42.罪なき逃亡者、ハク ~後編~


 一軒の工房の前でハクは立ち止まった。

 そこは、ハクが長い間、刺繍職人として働いた場所だった。
 森の中にたった一人で住み、毎日ここへ通ってきていたのだ。
 町を出た日と変わらない、長い年月に乾いた木の扉が、ハクの目の前にある。

「……どうも……」

 ほかに、言葉が思いつかず、ハクは客のような挨拶で両開きの扉を押した。
 キイ、と蝶番の音をきしませて、扉が開く。
「……おかみさん……? 」
 ハクは小さな声で奥に声をかける。
 染色につかう鉄媒染のような匂いが鼻を突く。しかし、人の気配は全くない。
「……すみません……だれか」
 ついにハクはさらに弱気になり、本当の客のように声をかける。

 それでも、返事はない。

「留守、なの……? 」
 工房の職人まるごと、どこかへ避難してしまったのだろうか。
 ハクがついに意を決して工房に上がりこんだ。所属を離れた場所に無断で上がりこむことは気が引けたのだが、ハクの空腹とのどの渇きも限界だった。
 だれでもいい、どこでもいい。何を言われてもよいから少し、休ませてほしい。
 ハクは染料を煮たてる匂いを追って、煮炊きをする奥の土間の方へ向かった。

「失礼します……」
 土間へそっと顔を出したハク。
 初め、目の前の景色の状態を認識できなかった。
 やがてハクの目がゆっくりと天井を仰ぎ、息をひとつ吐き、そして視線が床に戻された。

「な、」

 ハクの口と頬、そしてのどが思い切り引きつれた。
 あたりを引き裂くような悲鳴を上げて、ハクはその場にしゃがみこんだ。

「な、なんでなんで?! お、おかみさん? みんな? どうして……! 」
 工房の土間の釜は、空っぽだった。染物に使う染料も鉄媒染も、なにも入っていなかった。

 あたりに漂っていた濃い鉄の匂いのもとは、床に転がる緑の髪の女たち。

「リア? ユン? マルカ……?! どうして! 」
 数年前、ハクを楽しげにいじめぬいた少女たちが、やや大人びた姿で、床に倒れていた。

 すでにその口は開かず、その眼には何の光も宿っていない。

「うそ、嘘、嘘……! 」

「おや、お前さん……ハクか」
 がたりと背後で音がした。
「あ……! 」
「懐かしいな。戻ってきたのか」
 それはこの工房の主人だった。瞳を悲しげになごませ、その手には、汚れた鎌があった。

「……! 」

 あまりの光景に、ハクの声は失われたままだ。
「ハク。……なんと言ったらよいか。……戻ってきたのだな」
 ハクは、じり、と後ずさる。とん、と誰かの体にあたり、ハクは悲鳴をあげて飛び上り後ずさった。
「な、何が……何が、あったのですか」
 ハクの声が震える。
「……黄の兵が」
 主人の言葉に、ハクの瞳から涙が滑り落ちた。

「黄の兵が、こんなひどいことを?!」

 かっと憤ったハクに、主人は首を振った。
「いいや。それなら、もっとひどいことになっただろう」
「え、」

 ハクの顔が疑問に固まる。

「飢えた野蛮な黄の兵が来たら、男は黄の国へ連れて行かれ働かされ、女たちはひどい目にあう。
 緑の民の男としては、黄のため何ぞに働くのはまっぴらだし、若い女たちは、なぐさみものにされ殺されるくらいなら死んだ方がましだと、みんな自ら、天へ向かった」

 え。

 ハクの頭が、ひとつの単語をぐるぐると再生する。
「自ら、天へ向かった……? 」
 主人はふとしゃがみこみ、彼の妻の頬をなでた。
「そうだ。うちの奴みたいなばあさんもな、凌辱されないまでも、自分たちの技が、あの黄の国に漏れるなんぞ許せないといってね……みんな、泣いていてねえ……」
 主人の声が涙に詰まる。
「……つい、さっきだよ。この工房も全員、無事に天に向かった」

 なに、それ。

 ハクの言葉は凍ったままだ。
 『あんたなんか死んじゃえ。』
 『生きていてごめんなさい。』

 ……生きていては駄目なのは、自分のほうではなかったのか? 
 なぜ死ぬ理由のない、かつての工房仲間が死んでいるのか?!

