***
ふたりで歩いていたときも、わたしはずっと考えていた。
さっきの大野くんの言葉についてだ。
(大野くんが言う『恩返しされる権利のない人間』ってどういう意味?)
「なに考えてんだよ」
「え?あ、ごめんなさい」
「俺のほうこそ悪かったよ。まだ子供だけど、ちゃんと大人なんだもんな・・・」
彼は私の髪をわしゃわしゃと撫でた。
「ちょっ、やめてください!」
「ハハッ、照れてやんの」
「もうっ!知らないっ!!」
私は顔を背けた。心臓の音がうるさい。
「・・・なあ」
「なんですか」
「おれはお前に黙っていたことがある」
急に立ち止まって、真剣な表情で言うものだからドキッとした。
しかし次の瞬間には悲しそうな笑みを浮かべていた。
「おまえの両親はもうこの世にいないんだ」
「・・・・えっ?」
言われたことの意味が分からなかった。
「どういう意味ですか?」
私が訊くと、大野は辛そうに目を逸らす。
「そのままの意味だよ。おまえの両親は交通事故で死んだ」
「嘘・・・でしょ・・・?」
「いつの事かは分からないが、お前は親戚の家で育てられたと言ってた。生家がないのは、お前はその家に引っ越したからだろう」
「そんな・・・」
「すまない。でも本当の事なんだ」
「うそ・・・だよ・・・」
私はその場に崩れ落ちた。
「大丈夫か?」
大野が肩を支えてくれたけど、上手く立てない。
「どうして、今まで黙ってたんですか?」
「・・・言えば記憶が戻るかもしれないと思った。おれは・・・今の小鳥遊のほうが好きだから」
「え?」
顔を上げると、彼は泣きそうな目をしていた。
「高校の頃のお前は、すげぇ冷めた感じだった。いつもつまらなさそうにしててさ。でも、今は違う。笑うようになったし、楽しそうだ」
「・・・ありがとうございます」
「だから、思い出さないほうが幸せなんじゃないかと思って」
「そんなふうに思ってくれてたんですね・・・」
私は嬉しくなって、笑顔になった。
すると大野くんも微笑んでくれた。
でも、すぐにその表情は曇ってしまう。
「でも、そのせいでお前を危険な目に遭わせちまっ・・・」
「それは違います!」
私は彼の言葉を遮った。
「私を助けてくれて本当に感謝しています。あの時、あなたが来なければ今頃どうなっていたか・・・」
「けどよ・・・!」
「大野くん、聞いてください」
私は大野くんの目を見つめる。
「確かに私は両親が亡くなったショックで、自分の感情を押し殺していたかもしれません。でもね、きっとそれだけじゃないと思うんです。私は・・・寂しかったんですよ」
「・・」
「お父さんもお母さんも大好きでした。なのに、いきなりいなくなってしまって、すごく悲しかった。だから、新しい家族と一緒に暮らすことが苦痛で仕方がなかった。心の底では、どこかで独りぼっちのような気がしてたんだと思います」
「・・・」
「でも、今は幸せです。みんながいて、毎日楽しくて、こんな時間がずっと続けばいいのになって思うくらいに」
私は大野くんの手を取った。
「だから、これからはもっと楽しいことをたくさん経験したい。それに、大野くんにも恩返しをさせてほしい」
「お前・・・」
「ねぇ、私たち友達でしょう?遠慮しないで頼ってよ」
大野くんはしばらく俯いていたけれど、やがて口を開いた。
「分かった。それじゃあひとつだけ頼みがある」
「はい、なんですか?」
「俺のケーキを食べてみてくれないか?」
「大野くん・・・の?」
「ああ。まだ店長のには及ばないかもしれないが、それなりに美味くなったはずだぜ」
「本当?楽しみだなぁ」
私はわくわくしながらフォークを手に取った。
そして一口食べると、ふわっと広がるチョコレートの風味に驚いた。
「すごい!甘くて、ほろ苦くて、濃厚で・・・懐かしい」
(懐かしい・・・?私、この味、どこかで・・・・)
そのとき、わたしはすべての記憶を取り戻した。
「そっか・・・私に初めて作ってくれたケーキが、チョコレートケーキだったわね」
***
「おい、大野ちょっとツラ貸せや」
放課後の教室で、俺は不良グループのリーダー格である藤宮に呼び出された。
俺とコイツらは中学時代からの同級生だが、あまり仲が良いとは言えない。
なぜなら、彼らは暴力的で自分勝手で、他人の痛みなんてこれっぽっちも理解しようとしなかったからだ。
「てめェらに貸すツラなんざねえよ」
「あァ!?」
藤宮の取り巻きが睨みつけてくる。しかし、俺は怯むことなく言い放った。
「何度言ったら分かるんだ?お前らのやってることはいじめだって。これ以上やるなら先生にチクるぞ」
「ンだとコラ!舐めてんじゃねーよ!!」
リーダーの合図で、男達が一斉に殴りかかってきた。
「・・・」
俺は無言のまま彼らを殴り返す。
一人またひとりと倒れていき、最後の男が逃げようとしたところを背後から捕まえた。
「ひいっ!!助けてくれっ!!!悪かった、謝るから許してくれよぉ!!」
「・・・」
俺は男の髪を掴むと、顔を近づけて静かに告げた。
「お前らが二度と佐藤に手を出す気が起きないようにしてやるよ」
「ぎゃあああっ!!!」
悲鳴を上げる男をゴミ箱の中に放り込むと、俺はその場から立ち去った。
「・・・やりすぎよ」
後ろを振り返ると、そこには腕を組んだ小鳥遊の姿があった。
彼女は呆れたような表情をしている。
「てめェが頼んだんだろうが」
「そうだけど・・・」
俺達はお互いの顔を見て笑った。
彼女が俺にお願いしてきたのは、とある男子生徒をイジメから救ってほしいというものだった。
