-三つの恋音。②-
午後3時。間食の時間だと告げて、神威は席を立った。私のために用意された菓子を持ってくるためなのは分かっている。けれど、別のメイドに持ってこさせることも可能なのに、どうして彼が出ていくのだろう。
ため息を一つ落として、部屋をくるりと見渡した。壁一面の本棚は、私の母が遺したもの。不思議な物語が綴られているものもあれば、論理的な思考を綴ったものもある。その一つを何気なく手にとって、そっとページを捲った。
「すごく、綺麗な絵ね・・・・・・」
開いたページに描かれていたのは、よくある昔話の一場面でも、実験を図にしたものでもない。見たことのない世界の、少女と、少年の絵だった。表情が豊かで、一色で描かれた物にも関わらず、どこか温かな色を想像させる。そっと指を絵に沿わせると、埃っぽい感触がした。古い物だと分かっていたから、驚きはしない。
でも、次の瞬間に、部屋を満たした光には驚かざるを得なかった。
午後3時。ママに頼まれた買い物を終えて、家まで猛ダッシュ。なんてったって今日はカイトと約束がある。やっととりつけた約束が。こんな日に買い物を言い渡すなんてママはオニに違いないけど、いっつも走ってるあたしには、約束の時間に間に合うくらい大した問題じゃあない。
そう、信号機っていうルールだけは守らないといけないけど。こういうときに限って赤ばっかになるのはなんの悪戯なのか。
「よし、青っ!」
青になった瞬間、駈け出して目指す。約束があるんだから急ぐのなんて当たり前、なのに。
いきなり飛び出してきた人とぶつかって、そこで視界がブラックアウトした。
午後3時。目の前には不格好すぎるちっさな物体がいくつか。もうちょっと膨らむはずだったのだけど、どうやら何度もレシピを見返して、手早く出来なかったのが敗因らしい。
「ぐぬぬぬぬ…」
「何唸ってんだよ、リン」
レシピを握りしめて物体とにらめっこしていた私に、声がかかる。振り向くと、さっきまで部屋でDVDを眺めていたはずのレンがそこに居た。
ちょうどおやつの時間だから、何か食べるものを探しにきたんだろうと思う。思うのだけど、タイミングが悪い。
いや、ある意味、このちっさい物体が失敗作じゃなかったら、タイミング完璧なんだけど。
食卓に並んでいたちっさい物体にレンが気付かないはずもなく、そこに視線は落ちる。しばしの沈黙ののち、出た台詞は。
「……何、これ」
「う……」
無理もない。これらは失敗作だから、何かなんて分からなくても、当たり前なんだけど。けど。
「なあ、リンこれ」
「うるっさい! 食べるもの探してんだったら、このへんのは食べないでよね!」
なんとなく腹が立って、ものすごく棘のある言い方でダイニングを後にした。おやつを手作りしてみたかったなんて、レンに分かってるわけないし、それがレンの大好物になるはずだったなんて、あれでは分かるわけないのに。
「何って、何よ……バカレン」
呟いてから、自分の部屋の扉を開く。これでまたどうせ自己嫌悪するんだから世話ないな、なんて思いながら。
でも、開いた瞬間に広がっていた光景は、自己嫌悪もイライラもすっ飛ばしてくれてしまった。
「どちら、さま…?」
私の部屋に、見覚えのない二人が転がっていた。
<つづく>
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