自分でも不思議なくらい冷静だった。全てがスローモーションに見えた。地面が、ゆっくりと近づいて来る。
「いやあああああああっっっっっ!」
ミクの悲鳴が聞こえてきた。でも、なぜかそれは聞こえているのに、どこか遠くで聞こえるような感じだ。オレを見て上げた悲鳴なのだろう。妙に醒めた頭で、そんな事を思った。
オレは……死ぬのかな。
死ぬだろうな。この高さから落ちれば、無事には済むまい。
不思議と恐怖はなかった。むしろ、今落ちている自分という存在が、何か他人事のように実感が湧かなかった。そうだ。リアリティがないのだ。あまりにも呆気ないからか……?
しかしまあ、ミクには申し訳ない事をした。約束を、こうも早くも破ろう事になろうとはな……。
すまない、ミク……。
ゆっくりと進む時間の中、妙に醒めた頭でミクの事を色々考えた。もっとああしてやれば良かった、こうしたかった。次から次にたわいもない事が、頭をかすめていった。しかし一番の心残りは、結局ミクの歌声を聴くことができなかった事だろうな。
あぁ、本物の歌が聴けると思ったのにな……。
「ガウルッ!?」
オレの思考が閉じようとしていた時に、ミクの歓喜と驚きが混じるような声が聞こえた。
その瞬間、オレは背中を何やら強い力で引っ張られた。
「うぐっ!?」
衝撃が走る。急激な上方向への力が働いているのか、襟がオレの首を絞める。苦しい……息が詰まる。その際、空に輝く太陽を見た。青い空に、白く輝く真円……。
綺麗だな……。
太陽がこんなに綺麗だったなんて、知らなかった。
白い真円が広がっていくかのように、オレの視界が白くなってゆく。感覚が……遠のいてゆく。あぁ……これが死ぬって事なのか……。
「痛てぇッ!?」
意識が遠のいたと思った瞬間に、肩に激痛が走った。落ちた。そうだ、落ちた。痛いほどの重力を感じる。受け身を取り損ねたから、肩が外れるかと思うほど痛い。
目を開ける。急に色づいてゆく世界。青い空、黄色い砂漠。
生きてる……のか?
「ケイッ! ミライッ!」
聞き慣れた声に、2つに結んだ青いお下げ揺らして近づいてくる少女の姿が見えた。まだ視界がぼやけてるが、間違いなくミクだ。
「大丈夫!?」
「……あぁ、何とかな。……痛ッ!」
くっ、肩が痛む。折れてはいないだろうが、打撲程度ならいってるかもな。
「怪我、してるの?」
「大丈夫だ。この程度なら、しばらくすれば治るさ」
今にも泣き出しそう顔で心配するミク。いつもの不機嫌さなど微塵もなかった。頭を撫でて安心させてやりたかったが……。
「……ほら、ミライも無事だ」
「……ギュウ」
右手をミクに差し出す。くぐもった呻き声を上げてるが、オレの手の中では奴の体温と呼吸を感じるから大丈夫だろう。奴はこの程度でくたばるようなタマじゃねぇからな。
「ミライ……! よかった。よかった……無事でよかった……」
オレからミライを受け取ると、大事そうに胸に抱いて泣いてた。
ったく、ホント苦労かけやがって。
……一段落したところで、オレは疑問に思った。
あの高さから落ちたのに、オレは何で生きてるんだ? しかも肩を打撲する程度の怪我で。あの高さなら打撲どころじゃないだろ、普通は。何がどうなってるんだ?
影が差した。何かが日射しを遮ったのだろうか……。
「……お、お前は……」
声が、出なかった。
オレの目の前に立っているのは、サンドウルフだった。図体がでかくて、鎧のような固い殻に身を包まれた生体兵器……。
今は武器もない。おまけに肩まで負傷している。分が悪いどころの話じゃない。
オレを見ている奴も、「グルルル」という低いうなり声を上げている。殺意が……奴の殺意がオレの全身を貫く。
……情けない話だが、オレは身動きが取れなくなった。
まさに絶対絶命……か。
「ガウル、この人は味方よ。私の大切な人なの。だから……ね?」
ミライを抱いたミクが、オレと奴の間に入る。奴を宥めているのか……?
