さっきまでのミクの澄んだ声と規則的に流れてくる音が、ドラマチックに空気を振るわせていたのが嘘だったかのようの静けさだった。全てが終わった静けさが、そこにあった。
ミクは目を閉じていた。再び、月明かりの中に佇む彼女は、とても神秘的で悲しかった。
あれ……? どうしたんだ? 胸が苦しくて、鼻がツンと来て……ダメだ。何か視界が歪んでる。あれ、どうしたんだよ……。
「……ケイ、泣いてるの?」
泣いてる? 誰が?
気が付いたら、ミクがオレの事を心配そうに見つめていた。
「い、いや……べ、別に……」
普通に喋ろうとしていたのに、声が詰まる。お、おい……どうしたって言うんだよ。この胸の切なさも、ミクの歌を聴いた幸福感も……何だか嬉しいような悲しいような、色んな感情がごちゃ混ぜになってオレの胸を圧迫した。
くそ、おかしいな……。なんか目から勝手に涙が出てくるぞ。くそっ、止まれって。ミクの前でこんな恥ずかしい姿は晒したくねぇんだから……。
「うふふ、そんなに良かったんだ。嬉しいなぁ。ボーカロイド冥利に尽きるって感じね」
オレが必死に取り繕ってる姿が面白かったのか、ミクは笑いながらオレを見ていた。
くっ……は、恥ずかしいんだが……。
ミクは満面の笑みを浮かべながらこう聞いてきた。
「歌って、良いでしょ?」
「あぁ、良いな……。凄く良いな……」
恥ずかしかったが、ミクのこの笑顔に毒気を抜かれたのか、ついつい上の空のように本音が漏れてしまった。……でもいいか。ミクの歌は、本当に素晴らしかったんだからな。
オレの隣で、ミライは相変わらず短い腕を振り回して精一杯拍手をしていた。気づかなかったが、いつの間にかガウルもオレ達とは離れた場所でにいた。オレの視線に気づいたのか、面倒くさそうにオレに一瞥をくれてから、ミクの方を目を細めて見ていた。その顔は、心なしか優しい眼差しに思えたから不思議だ。
「さて、まだまだ行くわよ。なんったって久しぶりだからね。もう、声が枯れるまで歌い続けるわよ!」
「ま、まだ続けるのかよ?」
「そうよ。当然じゃない」
興奮した面持ちで断言するミク。
ミクの歌を聴くのは良いんだが……あまりにも良すぎて、これ以上聴くとオレの体が持つか不安だった。
「約束したでしょ? 私が満足まで付き合ってもらうって。あなたがどう思おうと、無理矢理聴かせるんだから!」
「わかったわかった……。いくらでも聴かせてくれ。オレも腹をくくる」
「うふふ、そうこなくっちゃ。さて、次の曲行くわよー!」
ミクは生き生きとしていた。
やはり彼女は、歌を歌うために生まれてきたのだろう。こっちの方が、本来の彼女の姿なんだろうな。
観客はオレとミライとガウルしかいなかったが、ミクはそんな事など気にせずに歌い続けた。優しい歌を、激しい歌を、悲しい歌を、元気になる歌を……数え切れないほどのたくさんの歌を歌った。
その度に、オレは感動した。オレの心は揺さぶられた。今までに感じたことのなかった興奮がそこにあった。
これが、歌なのか……。
初めて感じる未知の感覚に戸惑いながらも、心地よさを感じていた。そしてこれこそが、オレ達が求めていた感覚なのだ。オレ達が失っていた大切な感覚……。
ミクはもう何曲目だかわからないくらい歌っていた。ボーカロイドは疲れを知らないようだ。聴いているオレの方が先に体力が尽きそうだな。
えーい、どうにでもなれ。こうなったら、行けるところまで行ってやるさ!
だが意外な事に、彼女の幸せそうな笑顔を見れるだけで、そんな疲れも吹き飛んだ。こんなに生き生きとしたミクの笑顔を見ていると、不思議とオレにも力が湧いてくるようだった。
今はただ、彼女とこの想いを共有したい。小難しい事なんて考えずに、彼女の歌声に耳を澄まそう。その流れに身を委ねる事は、とても心地良い事なのだから。
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