第七章 戦争 パート5
黄の国の軍勢が来襲。
その報告が緑の国のミク女王に届けられたのはそれから三日後のことであった。私室でいつもの様にハクが淹れた紅茶を嗜んでいたミク女王は、ミク女王直属の親衛隊であるウェッジからもたらされた報告に思わずティーカップを手から滑り落とし、床に落下した白磁のそれが派手な音を立てて割れ、中身の紅茶が床に飛散した。頭が真っ白になるという経験はそうそうないが、今のミクはまさしくその状態であったのである。
「ミクさま。」
ハクの震える声がミクの耳に届く。思考を中断していたミクの脳髄にそれは一針を刺す刺激となり、濃霧の様にミクの思考を覆っていた視界が開け、ようやくミクは我に返った。
「あ・・ごめん、ハク、割れたカップを片付けて。」
今言うべき言葉はそれではないような気がするが、とにかくミクは一番に目の中に飛び込んできた、細かく砕かれた陶器をどうにかしようと考えたのである。紅茶が零れたのか、ミクのドレスの端に茶色の染みができていた。着替えるべきだろうが、その時間も無いだろう。ミクはそう考えてから、ウェッジに向かってこう言った。
「今すぐグミとネルを呼んで。執務室に。」
その言葉に対して敬礼を返したウェッジはすぐに回れ右を行い、先程来た時と同じように、普段よりも少し荒く樫造りの私室の扉を開けると、駆け足でミクの私室から退出して行った。残されたのはミクとハクだけである。
「ミクさま、お召しが汚れていますわ。」
ティーカップを片付けようとして椅子から立ち上がったハクがそう言った。どうやらスカートの染みに気が付いたらしい。
「このままでいいわ。時間が無いみたいだし。」
ミクはそう言いながらハクと同じように椅子から立ち上がり、続けてハクにこう言った。
「すぐに戻るわ。それまでここで待っていて。」
待たせる理由はない。しかし、今から始まる軍議の後にもう一度ハクの紅茶が飲みたい、とミクは考えたのである。
「情報を整理したいわ。」
執務室に順次現れたグミとネルに向かって、ミク女王はまずそう告げた。戦の基本は情報収集から。王女時代に学んだ戦略の基本であった。先程感じた一時の混乱からは既に覚め、ミク女王は普段の冷静さを取り戻していたのである。
「申し上げます。」
そう言ったのはグミ。即席に用意したらしいレポートを片手に、緊迫した面持ちで言葉を並べてゆく。
「黄の国の軍は総勢三万、総大将はロックバード伯爵、副将はメイコ殿とレン殿とのことです。」
静かな執務室に、グミの声が響く。総大将と副将のメイコ殿は順当な選択だろう。しかし、レンという名前にミクは僅かに耳をそばだてた。
「聞いたことのない奴がいるね。」
両腕を組んだ格好でそう言ったのはネル。遊覧会に参加していなかったネルがレンの名前を知る訳がない。しかし、ミクにはその姿をありありと思い浮かべることができた。言葉を交わしたのは一度きりなのに、妙に記憶に残っている。月明かりのパール湖、グミとカイト王への対策を考えていたあの時に唐突に現れた金髪蒼眼の少年。
「あの時のレンね。」
他に思い浮かぶ人間はミクの記憶の中にはいなかった。呟くようにそう言ったミクに向かって、ネルが不審そうな響きで訊ねる。
「ご存じなのですか。」
「ええ。遊覧会の時に会ったわ。リン女王の従者殿。」
本当は、違う身分の人間であるはずだ。どうして従者という身分に甘んじているのかは分からない。あるいは、その疑問があるからこそレンに興味があるのかも知れない、と考えて、それも違うか、と思い直した。カイト王に求愛を迫られた遊覧会の最終日、助けを求めて思い浮かべた人物がレンであったのは何故だろう。
「従者が副将とは、舐められたものですね。」
ネルが続けてそう言った。
「いいえ、おそらく本気で攻め落とすつもりだからレンを副将にしたのよ。」
ミクはネルに対してそう答えた。その言葉に対する確証はない。そもそもリン女王もレンの本当の身分については認識していない様子だった。だが、リン女王にはレンに対して何かを感じるところがあるのだろう。だからこそレンに副将を任じたのではないか。
「一体何が理由なのです。我が国を攻める理由は無いはずだ。」
苛立ったようなネルの言葉が響いた。それに対して、あくまで冷静なグミが答える。
「大義名分は既に発表されていますわ。『ミク女王とカイト王に不倫の気色あり。』」
「そう。」
ミクは小さくそう言った。確かに、捉え様によってはその解釈もできるだろう。
「何かしたのですか?」
ネルが再び口を開いた。
「遊覧会の最終日、カイト王に求愛を迫られたわ。」
小さく答えたミクに向かって、ネルが更に言葉を続ける。
「それに対して、何と答えたのです?」
「何も。」
