その景色はいつのものだったか。

その問いは誰のものだったか。

全てが不確かな世界で俺たちは目を合わせることすらできない。

それでも花弁の舞う木の下、俺は君へと告げた。






俺の家の近所には一本の小さな桜の木があった。

その桜は俺の父が生まれるより前から植わっていたらしく、この地域に住む人は桜に見守られながら育ってきたらしい。

春になれば満開の花の下で宴を楽しみ、夏になれば木陰で涼しみながら蝉の音を聞く。

秋になれば橙色の葉が一斉に視界を覆い、冬になれば寂しげな枝にやわらかな雪を積もらせる。

淡紅色の花弁、新緑の葉、橙色の枯葉、白銀の雪。

季節によって纏うものを変えるその姿に人々は酔いしれた。

だが最近では人々は桜に興味を失くし、近づくことすらしなくなった。



『長い年月を経た道具や生物、自然物には神や精霊が宿ることがある』

母は昔からしきりにそう話し、全ての物を等しく大切に扱った。

例え物が壊れても修繕し、脆くなりそれこそ完全に使えなくなるまで。

そうすればきっと、付喪神(つくもがみ)が宿るのだと。

俺は母のようにそれを信じてはいなかったが、あの桜だけは日に日に表情をわずかに変えるように見えて、何度も何度も話しかけた。

嬉しいことがあったとき、落ち込むことがあったとき、誰にも聞いてもらえないことを桜に向かって話した。

誰も木に近づくことはなかったから、俺は気がすむまでずっと桜の木に寄り添っていた。

何を話したって当たり前のように返事は帰ってこなかったが、俺はそれでも良かった。




彼女に出会ったのは小学校に入学して間もない頃だった。

いつものようにその日の出来事を話そうとしたとき、あの桜の木の下に倒れていたのを見つけた。

助け起こして家まで連れて帰り、母と共に彼女の話を聞いた。

気づいたら木の下に倒れていたこと。両親が行方不明で身寄りがないこと。記憶も曖昧なこと。

いろいろ話し合って、うちで一緒に暮らすことを提案した。

母は「子どもが一人増えるくらいなんてことはない」と彼女を快く受け入れた。




俺と彼女はすぐに仲良くなった。

歳も同じくらいで、一緒に学校へ行った。

互いに他愛ない話をして、本を読み合って、近所を冒険した。

嬉しかったんだ。家族が一人増えて、俺の話が誰にも聞いてもらえないこともなくなって、時には喧嘩もしたけど、必ず俺の傍にいてくれたことが。

桜に話しかけることは少なくなってしまったけど、彼女と共に何度も花を見に行った。



だけど年を重ねるごとに、桜は少しずつ枯れ始めていった。

同時に彼女も弱々しい笑みを浮かべるようになった。

中学に入る頃に彼女は交通事故に遭い、自らの足で歩くことが出来なくなった。

元々足腰の力が弱くなっていたところに事故が重なった結果だった。

彼女は車椅子の生活を余儀無くされた。



彼女は昔から身体が弱いことを自覚していた。

きっとそれは生まれついてのことで、それ故に両親は私を捨てたのかもしれないと語った彼女は、自分が長く生きられないことをとっくの昔に悟っていたのかもしれない。

なのに俺は、彼女の心の内など知らず毎日へらへらと笑っていただけだった。



俺は俺にできることをした。

彼女の望む景色を見せるため、車椅子を押して毎日共に散歩をした。

時には彼女を背負って歩くこともあった。

背中に彼女の鼓動を感じながら、いろいろなことを話し合って帰った。



彼女から余命が伝えられたとき、俺は世界を恨んだ。

どうして彼女なのかと。彼女はただ笑って暮らしたいだけだったのに、どうしてそんな当たり前の生活さえ奪ってしまうのかと。

神なんてやはり存在しない。苦しむ少女ひとりさえ救えない神などいらない。

彼女を失う苦しみには耐えられない。

俺は彼女を想う心が家族としてのものではないことを感じ始めていた。



彼女と出会って十年目の春、ついに桜は花を咲かせなくなった。

夏には彼女は外出ができないほどに衰弱していた。

彼女の死を間近に感じ、何も出来ないことを俺は悔やんだ。



ある夜のこと、眠れない俺は彼女が家にいないことに気づいて無我夢中で飛び出した。

一人では動けない身体のはずなのに何故?

