11.白皙の頬をした兵隊
島でただ一つの博物館の、学芸員を務めるヴァシリス・アンドロスは、島の人間ではない。大陸の国から、島の歴史の魅力に惹かれてやってきた、移住者だった。
家族はおらず、ただひとりで博物館のとなりに小さな部屋を借りて暮らしている。両親を十歳のころに亡くしてからそれぞれの進路を見つけるまで、毎日のように博物館に通ってきたリントとレンカが、いわば彼の家族のようなものだった。
「大陸の国の軍が、島に駐留する……」
ヴァシリス自身は、島に住み始めてもう長い。かれの真面目な働きにより、島の人々の信頼は得ているが、黒い髪に黒い目という、金髪翠眼の島の民とは違う風貌をしているため、大陸から来た駐留軍の行動によっては、立場が悪くなることも考えられた。
「俺は、どうすべきかね……」
ヴァシリスの手元には、ルカの手紙が積んである。
一番上に置かれた手紙は、まさに封を切られたばかりだった。
「ルカ……」
それは、先日届いたルカからの船便だった。
駐留部隊として、島に滞在します。
そう、書かれていた。
と、そのとき、部屋の扉が叩かれた。時刻はすでに二十時を回り、人々が一日の終いに入る時刻である。
「はい、どちらさまでしょう」
声をかけたヴァシリスに返された声は、彼が予想だにしなかった者だった。
「ヒゲさん? オレだよ! リントだ」
「リントくん?!」
わっとヴァシリスの声に笑みが混じる。
「いつ帰ってきたんだい! 定期便が来たとき、君が乗っていたという話は聞かなかったけれど、どこかに寄り道でもしていたのかい!」
ヴァシリスが急いで扉を開けると、そこには、見間違いようもないリントが立っていた。さらさらとまっすぐな金の髪、やや伸びた背丈に、気さくな微笑み。
……その全身は、びっしょりと濡れていた。ヴァシリスがふと空を見上げると、美しい星が天を満たして輝いている。雨など、今日は一度たりとも降っていない。
「……海で泳ぐのはレンカちゃんの十八番ではなかったかい?」
驚きつつも冗談を言いながら笑顔を作ったヴァシリスに、リントはふっと笑った。
「悪い、ヒゲさん。……オレ、逃げてきた」
ヴァシリスの表情が真剣なものに変わる。無言で濡れたリントの肩を抱き、自室に押し込み、しっかりと扉を閉めた。
「……なにがあった。リントくん。郵便飛行機は」
「荷物を落として帰着する途中で、ドレスズ島の藪にわざと突っ込んだ。近くの浜で小舟を借りて、島伝いにここまできた。女神像の先の岩から回り込んで、レンカが見つけた入り江からこの島に入った。夜まで、その入り江に隠れていた……」
笑顔は崩さないものの、リントの言葉はヴァシリスの問いには答えていない。
「リントくん。もういい。無理しなくて良い」
ヴァシリスが奥から大判の布を取り出してきてリントの頭からすっぽりとかぶせる。
「余裕のふりなどしなくていい。必要があるなら、レンカちゃんにも言わない。言えないことなら、今夜は俺はなにも聞かない。とにかく休め」
「ヒゲさん……」
リントの目が見開かれ、そしてすとんと体から力が抜けた。
「迷惑かけてごめん。でも、オレには、無理だ……」
リントが服のポケットから、小さな紙片を取り出した。
海水に濡れ、しわくちゃになった後も、そこに書かれた文字ははっきりと読み取れた。
「召集令状……」
指定された部隊は、大陸の国で新しく編成されつつある、飛行機部隊だった。
「オレには、無理だ。手紙のかわりに、爆弾を落とすなんて、無理だ……!」
ヴァシリスは、リントの濡れた服をとにかく脱がせ、体を拭いて乾いたものを着せる。
多少だぶついたヴァシリスの服にくるまり、リントは背を丸めて卓に突っ伏した。
「ごめん。ヒゲさん……」
リントにコーヒーをすすめながら、ヴァシリスは天を仰いだ。
「なんて時に帰ってきたんだ、リントくん……!」
ヴァシリスの目が窓の外を見上げる。
「明日、この島には、その『大陸の国』の駐留部隊が来るんだぞ……!」
* *
次の朝。島の空は、夏には珍しく曇天に覆われた。
島の港に汽笛が響き、大陸の国の駐留部隊が降りてくる。真白な制服に身を包んだ彼らは、列を組んで、島の中央にある石造りの市庁舎へやってきた。
市庁舎の屋根には『島の国』の島々を示す旗と、この島を示す旗が掲げられている。
やがてゆっくりと島の国の旗が降ろされた。降ろされた青地に緑点のちりばめられた旗の代わりに、真赤な地に緑の斜線の旗が掲げられた。
特別な場合に使われる、『島と大陸の同盟旗』だった。
色の効果は絶大だ。真っ赤に変わった旗の色は、市庁舎で島をつかさどる者に、そして見守る島の人々に、この島の状況が変わったことを実感として植えつけた。
「では市長。この市庁舎は、本日0900より、有事終わるその時まで、大陸の国駐留部隊の使用するものとする」
島の国の市長が、眉間にしわを寄せたまま、駐留組の部隊長に、市長室と市庁舎の鍵を渡した。
市庁舎の玄関先、多くの者が見守る中、いくつかの書類が取り交わされた。
市長と島の者は市庁舎の脇の建物に移り、中央の建物には大陸から来た白い制服の一段が、行儀よく整列して入っていった。
雨の落ちない曇天の中、白い制服達が島の市庁舎に入っていくのを、島の人々はじっと見つめていた。
だれも一言も何も言わなかった。これは、島では珍しいことではない。島の者が五十年生きている中で、大陸の国と『奥の国』の関係が悪くなるたびに、二度三度と必ず経験することとなる儀式だった。
レンカにとっては、二度目のことであった。一度目は、十歳の時。そして、二度目は今。
目の前を、白の制服の男たちが、まるで映像のように流れていく。
と、その最後尾に近い場所に、やや細身の姿を見つけた。
「あれ、女の人……」
白い制服の女性は、まっすぐ前を向いてレンカの目の前を通り過ぎた。
きちんと詰めた襟。きびきびとした歩行動作。しかし、深く被った制帽の下に覗いた、結い上げた髪のおくれ毛は、薄い紅色だった。
そして、その瞳は、忘れもしない海の色。
「……ルカ、ちゃん……?」
レンカの呟きに応えることなく、ルカの姿は市庁舎の石の建物のなかへ消えて行った。
やがて、雷がとどろき、雨が落ちてきた。人々が広場から逃げ去った後も、レンカは動けなかった。
レンカの脳裏に、初めて会ったときと同じ、ルカの真白な頬と表情が、鮮明に焼き付いていた。
つづく!
滄海のPygmalion 11.白皙の頬をした兵隊
青い海と島と、見下ろす空のもと、物語が動き始める!
この兵隊ルカちゃんを書きたかった!
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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