男物のシャツに身を包み、髪を結び画材を手に持ち扉を開け、いざ裏口へ。窮屈な生活の中での唯一の癒し。彼と会って、絵を描くことである。
時計台の前で12時。まだかまだかと、腕時計を見つめながらあなたを待つ。遠くからあなたの私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
「リンー!ごめんごめん遅れた!」
人目を引く青い髪、爽やかな顔立ちが巷で人気の田舎からの出てきた画家を夢見る男である。名前はカイト。7歳の時、私が落とした画材を拾ってくれたのが始まりである。
「カイト、遅いよ。お詫びにリンゴ、買ってね」
「えー、リン酷いよー!」
「冗談。行こう」
彼と手を繋いで、郊外にある小高い丘でスケッチをしようとか、いやカイトをモデルにして人物画をとか色々迷った結果挙句郊外にある小高い丘でスケッチ、ということになった。
途中でサンドイッチを買って、列車に飛び乗った。
列車を降り、小高い丘を登りそこにどっかり腰掛けてスケッチをする。
「ちょ、リン。あぐらかくのやめなよ」
「いいじゃん別に、男物の服だし。第一カイトの前だし」
「嬉しいような、嬉しくないような」
今こうして彼の隣で絵を描いている、ということがとても嬉しい。婚約者が遊び人でよかったと思う。その分私は自由になれるんだから。
「カイト」
「なに、リン」
「私、あなたと結婚したかったな」
時が止まる。草木のざわめきやお互いの呼吸さえ止まってしまった。お互いの顔だけが歪んでいく。カイトはなにかとても恐ろしいものを見るような目で私を見てくる。しかしその恐ろしく、冷たい視線の中に私への激情が紛れ込んでいることを私は知っていた。
「リン、何を言ってるんだよ。君は貴族で、僕は下流階級の人間。第一、君はもう婚約してるじゃないか」
「私じゃダメかしら」
カイトは同じように身分が低い女性、私の大親友ミクと相思相愛の仲にある。私が彼に好意を寄せていると知っていて、彼は私に優しくする。それは彼の優しさからである、ということを私は知っている。けど、時折彼は私を発情しきった目で見ることがある。これは彼の優しさである、と言えるのであろうか。
「そういう問題じゃないんだ、君は婚約している身で僕はミクという名の恋人がいる」
「うん、そうだね。私も大事な親友を裏切れないしね」
ミクと親しくなると共に募る苛立ちや嫉妬、といった負の感情。私の方が、お金だってあるし彼にこんな生活はさせない。きっと満ち足りた環境で彼のことを愛せる。
自分の考えていることの異常さに気づき、自己嫌悪に陥る。それを繰り返してきた。
「絵、描こうよ。こんなことするために僕は君と一緒にいるんじゃないんだから」
スケッチブックを放り投げ、横になる。木陰にいるせいで、草がひんやりとしていて気持ちいい。
「リン、また絵うまくなったね」
こうなったら徹底的に無視してやろう。だって恥ずかしいんだもの。
「・・・決めた!僕はリンを描くよ!」
「なによそれ、馬鹿じゃないの」
さっきとは打って変わって穏やかな時間が流れる。これがいつもの私たち。馬鹿言って笑って、ただ絵を描く。
「馬鹿じゃないよ。僕の大事なリンの姿を後の世に残したいんだ」
「ただ掻きたいだけなんでしょう」
「えへへ、ばれちゃった」
「まぁ、いいわよ。どういうポーズとればいいの?髪は解いた方がいい?」
「普通にこっち向いて横になってくれればそれでいいよ、髪は、そのまま」
言われた通りにカイトの方を向いて横になる。彼は私とスケッチブックを交互に見つめながら鉛筆を動かす。
「カイト、変な顔」
と、私が言った途端カイトが真っ赤になって震え始めた。冗談を間に受けるところは相変わらずだ。
「えっ、ど、どうしよう?うわぁ、どうしよ、どうしよう」
「カイトぶさいくー!」
「り、りん!見ないでよ!」
「嘘だよ。カイト馬鹿だね」
私がそう言うと、カイトは安心したかのように、ふにゃあと笑い「もう・・・リンー!」と私の頭をばさっと叩く。
「痛いよ」
「んー、できたー!」
まるで小さな子供のように顔を輝かせながらスケッチブックを私に見せる。相変わらず上手だ。彼は私を褒めるけど彼に比べたら私なんて鼻くそ同然である。
「・・・上手だね」
「本当ー?ありがとー!」
私はよく、周りの人間に美しいと言われる。だが、私は知っている。彼らが見ているのは私の容姿とその利用価値であって、私ではない。彼らは私の内面の醜さを知らない。私が不完全な人間であることを知らないのだ。
「カイト、綺麗ね」
彼は私の言葉が聞こえなかったみたいで首をかしげている。
愛しいあなた、あなたの中に流れる血や肉はきっと私が今まで見てきたどの人間よりも美しい。
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