真っ先に向かったあの木の下に彼女はいた。

その景色に思わず息を呑んだ。


俺は幻を見ているのか?

桜は季節外れの満開の花を咲かせていた。

花はもう咲かないはずなのに。

どうしてこんなにも不思議なことばかり起きる?


言葉を失くして立ち尽くす俺に、車椅子に座る彼女が問いかけた。


「私が桜の精だって言ったら、君は信じる?」



彼女は語った。

失くした記憶を年々取り戻しつつあったこと。

元から両親なんて存在しなかったこと。

依り代であった木が寿命に近づき、だからこそ自分も消えつつあると。

自らがソメイヨシノの精だということを、彼女は俺に笑って聞かせた。



ソメイヨシノの寿命は六十年程度。

丁度今年が六十年目だった。

戦後に植えられた血を分けた沢山の兄妹達も今一斉に枯れつつある。



一本の小さな桜の木は皆に忘れられつつあった。

世界に忘れられたまま自分は死んでいくんだ。

そう思っていた矢先、ひとりの少年が自分に対して何度も話しかけ、笑いかけてくれた。

まるで人間に対するように。

そこに心があるかのように。


昔、付喪神の話してくれたでしょ?

私はそんなに長く生きていないけど、君に大切にされたからきっと意思が生まれた。

同じ遺伝子を持つソメイヨシノでも、ここまで一人に愛された木はないと思う。

きっと私は、君にお礼を伝えるためにこっちの世界に来たんだと思う。

だからありがとう。私を世界に迎えてくれて、沢山のことを教えてくれてありがとう。




その景色はいつのものだったか。

その問いは誰のものだったか。

全てが不確かな世界で俺たちは目を合わせることすらできない。

それでも花弁の舞う木の下、俺は君へと告げた。

余計な言葉はいらない。

花弁と共に散りゆく彼女に必要な言葉はたった一つだけ。


「どういたしまして」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

【がくルカ】埋もれ木に花が咲く【がく誕】

間に合いませんでした!!!!!
がっくんおめでとうございました!!!!!(過去形)

こんばんは、ゆるりーです。
最近いろいろとありまして、すっかり何も投稿できていませんでした。
とりあえずがく誕だけ遅れたけど投下しておきますね!(誕生日関係ない話だけど)(季節感もなく桜の話だけど)
花の精霊ルカさんって良いと思いませんか(`・ω・´)


【読み】 うもれぎにはながさく
【意味】 埋もれ木に花が咲くとは、世間から忘れ去られ不遇の身にあった人が、幸運にめぐり合い世に迎えられること。

閲覧数:386

投稿日:2015/08/01 00:14:32

文字数:2,591文字

カテゴリ:小説

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  • Turndog~ターンドッグ~

    Turndog~ターンドッグ~

    ご意見・ご感想

    相変わらずのゆるりー節がくルカァ……(*´ω`*)
    うちのサクラにも何か宿ってくれませんかねぇ、いっそ世界中の愛されずに枯れ果てた桜の悪霊でも構わない(死にます
    毎年桜ミクは公式から出てるけど桜ルカはまだですか!
    え?普段と何も変わらない?某ラスボスよろしく背中に満開の桜を背負えばいいだろ!←

    とーこーろーでー!
    ヴォカロ町訪問の最終話進捗どうですか(ここで聞くな

    2015/08/09 16:22:29

    • ゆるりー

      ゆるりー

      それっぽいのしか書けないです(´・ω・`)
      それだとむしろ呪われますよねw
      本当に桜ルカを今か今かと待っているんですよ!
      ラスボス???

      最近ようやく一段落したので今少しずつ書いてます…!
      すみません!

      2015/08/12 14:48:08

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