
動揺駄々漏れな私に余裕しゃくしゃくなこいつの態度。腹立たしいなあくっそう。
 ぴょこん、と無駄に背の高いキヨテルの脇から愛らしい少女が顔をのぞかせてきた。歌愛ユキちゃん(ボーカロイド仲間。天使)だ。ユキちゃんは私とキヨテルを交互に見比べて、喧嘩しちゃだめだよ、と少し舌ったらずな発音で言った。
「いっつも先生とミキちゃんは喧嘩するんだから、だめだよ」
そんな可愛い声で諭されてしまっては誰もが頷かずにはいられないと思う。案の定、私の横のロリコン男もでれっとした表情で頷いているし。や、こいつの場合はロリコンだから、か。
 このキヨテルとユキちゃんはそれぞれ違うマスターの子たちだ。この街で何度か出会う事があって、同じ会社出身なのもあって、しばらく挨拶を重ねるうちに顔見知りになった。正直、キヨテルとは仲良くしたくないんですけど。でもあっちが何かとからかってくるからこっちもスイッチ入って応戦しちゃうんですけど。
 とにかくユキちゃんに戒められてしまったので、表立っては喧嘩腰にならないよう、でも水面下では肘で小突き合いつつ、私たちは並んで微笑んだ。
「喧嘩してなんかしてないよ、ユキちゃん」
「そうそう。ちょっとミキをからかっただけだよ」
ははは、なんてユキちゃんに対しては無駄に爽やかに笑うキヨテル。やっぱり腹立たしい。
「そうそう、キヨテルなんかかまっている暇は無いのよ私には」
言外にキヨテルうざい、と匂わせて、私がそう言うと、にやりとキヨテルは笑った。その笑顔、胡散臭い。思わず身構えた私に、カイトさんを待ってるのか、とキヨテルは言った。
「カイトさんならばもう買い物終えて帰ったぞ」
「うっそ」
思わず大きな声を上げた私に、ミキちゃんと入れ違いだったよ、なんてユキちゃんも無邪気に言う。
「今日もアイスを沢山買ってたよカイトさん」
うん、知ってる。今日はアイス半額デーだから、いつもこの日はカイトさんが買い物係なんだって。そんな風な事を前に言ってたの覚えてたから。だから折角街にやってきたのに。
 あと一歩のすれ違いだったのかぁ。と思わず私は大きなため息をついた。

 KAITOさんは沢山いるけれど、その中でもカイトさんは私にとって特別だった。
 カイトさんは、マスターの好きな、神様みたいな音を出すPのボーカロイドだった。カイトさん以外にもそのPの所にはボカロが幾人もいて、一緒に暮らしているのだという。他のボカロ達がちょっとかなり羨ましい。
 カイトさんと出会ったのはいつの事だったか。この街の公園で、鼻歌を歌っていたカイトさんに気が付いたのはいつの事だったか。反射的にその歌声に反応して声をかけたのは、いつの事だったか。
他のKAITOさんよりもずっと格好良くて、素敵で、穏やかで、ちょっと可愛いところもあるカイトさん。
そんなカイトさんに会うためにこの日を狙って外出してきたのに。
「いやいや可愛いって。カイトさんもあれだぞ、普通にヘタレな人だってこの間リンちゃんが言ってたぞ。よれよれのTシャツ着てる時もあるし」
「よれよれのTシャツ着ててもなんかそれはそれで可愛いからいいの。というかキヨテル、あんたリンちゃんも許容範囲内なわけ?」
「ああ、リンちゃんもストライクゾーンだ」
何のストライクゾーンだ。
 心の中でそう突っ込みを入れつつ私は思わずユキちゃんをキヨテルからそっと離した。危険極まりないこいつの傍に可愛らしいユキちゃんを、これ以上は置いておけない。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい
  • 作者の氏名を表示して下さい

泣き虫ガールズ・2

閲覧数:98

投稿日:2012/03/08 15:38:34

文字数:2,304文字

カテゴリ:小説

クリップボードにコピーしました