奴は不満そうにミクをしばらく見つめていたが、オレに一瞥をくれたあとは、興味がなくなったのかノソノソとオレ達から離れて行った。
た、助かった……。
全身の力が抜けた。今まで感じた恐怖やらが、毛穴からドッと吹き出すような感じで、もはや立ち上がる気力もない。疲れた……。
「ケイ……」
「大丈夫だ。ちょっと疲れただけだ。……お前は、アイツの事を知ってるのか?」
「ええ。彼は私たちがこの街に来る前から、この辺一帯を守っていたのよ」
「この辺一帯……?」
「この街以外にも、街がいくつかあったみたいなのよ。もっとも、私たちがたどり着いた頃には、どの街も廃墟になってたんだけどね。彼は……ガウルは、今もたった一人で守っているのよ」
奴はオレ達から離れたところで、うずくまるようにして眠っていた。ミクは、奴に哀しそうな、それでいて親しみを感じているような優しい眼差しを送っていた。きっと、色々と感じるところが多いのだろう。
「やっぱり、前にオレを襲った奴も、そのガウルって奴だったのか?」
「そうよ。ここら辺でサンドウルフだなんて、彼しかいないもの」
「何でオレを襲ったような奴が、こんなところにいるんだ?」
「彼は、あなたとミライを助けてくれたのよ」
「助けてくれた……?」
「ビルから落ちるあなたを、彼が空中でキャッチしてくれたのよ」
キャッチ……?
オレは背中が引っ張り上げられた事を思い出した。不意に、背中辺りにあるマントに触れてみると……穴が空いていた。当然だよな。奴には手がないから、キャッチするには口しかないわけだから……。まあ、破れなかっただけでも感謝しておくか。
あまり釈然とはしないが、ガウルにも感謝しておこう。心の中でな。
「……面白くないって顔してるわね」
「いや、別にいつも通りだぜ?」
「ふーん……」
ミクは疑うような眼差しでオレを見ている。
いや、まあ……あれだ。確かにあんまり面白くないさ。猫か何かを扱われるように、首根っこをつかまれて……しかも命を助けられたんだからな。そりゃ面白くないって方が……まあいいか。
「……そういえばお前、奴に閃光弾か何かを投げつけてたよな? オレと出会ったときに」
何となく恥ずかしくなってきたから、強引に話題を変えてやった。
「そういえば、そうだったわね」
「お前、顔見知りにそんな事を平気でやるのか……?」
「何よ、その顔は? 仕方ないじゃない。戦闘モードになった彼は、相手が動かなくなるまで攻撃を止めないのよ。強制停止プログラムを仕込んだ閃光弾でも使わないと彼の動きを止めることなんてできないんだから。……それとも、あなたはあのまま彼にやられた方が良かったの?」
「それは嫌だな」
「だったら、私にもっと感謝してよね」
ミクは不機嫌な顔をしながら、偉そうにそう言った。
いつも通りのミクに苦笑しながら、いつも通りのミクである事に安堵した。
やっぱり、ミクはいつも通りの方が良い。笑顔の方が可愛いのだが……まあ、不機嫌な顔のミクも、可愛いっちゃ可愛い。
「わかった。ありがとな、ミク」
オレはミクの頭を撫でてやった。
「……な、なによ……ばか」
胸に抱いたミライをギュッと抱きしめて、顔を赤くしながらオレから視線を逸らした。
ふと、こっちを見ている奴──ガウルと目が合った。オレは一瞬背筋が凍るような気がしたが、ありったけの気力を動員して奴を睨み返してやった。
奴はため息のような鼻息を吐いて、興味がないとばかりにまた顔を埋めて目を閉じた。
オレなんか眼中にないって態度だな……。なんかムカつくが、奴には太刀打ちが出来ないの事は確かなので、その怒りを胸の奥にしまっておく事にした。
「そうだ、ケイ。決めたわ。今夜、歌うわ」
いつまでも頭を撫でているオレの手をはねのけて、高々とミクは宣言した。
「準備に時間がかかるんじゃなかったのか?」
「ガウルが来てくれたから、予定より早く準備できるわ。今から頑張れば、夜にまでは間に合うわよ」
「そうか……」
「ねぇ、ミライをお願い。……ガウルー、ちょっとお願いしたい事があるんだけどー」
ミライをオレに預けると、気怠そうに寝ているガウルの元へパタパタと走っていった。
なんか元気いいな、おい……。
相変わらず、このムカつく小動物は小さな寝息を立てている。くそっ、人の気も知らないでのんきに寝てやがる。一瞬、地面に投げつけてやろうかと思ったが、そこは理性で何とか抑えた。
楽しそうに話しているミク。ノソノソと立ち上がり、ミクの後を付いていく巨大な生物兵器。
そりゃあ、ミクの歌が聴けるのは嬉しいが……嬉しいけどさ……。
「あー、もう、くそっ!」
自分でもわけのわからん感情がオレを苛つかせ、とりあえず叫ばないと気分が晴れなかった。
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BPM=156
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