5. 召使、レン
王宮広場に市の立つ日は要警戒だ。
ここ数刻で悟ったことを,レンは,明るい緑のあふれる中庭を眺めながらぼんやりと回想する.
今日は黄の国の休日.そして月に一度の,市の立つ日だ.
この日ばかりは,王宮で働くものたちもみな,交代で休み,市へ出かける.月に一度の,特別な休日に初夏の気候もあいまって,雰囲気はほどよくぬるんでいる.
そんな平和な状況のなか,レンはある予感に緊張をもって朝を迎えた.
王女の食事が終わり,自分の遅い食事を済ませ,片付け物も終わったころ.
そろそろ来るなと思ったレンの予想通りに、レンは王女の訪問を受けた。
「お仕事よ!レン!」
やはりかと思いつつ、レンはうなずく。
「仰せのままに。王女さま」
「いいから早く、これを着て。あたし、これから市へ行くの。ちょっとの間、目くらましの身代わりをお願い」
リンが広げたのは、先日隣国のミク女王がくれたあのドレスである。
「これを着ていいのですか。大事なものでしょう」
「素敵なものだから、レンも着てみたいかと思って」
かんべんしてください、とは言えず、レンはしぶしぶドレスに身を通す。
それを、リンはじっと見ている。さすがにそれはやめてくださいと進言したが、リンにとっては、自身にそっくりな顔のレンの、体つきだけが違うところが、面白くてしょうがないらしい。
「レンはいいわね。あたしよりも、きゅっと腰が引き締まっていて、うらやましい」
「本当、かんべんしてください」
自分の着替えは見せないくせに、ずるいとレンは思う。
「あたりまえでしょ。男と違って、女はね、見たら減るのよ」
「何がですか」
「……」
黙ってしまったところをみると、面白い言い訳を言ってみたかったらしいが、思いつかなかったようだ。
胸は見ませんから、と返してみようかと思いついたレンだが、本気で手打ちにされそうなので黙っておく。
そうこう考えをめぐらせているうちに、もとの服をドレスのスカートの下に脱ぎ捨てて着替えが終わる。結ぼうとして手を伸ばした背のリボンを、リンの手がきゅっと結んだ。
「うん。可愛いわ。すてき。大丈夫、だれも男だとは思わないわ」
やはり先ほどの意地悪を言ってみるべきだったのだろうか。そう口を開きかけたレンの肩に、リンの手が触れた。そして、そのままふわりとレンを後ろから抱き締めた。
「……いつも、ありがとう。あなたが支えてくれるおかげで、あたしは、王女として生きていられる」
レンは、ぐっと口をつぐんだ。
「こんなことで良ければ。僕はいつでも力になるよ」
レンの言葉に、リンが一層深く抱きしめてきた。
そのぬくもりに、レンは思わず天井を仰ぐ。
「僕の幸せは、リンの笑顔だから」
「……そしてあたしの幸せは、国とともにある」
体を離し、正面に回り、リンがにこりと微笑んだ。質素な服装は、いつもお忍びで視察に出かける時の、市民の扮装である。
「さて、いいかしら、王女様」
扉をノックする音がして、メイコの声がした。
「はい!」
答えた二人の声が揃う。ふと見合わせた顔に、いたずらっぽい笑みが浮かぶ。
入室してきたメイコが二人をみて、いつも見事ねとほほ笑んだ。
「メイコさん、王女さまは最近調子づいてますから、よろしくお願い致します」
「レーン! あなたへのお礼のお土産を考えていたけど、忘れるかも知れないわ?」
「忘れていただいて結構!」
……あなたが無事に帰ってきてくれさえすれば。
そう、レンはつぶやく。心の中で、こっそりと。
リンはその返答にレンの心を知ってかしらずか、思い切り舌を出す。
「調子づくって、なによ!そんなに、あたし……頼りない?ダメなところ、もしかして、あった?」
しまったな、とレンは気づく。リンは、一生懸命なのだ。王女として。
将来、よき王族であろうとして。
「……いいえ。ただ、召使に対して、あまりに気を許し過ぎだと、そう言いたかったのです」
レンは、持てる知識を総動員して言葉を選ぶ。
リンは、よい資質を持っている。時代が少し前ならば、黄の民の皆の期待に応える、よき王になったかもしれない。
「だって、レン、あなたはあたしの」
「行ってください。冗談ですよ。着替えをまじまじと見られて、恥ずかしかったお返しです。
申し訳ありませんでした、王女さま。無礼な口をきいてしまったことをお許しください」
そんなやりとりののち、レンは『王女』としてリンの席についた。
傍らの書類を手元に寄せ、王女に扮したレンが熱心に国情の資料へ目を通すのを、リンの召使たちが遠くで見守っている。時々、本当にだませているのかと、レンは不安になるが、彼らの態度から、自分をリンだと信じ切っていることがわかり、すこし愉快な気分を味わった。
やがて、鐘が響いてきた。
「あら、おやつの時間だわ」
リンの口調でつぶやいてみた。
今日のお菓子が運ばれてくる。干しぶどうのケーキだ。口に含むといくぶんか乾いた印象があるのは、おそらく今年の春先の冷たい雨で、バターの流通が滞ったからに違いない。
「……重いな」
運んできた召使が、味のことかと慌てるが、そうじゃないのよ、とレンは笑った。
玉座は。あの子が担おうとしているものは、重いな。
……つづく。
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 5.召使、レン
悪ノ娘と呼ばれた娘 1.リン王女
http://piapro.jp/content/f4w4slkbkcy9mohk
発想元は、あの名曲シリーズです。ああ緊張する。
「悪ノ娘」「悪ノ召使」そして「白ノ娘」「リグレットメッセージ」まで行く予定です。
結構楽しんで設定付け加えて遊ばせていただいています。
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