「……なあ、ミク」
ミクの嗚咽が完全に聞こえなくなって、落ち着いたところを見計らってオレは声をかけた。ミクは、オレの胸に埋めている顔をわずかに左右に動かした。
それを返事だと解釈して、オレは続けた。
「お前はボーカロイドなんだろ? 歌を、聴かせてくれないか。オレは歌ってのを聴いたことがないんだ。歌というものが存在していたって事は歴史で学んだんだが、実際の歌というのは聴いたことがなくてさ」
ミクはまだオレの胸に顔を埋めている。
「お前は歌うことが好きなんだよな。昔、いっぱい歌ったって言ってたよな。だからさ……その、オレに歌ってくれないか。歌うことがお前の生きる意味になるのなら、その……オレのために歌ってくれないか」
自分で言っていて恥ずかしい。顔が見る見る赤くなって、耳たぶまで体温が急沸騰しているのが、我ながらよくわかる。何を言ってるんだろ、オレ……。
ミクはしばらくオレの胸に顔を埋めたままだったが、やがて何かを堪えるようにプルプルと震えていた。また、泣いちまったか……。そうだよな。こんなオレの我が儘を聞いたって、彼女の孤独が癒えるわけでもないしな。どうしたら、ミクを救えるんだろうか……。
そんな風にオレがミクについて真剣に悩んでいたら、彼女は顔を上げるなり、オレを見ながらこう言った。
「あなた、ばっかじゃないの? 『オレのために歌ってくれないか』だって……もうばかよ、ばか。恥ずかしいわね、ホント」
罵る言葉とは裏腹に、彼女は満面の笑みを浮かべていた。本当に嬉しそうな、心からの笑顔。
「……でも、いいわ。聴かせてあげる。いっぱいいっぱい歌うから。途中で聴きたくないって思っても、無理矢理聴かせるから。私が満足するまでずっとずっと……。だから途中で諦めたりしたら許さないから。最後まで付き合ってよね」
ちょっと恥ずかしいのか、彼女は早口でまくし立てた。
そんなミクに、オレは見とれてしまっていた。
彼女のはにかむ姿はたまらないほど可愛くて、心臓の鼓動が思わず早くなってしまうほど魅力的だった。そして、そんな可愛い彼女がオレの腕の中にいるということに、今更ながらドキドキしてきた。
「な、何とか言ってよ……。私の顔を見ながら、黙ってないで」
「あ、ああ……」
やばい……どうしよう……。なんか、ミクがオレの腕の中にいるのに、凄く遠いような感じがする。恥ずかしくて、ドキドキして、何かフラフラしてきた。柔らかい地面の上に立っているような心許ない感じだ。
お、落ち着け……落ち着け、オレ。
「……そんな風に見つめられると、私まで恥ずかしくなるじゃない……ばか」
彼女はそう言って、視線だけ外した。その、ちょっと困ったような顔が、たまらなく可愛かった。
「ミク……」
「何よ?」
ちょっと頬が紅潮している顔で、ミクは応えてくれた。
目と目が、合う。
そういえば前も、ミクにこうやって瞳を覗かれたような気がする。その時も不思議な感じがしたが、今はもっと不思議な感じがする。何というか……初めての感じだ。彼女の、その青い髪と同じ青い瞳が、深く青い瞳がオレを見つめている。そのあまりにも青さに、オレはそのまま吸い込まれてしまうのではないか、という妙な錯覚に陥る。
何か……何かミクに対して言う事があったような気がするが、彼女の瞳を見ていると、全ての言葉がオレの頭の中から消え失せた。そんな言葉なんてどうでも良かった。ただ、彼女がオレの腕の中にいるだけで、幸せだった。確かにミクはここにいるのだ。
「……だから、何よ?」
「あ、いや……」
言葉に詰まった。ミクは強い口調の割には笑顔だった。ちょっと恥ずかしそうにしているが、明らかに何かを楽しんでいるような雰囲気だ。見透かされてるのかね……。