「力がなくて一息に死に切れなかった者は、俺が送ったよ」

 ハクの口がわなわなとふるえた。この町は……この人たちは、いったい、何をやっているのだ?!

「他の工房も、もう残らずいってしまった」
「な、な、え」

 ハクの口も思考も、すでに言葉をなさない。

「女たちを殺し、男も後を追う。……他の町でもそうだと聞いた。ハク。いろいろ嫌なこともあったと思うが、許しておくれ……
 女王に認められた腕を持つあんたが、死ぬ場所にこの町を選んでくれて、俺は本当にうれしい」

 ハクの口から絶叫が上がった。

「なんで! どうして! なんで、死ぬ必要もない人が死ぬの?! 
 だって……だって! 」

 工房の壁は、今も職人たちの美しい作品が、だれにも荒らされずに飾られていた。

「ヨワネの技術は素晴らしいのに! こんなの、ほかの誰も出来ないのに! 」

「だからこそ野蛮な黄の国には、技も、人も、死んでも渡さん! 」

 工房主が吠えた。
 ハクは一気に足をたわめて裏口から走り出た。途中でなんども柔らかい何かに躓いた。そのたびに喉の奥がえずいたが、構わず息を吸い込んだ。

「こら! おい! ハク! お前! 稀代の職人であるお前こそ、黄の国になんぞに渡してたまるものか! 」

 工房主の声がハクを追いかける。

「馬鹿者が、おじけづくんじゃない! 勇気ある緑の民だろう!
 ……誇りある、緑の女だろう! 潔く天に向かえ! 」
「いやあああああ! 」

 ハクは走った。
 夕闇の町は静まり返っている。
 いつもなら聞こえるはずの夕食の支度の音は聞こえない。すべて真っ赤な光の中に静かに沈んでいる。
「こら! 緑の民なら戻って来い、ハク! この、」

 ……お前は、やはり、緑の民に非ず!!

 冷たく重く、ひどい言葉がハクの背中に力いっぱいぶつけられた。思わず足を止めかけたハクだが、振り切るように走った。非難の声はずっとずっと追ってきた。

「やだ、やだ、おかしいよ! なんで……なんで、どうしてっ……」

 ハクの足から靴が脱げ落ちる。素足の爪が石畳にこすれて割れて、白い足に真っ赤な花が咲いた。それもやがて泥にまみれて乾いていく。

 ハクはひたすら逃げた。昔、工房や町でいじめられて、森の中の家へと走って帰ったときのように。
 走って走って、ついにたどりついたのは、大きな木の根元だった。
 ハクの住んだ家は、すでに崩れ去っていた。

「ミクさま……ネルちゃん……ミクさま……ネルちゃん……! 」

 ハクの肺が大きく息を吸い込んだ。ずっとハクを支えてくれた、愛しい人たちの名を呼ぶ。
 やがて声が高くなり、感情が胸を突き上げる。
 ハクの号泣が森の梢をゆるがした。

「私……私……私……!!」

 その日最後の西日がハクの紅い瞳を焼いた。透明な涙があふれ落ちた。

「私……死にたくないよおっ……! 」

 ミクが逃げろといってくれた。
 ネルが体を張ってまもってくれた。
 そんな命を、どうして、投げ出すことができよう。

 たとえ、緑の民と呼ばれなくても。緑の民のだれから好かれることがなくても。

「うああぁぁ―――――――――――!!」

 ハクの白い手のひらが泥をつかみ、号泣と絶叫が産声のように深い森の中に響き渡る。
 やがて真っ赤な太陽が去り、押し寄せた闇と湿った森の匂いがしずかにハクを抱きしめた。



……続く。

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 42.罪なき逃亡者、ハク ~後編~

ハクが幸せになるまで、あと……


幸せだった全てのはじまりはこちら↓
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
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投稿日:2010/11/30 00:12:27