あの時。パール湖の湖畔でカイト王に求愛を迫られた直後に、私たちは人の足音らしい物音を確かに聞いた。誰かに聞かれたか、と焦るカイト王をよそに、私はあの時、二人の幼い人間の後ろ姿を見た。一人は何かを思いつめたように荒々しく駆けて行き、もう一人は先に駆けだした人間の後を追うように、戸惑いながら駆け去ったのである。その、後から駆けて行った少年らしいシルエットを持った人物の髪の色は今も鮮明に覚えている。月夜に輝くような金髪だったのだ。金髪の人間は他にもいるし、それがリン女王とレンである証拠は何もない。それでも、それがあの二人であっただろうという確信をミクは抱き始めていた。そうでなければ、この時期に黄の国が緑の国に攻めてくる理由がない。
「カイト王の件を誰かに目撃されたのでしょうか。」
グミがそう言った。
「多分、レンに。」
ミクはそう答えた。しかしその言葉はグミにとっては十分な驚きを与える言葉だったらしい。戸惑ったように、グミは言葉を返した。
「一体、いつ。」
「あの時、遊覧会の最終日の夜だと思うわ。」
「それを勘違いされたのでしょうか。」
「そうかも知れない。」
「ならば、誤解であると黄の国に伝える必要があります。無用な戦をすべきではありません。」
グミの言うことは正しい。しかし、リン女王がそれで納得するのだろうか。そもそもこの事態はカイト王から求愛を求められ始めた頃から予測できた事態ではなかったのか。カイト王はここまで早く黄の国が行動を起こすと考えたことがあったのだろうか。おそらく、無いはずだ。では、どう対応することがベストか。
「グミ、黄の国は私たちの話を聞いてくれるかしら。」
「やってみなければ分かりません。」
つまり、グミにも自信がないと言うことか。今から黄の国へと向かったとして、果たして何日かかるだろう。通常の道のりで十日かかる距離だ。早馬を駆けさせても軽く五日はかかるわ、と言う結論をミクは出した。ロックバード伯爵なら耳を貸してくれるかも知れないが、それも一時しのぎに過ぎないはずだ。
「ネル、私たちだけで黄の国に勝てるかしら。」
「難しいわ。私たちの全軍はかき集めても一万よ。籠城すれば多少は持ちこたえられるだろうけど、それも保障はないから。」
妥当な判断ね、とミクは考えた。三倍の敵を相手に勝つには奇襲か籠城しかない。しかし相手は歴戦の勇士であるロックバード伯爵である。ロックバード伯爵相手にどれほど戦えるのか。ネルの武力は相当高く評価しているつもりだが、軍略と言う意味でロックバード伯爵には及ばない。それでも勝つにはどうすればいい、と考えて、ミクは諦めたようにこう言った。
「青の国に援軍を頼みましょう。」
「しかし。」
グミが懸念を表す様にそう言った。グミは理解してくれている。私はカイト王を愛していない。だから、カイト王の求愛を拒もうとした。なんてことはない、私もカイト王と同じ。愛してもいない人間と結ばれることが嫌だったから、拒んでいただけ。国際関係はその言い訳に過ぎない。でも、現実に危機は迫っている。そして、それに対処するにはカイト王の力がどうしても必要だった。
「構わないわ。グミ、今すぐ援軍要請の使者として青の国へと向かって。」
「宜しいのですね?」
確認するように、グミは語気を強めて、そしてゆっくりとした調子でそう言った。カイト王の求愛を実質受けることになりかねない。グミはそれを懸念しているのだ。でも、それは私個人の感情に過ぎない。緑の国の女王として君臨している以上、政略結婚も止むを得ないだろう。それよりも、緑の国を守ることが私の使命。
「ええ。」
ミクは真っ直ぐにグミを見つめて、そう言った。
「それならば最早何も言いません。」
グミはそう言うと席を立った。そして、言葉を続ける。
「では、今すぐに出立致します。急げば五日ほどで青の国の王宮に到達するかと。」
「お願い。」
往復で最速十日間か。いや、行軍となればもっとスピードが落ちるはず。二週間は覚悟しなければならない。それまではネルに踏ん張って貰うしかないわ、と考えて、ミクは続いてネルの瞳を真っ直ぐに見つめてから口を開いた。
「ネル、二週間持ちこたえられる?」
ネルはその言葉に、不敵に笑うとこう言った。
「持ちこたえないといけないのでしょう?なんとでもして見せるわ。」
そう言うとネルも立ち上がった。続けて言葉を放つ。
「今から防衛戦略を立てるわ。戦なら私に任せて頂戴。」
「無理はしないで。」
ミクがネルに向かってそう言うと、ネルは優しい笑顔を見せてから執務室を退出して行った。その後ろを、グミが続く。静かに閉じられた執務室の扉を呆然と見詰めながら、ミクはふと思い起こすことがあり、机に用意してあるハンドベルを手にとると小気味の良い音を響かせた。その音に、部屋の外で護衛の任についているウェッジが入室してくる。
「ハクをここに呼んで。多分まだ私の私室にいるはずよ。」
その言葉を先程と同じように敬礼で返したウェッジは、先程よりも落ち着いた様子で執務室から退出して行った。再び閉じられた扉を眺めながら、ミクはふと、レンはどんな表情で行軍を続けているのだろうか、と考えた。
一体いつ戻られるのだろうか。