でもまあ、何も言えない状態なのは確かだ。オレはミクを抱きしめている。さっきまでは必死だったから気づかなかったが……ミクの柔らかい身体を、全身で感じている。そう、ミクの身体は柔らかいのだ。その事に気づいてしまったから、オレの思考はもうパンク状態だ。ミクがアンドロイドとかボーカロイドとか、そんなのは関係ない。女の子が、オレの体に密着しているという事が、もうどうして良いかわからないほどの衝撃の事実であって……ついつい、邪な想像までしてしまって……いかんいかん。この、抱き心地の良さはやばい……。
「……鼻の下、伸びてるわよ」
「……え?」
「情けない顔になってる。変な想像、してない?」
「え? いや、そんな事は……」
そんなオレの狼狽えぶりを見て、ミクは楽しそうに笑っていた。
「すまん。いつまでもこんな状態じゃ、お前も嫌だよな」
もう恥ずかしくて、ミクにオレの心を見透かされたくなくて、彼女の背中に回していた腕を解こうとしていた時だった。
「……どっちだと思う?」
「……え?」
「こうやって抱きしめられてるの、好きだと思う? それとも嫌だと思う?」
ドキッとした。そう言ったミクの表情は凄く妖艶で、えらく大人っぽかった。今まで見る、どんなミクの表情よりも綺麗で、魅力的だった。
「…………」
言葉を失った。見つめる。その、青い瞳に吸い込まれる。
引力が、あるのかもしれないな。
オレは何も考える事なくミクを更に抱き寄せて、そのミクの可愛らしい唇に近づけて行った。ずっと前からそうする事が決まりだったかのように、オレはごく自然にそう振る舞った。
オレの気配を感じたミクは、目を閉じて応えてくれた。
ミクの顔が近づいてくる。近すぎて、その顔がぼやけて見える。あと少しで、触れ合う。
その瞬間だった。
「キャシャァァァァァァァァァッッ!」
妙な奇声と共に、オレは側頭部に衝撃を感じた。
な、何が起こったってんだっ!?
何とか足を踏ん張って、倒れないようにしていたら、
「キャシャッ! キャシャーッ!」
オレの肩の上に乗って、ガシガシとオレの頭に爪を立てて……痛てぇなっ!
この妙な奇声と、オレの肩に乗る体重、目の端に映る茶色い毛玉……こんな事をするのは奴しかいねぇ。
オレは右手をミクから離すと、オレの肩に乗っている無礼な客人の首根っこを掴み上げる。
「コラ、ミライ。何しやがる。痛てぇじゃねぇか」
「キャシャー、キャシャー!」
ミライは血走った目で、手足をバタバタさせていた。無駄だ。お前の妙に長い胴体に、その妙に短い手足じゃ、これ以上オレに危害を加えることなぞできまい。
そんな風に、哀れな小動物を観察していた時だった。
「シャーッ!」
「ぐわっ!?」
オレの眼鏡が飛んだ。奴は小癪にも、振り子の要領で体を振ってオレの眼鏡を蹴り上げやがった。ちっ、油断した。
予期せぬ攻撃を食らったため、思わずオレの手からミライがすっぽ抜けた。その隙を奴が逃すはずがなかった。
「あ、てめぇっ! オレの眼鏡を返しやがれ!」
素早く地面に落ちたオレの眼鏡を拾い上げると、そのまま入り口の方まで走り去っていきやがった!
くそ、眼鏡がないせいで視界がぼやけてる。地面の砂が保護色となって茶色い毛玉を見失いそうになる。
「くそっ! 待ちやがれっ!」
ミクから離れて、オレはミライを追いかけるために慌てて走り出した。
背後からは、ミクの楽しそうな笑い声が聞こえた。オレとミライのやり取りが面白かったのだろう。
道化になるのも、そう悪くないのかもしれないな。ミクの笑顔を取り戻せるのなら、それも悪くない。
ありがとな、ミライ。だが、その眼鏡はくれてやるつもりはないぜ。
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