その相手とは、彼女の幼馴染みの佐藤健斗という奴で、俺はそいつを助けるために奔走したのだ。
最初は無視するつもりだったが、彼が殴られている現場を目撃してしまい我慢できなかった。
その後、俺達のやり取りを目撃した教師によって、彼らの悪事は暴かれ、藤宮たちは退学処分となった。
俺はこの一件をきっかけに、今まで苦手だった学校生活を楽しむことができた。今では、クラスの中心人物になったし、彼女とも仲良くなった。
彼女は今や正義のヒーローで、不正を微塵も許さない姿勢が女子からも支持されているらしい。
そして現在、俺たち二人は高校二年生になっていた。
俺達はあの一件以来話すことはほとんど無く、たまに廊下ですれ違う程度の関係に落ち着いてしまっていた。
そんなある日のこと。
授業が終わった直後、誰もいないと思って教室に入ると彼女がいた。
「よう」
「お疲れ様です」
俺は自分の席に座ると、鞄の中から弁当を取り出して食べ始めた。
すると、小鳥遊がこちらを見ていることに気付いた。
「なんだ?」
「いえ、ただ珍しいなって思って」
「なにがだ」
「あなたが学校で誰かと一緒に食事をするなんて」
「そんなこと言ったらお前もそうだろ」
「私はいいんです。みんなが寄ってきて大変だし」
「相変わらず人気者だよなお前」
「・・・ちがうわ。みんな私を利用しているだけよ」
「・・・」
俺は何も言わずに食事を続けた。
しばらくして、ふいに小鳥遊が口を開いた。
「大野君は進路決まった?」
「俺は・・・」
俺はそこまで言いかけて、はっと気づく。
(あぶねぇ、危うく普通に言いかけた)
ヤンキーのくせに甘いものが大好きな大野は、実はパティシエになりたいと密かな夢を抱いていた。
しかしそれを知られるとバカにされると思った彼は、誰にもそのことを話していなかった。
「いや、まだ決まってないな。お前は?」
「私は歯学部に行くわ。養父の仕事だし、堅実だもの」
「へぇ、お前が医者か・・・なんか似合わんな」
「そんな事言うの、あなただけだわ」
「お前はもっと・・・」
そこで俺は言葉を止める。
(いかんいかん、余計なこと口走るところだった)
俺は慌てて誤魔化すように話題を変える。
鞄から手作りのチョコレートケーキを取り出し、小鳥遊に差し出した。
「ほれ、これ食えよ」
「これは・・・もしかして、作ったの?」
「悪いかよ」
彼女は目を輝かせながらチョコケーキを受け取った。
「ありがとう!嬉しい!」
「ふん」
「いただきます」パクッと一口食べると、彼女から笑顔がこぼれた。
「おいしい!これすごく美味しいよ」
「当たり前だろ」
「こんなにお菓子作り上手なのに、なんで普段から作らないの?もったいないと思うけど」
「それは・・・まあ色々あるんだよ」
「もしかして、お菓子を作るのが恥ずかしかったりするの?」
「ああ」
「でもさっきは堂々と渡してたじゃない」
「お前だから特別だよ。他の奴には絶対見せらんねえ」
「え・・・?」
「今日、バレンタインデーだろうが。いつも世話になってるからその礼ってことで受け取ってくれ」
「・・・大野君。顔、真っ赤よ」
「うるさいぞ」
小鳥遊がクスリと笑う。つられて俺も笑った。
「お前・・・お菓子食べるときだけ別人みたいに笑うのな。俺はもっとお前にさ・・・・」
「どうしたの?」
「・・・なんでもねー」
「変なの」
***
引き取られた先は両親と比べ物にならない程厳しくて、私は自分の心に蓋をした。
何かを好きだと思う感情も、自分の人生を楽しむことも、全部諦めた。
けれど、そんな私にも心の底から大好きと言える人ができた。その人はぶっきらぼうで無愛想だけど、本当は誰よりも優しい男の子だった。
彼と出会ってからは毎日が楽しくなった。
彼と一緒にいるだけで、今までの自分とは違う生き方ができる気がした。
「・・・私、大野くんの事が好きだわ」
「・・・記憶戻ったのか?」
私の口調で察したのか、彼は真剣な表情をしていた。
「うん。全部思い出せたよ。辛いことばかりだったけど、大野君が助けてくれたおかげで今の私が居るんだよね」
「別に俺は何もしてねぇよ」
「・・・今日、バレンタインデーね」
私の言葉に、彼がピクっと反応する。そしてそっぽを向いて言った。
「そうだったっけか?」
「もう忘れちゃったの?酷いなぁ」
「俺は甘いもん苦手なんだよ」
「じゃあ、嫌いになった?」
「そういうわけじゃない」
「ふぅん。そうなんだ」ニヤニヤしながら顔を近づけていく。
「なら、私からのチョコ受け取らなくていいのかな?」
私は彼の顎をクイッと持ち上げると、そのまま唇を重ねた。
「んなっ・・・」
「私、決めたわ。パティシエになる。子供の頃の夢、叶えたいの」
私は立ち上がって大きく伸びをする。
「大野君の為だけに作るケーキは、私にしか作れないくらい最高なものにするわ」
「・・・勝手にしろ」
「ふふふ、ありがと」
「けどよ」
そう言って彼は私を抱き寄せた。
「お前は俺の女だ。他の男になんか絶対に渡さない」
「大野君・・・」
私達はもう一度キスを交わし、お互いを強く抱きしめあった。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります

チョコレート・ロスト

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投稿日:2022/11/20 16:28:56

文字数:4,430文字

カテゴリ:小説

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