いつの間にか、窓に映る景色には目が癒されんばかりの緑が覆っていた。
灰色の世界から、いつの間にか緑色の世界に放り込まれたのだろうか。
その緑さえも、時の流れによって朱に照らされそうとしていた。
「そろそろ火窪町です。降りる準備をしてください。」
ため息混じりに運転手が告げる。
そういいながらも、彼はハンドルから手を離そうとしない。
もうかれこれ、二十四時間握り続けたハンドルを。
ただ、目的地に着くぞと言われても、俺には今一その実感が沸かない。
4WD車窓から望める景色は、朱に照らされた緑色の世界なのだから。
「どこに町があるんだ?もう森林部に入って五時間になるだろ。」
真横で眼帯をした男が気だるそうに言い放った。
適当に会話を交わして気分を紛らわしていた彼も、かれこれ一日以上も車内で揺らされれば、流石に気分を損ねると言うもの。
それはこの俺も同じだ。
「この峠を抜けた先にあります。渓谷内に出来た町ですからね。」
運転手が言うと共に、車体が持ち上がり鈍い振動が車内を伝わった。
もうすぐ、もうすぐか。
今回の任務の目的地。火窪町。
ここにテロリストの隠遁地の情報を提供してくれる陸軍の工作員がいる。
だが、ここまで山奥とは・・・・・・。
水面基地を後にし、もはや一日が経過していた。
高速道路を乗り継ぎ極力最短コースを選んだのにも拘らず、だ。
国道を逸れ、通行量が少ない山道を抜け更に半日。そして今走っているこの道は、対向車とすれ違うことにさえ難儀しそうなほど狭い山道だ。
俺が運転手に、なんでこんな道しか通らないと愚痴ると、彼は当然のように、これしか道がありませんから。と言い、ここら辺は未開発地域なので、と付け足した。
道のりに大変足労するのはよく分かった、が、ガソリンスタンドで数回停車したのを除けば、俺たちが後部座席で大人しくしていた時間は約一日。
そろそろ体が訛ってきてしまう。
早く二本足で大地を踏みしめたいと、切に願う。
何気なく車窓を見やると、ぽつぽつと民家が見え始め、次の瞬間には広い道路の商店街に出ていた。
「着きました・・・・・・火窪町です。このコンビニで止めます。後は博士のご指示に従ってください。」
そういいながら、運転手は意外にも存在したコンビニエンスストアに停車した。
「では、いってらっしゃい。任務のご成功を願っていますよ。」
「ありがとよ・・・・・・。」
運転手の気遣いに感謝を告げ、俺と、そして眼帯をつけた彼は4WDからコンクリートの大地に降り立った。
「・・・・・・。」
逃げ出す様に走り去る4WDを目で追いながら、俺は外気の新鮮な空気を吸い込み、一度深呼吸した。
「デル。博士に連絡するぞ。」
タイトの言葉に振り返った俺は、その姿に思わず吹き出しそうになり、口許を歪ませた。
「何がおかしい?」
「いや・・・・・・すまん。なんでもない。」
それは嘘だ。
タイトに与えられた私服は、余りこの初夏と言う季節に似つかわしくない。
黒いナイロンコートに、アーミータイプの茶のズボン。
どう見ても今の時期には暑苦しい。
それに加えて目には眼帯なのだから、奇妙と言うよりどこか禍々しい印象だ。
「ふん・・・・・・そういうお前もなかなかいい格好してるじゃないか。」
俺の心境を見抜いたのか、タイトが皮肉を漏らす。
俺の姿はというと、一言で表せば、くたびれたサラリーマンだ。
灰色のワイシャツに、同色のズボン。首には青いネクタイ共に、急造仕様の名刹入れが垂れ下がっている。
名札入れを見ると、俺の名前は、本音デル。なんとも適当な名前だ。
「別にいいだろう・・・・・・他人の格好なんか。」
「ふん・・・・・・じゃあ、そろそろ博士に連絡を入れるとしよう。」
タイトが自分の首筋を二本指で指す。
ナノマシン通信の合図だ。
俺は体内のナノマシンを起動させ、博士の周波数にコールした。
「こちらデル・・・・・・博士。聞こえるか?」
『こちらタイト・・・・・・博士。応答してください。』
『ああ聞こえてるよ。通信状態は良好。二人とも、火窪町に到着した?』
穏やかな網走博士の声が、俺達を出迎えた。
「車に揺られ一日中、快適な旅をさせてもらった。」
『それは良かった。ところで、君達は服装は大丈夫?当然だと思うけど、上手く街の人たちに紛れ込んで、ターゲットを探すんだ。』
「服のサイズはぴったりだ・・・・・・おかげで陸軍とも思われないし、アンドロイドとも気付かれないだろう。」
『良かった。それじゃあ二人とも、装備の説明をするよ。重要なことだからよく聞いて。』
そういえば、今回の任務ではこれまで入手した装備は殆ど使用禁止だ。
今俺達が所持しているのは、定番のレーダー端末に、麻酔銃に指向性マイク、そして双眼鏡でペンを平たく潰したような注射器の存在は疑問だ。これは何だ?