ミク女王の私室で待機を命じられたハクは、いつまでたっても現れないミク女王を案じながらその様なことを考えた。こんな時、自分自身がもどかしい。戦争に参加できるような力はないし、政治に関してアドバイスを与えられる程の知恵も持ち合わせていない。何かあたしでお役に立てることはないのだろうか、と考えてハクが何度も繰り返した溜息を漏らした時、唐突に私室の扉がノックされた。
「どうぞ。」
一体誰だろう、と考えながらハクはそう答えた。扉が開かれた後にハクの瞳に映った人物は親衛隊のウェッジである。
「ハク殿、ミク女王がお呼びです。執務室までお越し下さい。」
「分かりました。」
二つ返事にそう答えたハクはそれまで着席していた椅子から立ち上がった。割れた陶器の処理と零れた紅茶の片付けは既に終わっている。もう一度紅茶をご所望になられるだろうか、とは考えたが、それよりも先にミク女王に会いたいという希望が先行していた。そのまま、王宮の同じ階にある執務室へと向かい、二度ノックする。
「入って。」
中からミク女王の声が響いた。丁寧に扉を開けたハクに向かって、ミクが笑顔でこう言った。
「ごめんね、待たせて。」
「いいえ。」
ハクがそう答えると、ミク女王はハクに着席を促す様に右手で目の前の椅子を指し示した。それに従ってハクが腰を椅子に落とすと、ミク女王が口を開いた。
「ごめんね、ハク。大変なことになってしまって。」
申し訳なさそうに、ミクはそう言った。
「やはり、戦争になるのですか?」
「ええ。戦いは避けられないわ。その前に、ハクに渡しておこうと思って。」
「何でしょうか?」
ハクがそう訊ねると、ミクは一旦立ち上がって執務室の一番奥に用意されている執務机へと向かい、そしてその机の引き出しを開けると、細長い物体を取り出した。それを掴み、再び部屋の中央に置かれている長机に戻ると、ハクの目の前にその物体を丁寧に置いた。
ナイフだった。
「護身用に持っていて。何が起こるか分からないから。」
その物体はしかし、ハクにとって妙な違和感を覚えさせるものだった。今まで触れて来た刃物とは質感が異なる。あくまで人を殺す為に作られたその刃は、人の生活を助ける為に生み出された包丁や食事用のナイフとはサイズも形状も異なる。人の身体に極力突き刺し易い形を追求し尽くしたそのナイフを、ハクは恐る恐る手に取った。少し重いその感触を確かめ鳴ら、ハクはナイフを持ち上げて目の前に翳した。
「鞘を抜いてもいいわ。」
ミク女王が続けてそう言った。その言葉に誘導されるように、ハクはナイフを抜き放つ。現れたのは血に飢えているような鋭利な刃。
「あたし、これを使ったことはありません。」
研ぎ澄まされた刃を見た瞬間、言いようのない不安を覚えたハクはそう言った。それに対して、ミクは笑顔でこう答えた。
「使うことが無い様にするわ。だから、安心して。でも、万が一。万が一自分の身に危険が迫ったらそれを使って。あなたの命を守るものだから。」
あくまでハクを安心させる為だったのだろう。その優しい言葉はしかし、今日ばかりは僅かに緊張しているようにハクの耳に届いた。
ハルジオン28 【小説版 悪ノ娘・白ノ娘】
みのり「第二十八弾です!」
満「記念すべき回になったな。」
みのり「そうだよね。なんと前作『小説版 悪ノ娘』が終了したのが第二十八弾だったのです!」
満「なのに『ハルジオン』はまだ半分くらいしか書き終わってないぞ。」
みのり「本当だよね。どこまで書くつもりなのかしら。」
満「四十弾じゃすまないな。第一、今の段階で滅茶苦茶なことになっているのに。」
みのり「ほえ?」
満「ピアプロ無いで『白ノ娘』でテキスト検索すると約半分が『ハルジオン』になる。」
みのり「占拠しすぎ。。」
満「他に例のない長文を読んで頂いている皆様に感謝しないと。」
みのり「本当だよね!ということで今後も宜しくお願いします!次回は来襲になります。四月は今月よりも仕事が忙しくない・・はずです。それでは宜しくお願いします☆」
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BPM=200→152→200
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ご意見・ご感想
紗央
ご意見・ご感想
半分・・;
すごいですね^^
コメを入れたのは初めてですが、
ハルジオン、①から読ませていただいてます*^^*
がんばってください(*^^)v
遅くなっても待ってますよぉぉ
2010/04/02 18:03:49
レイジ
こんなに長い小説をお読み頂いて有り難うございます☆
普段は平凡な社会人なので基本的には週末しか投稿出来ないのですが、気長にお付き合い頂ければ幸いです。できるだけお待たせしないように書いて行きたいと思います♪
コメント本当にありがとうございました!!
2010/04/02 21:50:56