文字数:3,126文字

カテゴリ:小説

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  • sunny_m

    sunny_m

    ご意見・ご感想

    こんにちは、お久しぶりですsunny_mです。
    おおお、、、、もう、泣いていいですか。

    人が死んでいくのは、本当にしんどいものですね。
    死んだ方がましな事が、この世の中にはいっぱいあって、そういう意味ではヨワネの人々の気持ちは凄く理解できてしまうのです。
    だけど。血が出たらみんな痛いんだよ。とか、自分に刃物を向けるって本当に怖いんだよ。とか。
    そういう感情的な気持ちが働いて、もうほんとうに泣きそうです~。
    (そして血まみれ系も苦手なので、ちょっと貧血を起こしそうになった・笑)

    こういう、きっと死んだ方が楽なんだろうな。とか思っちゃいそうになる状況で、生きることを選択したハクに、切なくなりました。
    無理は分かっているけど、みんな最後まで生きてください。と言いたくなってしまいます(笑)

    続きを楽しみに、まっています!!
    ではでは!!

    2010/11/30 14:41:21

    • wanita

      wanita

      >sunny_mさま

      お久しぶりです!コメントありがとうございます☆

      …すみません、そこまで血まみれを想像させるつもりは無かったんです…

      でも、最近の漫画やアニメの描写で「こんなに怪我しているのに、動けるわけないだろう!」という血や死を記号として描写するやり方に反発する意味もありました。殴られても笑って戦うなんて出来ない。斬られたら痛くて動けない。それ以上に、怖い。…私自身が、それを伝える場所を求めていたのかもしれません。

      その上で、「生きていてごめんなさい」が口癖だったハクに、「死にたくないよお……!」と全力で叫ばせるのが、今回の目的でした。

      死ぬことは痛くて苦しくて怖くて、死にたいと思ってもいざ死ぬとなると、直前に「死ぬほど後悔する」ことになるという思いをこめて、工房主を描きました。

      「死して緑の誇りを守る。死にきれないなら、緑の民じゃない」。彼はきっと本心でそれが正しく良い事だと思っていますが、でも、緑の女王のミクは、ハクを生かそうとしたんです…!

      理不尽な死を強いられそうになったハクがこれから「生きたい」思いを自覚し、そして、黄の民の王、リンが、この緑の国の閉鎖性をどう評するか、

      …どうぞ見守っていただけたら幸いです☆しかし「悪ノ」シリーズ、こんなにいろいろ人の思いの裏側を仕込めるとは思いませんでした。

      2010/12/02 01:08:59

  • Aki-rA

    Aki-rA

    ご意見・ご感想

    うぉぉ!待ってました!


    読ませていただき普通に恐怖しながら職人達に感服しました。
    自分達の技術を敵に渡したくない。渡すぐらいなら命を絶つとは‥
    だからハクが戻ってきた時は殺して起きたかった。でもハクは死にたくない。
    親しくしてくれた仲間は殺され、1人になったハクの今後が非常に気になりました。オラ、ワクワクしてます!

    素敵な作品ありがとうございます!

    2010/11/30 01:01:32

    • wanita

      wanita

      >ねるゑるか様

      メッセージありがとうございます!

      …今回のシーンは、「ネルの意地」の回と同じくらい、書いていて本当に辛かったです。

      ハクは、他の村でネルと共に死にそうな目にあって、死にたくなくてわざわざ嫌な思い出のあるヨワネに帰ってきたのに、この仕打ち…皮肉にもミクが「ハクは国の宝だから」と生き残らせようとした逆の事になってしまった訳です(T_T)

      ミクが生きていたらヨワネの職人達に対しても大激怒でしょう。「ハクだけじゃない、あなたたちも国の宝なのに、あっさり命を捨てるんじゃないわよ!」と…☆

      この事件については、黄の女王のリンを思い切り絡ませようと思います☆


      では、これからもどうぞよろしくお願いします!

      2010/12/02 00:42:54

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