『今回の任務は比較的安全だと思うけど、万が一と言うこともあるから、一応身を護るものを持たせておいた。』
『シグザウエルP220を改造した麻酔銃ですか。』
タイトがコートの内ポケットを探る。
そこには、今回支給された唯一の武装が収納されているはずだ。
俺の場合は手提げのビジネスバックに納めている。
『消音機能を持たせてあるけど、そのために連射性能は犠牲になってしまった。一発撃つたびにスライドを引くんだ。面倒くさいけど、しょうがないね。というか、そんなに撃つ機会はないと思うけど。』
『そうですね。』
『指向性マイクと双眼鏡はちょっとかさばるけど、ターゲットの捜索に役立つはずだよ。』
「博士、ところでこの注射器みたいなものは何だ?」
俺は博士にここ一番の疑問をぶつけた。
『そうそう。それが、ここで一番重要なアイテム。今はまだ、テロリストはPiaシステムを起動させていないけど、いざ起動したら、君達は一溜まりもなく機能停止するか、機能障害を起こすと思う。もし今回の任務中にそのときが来たら、それを君達の体内に注入させるんだ。なるべく、栄養液のチューブがある首や手首に打ってほしい。』
『何が入ってるんです。』
『・・・・・・君達の体内にあるナノマシンを全て、機能停止にするためのナノマシンだよ。それは万が一のときに備えて、軍がクリプトンには極秘に開発をしていたんだ。Piaシステムの管轄内にはない装置。だから自立起動して、君達の体内のナノマシンを機能停止にしてくれる。そうすればPiaシステムの影響を受けずに行動できる。』
「だが、そうすれば無線通信は出来なくなる?」
『それだけじゃないよ。君達の装備も一切使えなくなるし、こちらから君達の位置を把握することも出来なくなる。それに、これまでの君達の健康や精神状態がナノマシンによって抑制されていたなら、その開放によって一気にそのツケが負荷として掛かるかもしれない。もしも使う時があれば、多少、覚悟してくれ。』
焦りを含んだ博士の声・・・・・・。
『さてと、それじゃあ、今から君達は、目の前にある商店街を通って。』
俺は人々が込み合う商店街に目を向けた。
よく見ると人々は浴衣や甚平を纏い、商店街にはたこ焼きや焼きそばと言った出店がならんでいる。今日はこれからお祭りなのだろう。
耳を澄ますと、どこからか祭囃子と思われる笛の音が聞こえてくる。
『目標はレーダーに表示されてる。商店街の少し進んだところの広場で、君達を待ち構えてるよ。信頼できると思うけど、十分注意して。』
「了解。」
『了解です。』
『僕の無線周波数は、122.59何かあったら連絡してね。ああ、今回の情報記録とPLGの操作は、セリカに頼んである。』
セリカといえば、あの少女が?
局長から聞いた限りでは天才的な頭脳を持っているということだから、通信機器の操作もお手の物なのだろう。
『よろしく・・・・・・。』
少女のか細い声が挨拶した。
「セリカ。この前は悪かったな。」
『ううん・・・・・・もういいよ。わたしも悪かった。』
どうやら、あの時のことは許しを得たようだ。
『彼女への周波数なら、17.80だよ。情報記録なら、彼女に頼むといい。』
「了解した。」
『連絡は以上だよ。じゃあ、がんばってね。無事に帰ってくることを、祈ってるよ。』
「ああ。」
『ありがとうございます。』
無線を終えると、俺とタイトは商店街に視線を戻した。
あの中に、ターゲットがいる。
「タイト。行くぞ。」
「ああ。」
俺達は沈黙に口を噤むと、人混みに溶け合うように、商店街に入り込んでいった。
そのとき、どこからか活発なリズムを刻む笛の音が鳴り響き、風と共にどこかへ消え去っていった・・・・・・。
SUCCESSOR’s OF JIHAD第四十五話「目的の地」
「火窪町」【架空】
日本北東部に位置する、亞舘県亞舘市にある小規模の町。
元々はV字渓谷の谷底に発足した集落が、その後発展したという歴史を持つ。
多少規模の拡大は行ったものの未だ未開発部分の余地はあり、大型車両で進入できる道路は少ない。
それでも町自体の発展は目まぐるしく、住宅街や商店街が建造され、安定した経済力を持つ。
森林部深くにあり、また町の傍らには純度の高い天然水が流れる川があるという環境のよさもさることながら、独自の伝統や祭行事は独特の魅力を持ち、連休のシーズンには観光客が絶えない。また、渓谷の斜面に並ぶ日本家屋の姿も大変風情がある。
町自体が渓谷内にあるため、陽光に照らされる時間はやや少ない。また寒帯地域であるため一年を通して気温はやや低く、日本有数の避暑地としても有名である。
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