第六章 悲劇 パート1
膠着が、続いていた。
ミルドガルド南東に位置するリンツである。グリーンシティを抑え、旧緑の国の領域は商工ギルドの手により半自治区として独立状態にあった。以前は青の国と緑の国の国境に位置しており、従来は防衛拠点として重視されていたが、帝国による統一ののちはその重要性が失われ、細々とした宿場町としてのみ存在を続けていた街である。
リンツ戦は、ガクポ率いる傭兵部隊によるリンツ占拠を端に発している。
リンと共にグリーンシティを奪回したのち、ガクポは傘下の傭兵部隊二千名を引き連れてリンツを急襲、グリーンシティ陥落により混乱に陥っていた帝国軍を一蹴する。そののち、テトが中心となって招集した義勇兵を合わせ、既に五千を越える部隊に成長していた。義勇軍とはいえ、旧緑の国の残存兵や国人衆、そして統一により行き場を失くした荒くれ者どもを中心とした軍である。
そのリンツに、アクを大将とした帝国軍が進軍したのは占領からひと月が経過した時だった。主力はゴールデンシティ救援に向かったため、軍の編成に手間取ったためである。軍の構成は新兵か、或いは一度引退した老兵が中心となっていた。それほどまでに、帝国軍の戦力は低下していたのである。
「アク様」
副将のテューリンゲンがアクの幕舎を訪れたのは、対峙から一週間が経過した頃合いだった。どうした、と尋ねる。
「そろそろ、動くべきではないかと」
小さく頷く。今のところ、反乱軍とは日に何度か小競り合いをする程度に収まっていた。
「リンツは、固い」
溜息が漏れた。リンツを抑えられることは想定してはいたが、未だに攻城戦へ移る決心がついていない。ガクポ側に予想以上の兵力が集っていたためだ。
「心中、お察しします」
テューリンゲンにも良い策はないらしい。実際にはリンツ派遣軍の方が兵力は多い。ガクポ軍の倍、一万を擁してはいる。だが、先述のとおり、内容には乏しい軍であった。戦闘に耐えうる兵は五千を割っているだろう。
「しかし、このままでは士気が萎えます。一度攻勢を仕掛けてみれば。間者の報告ではガクポ隊は五千とのことですが、実態はかき集めた義勇兵と傭兵がその大部分を占めているとか。正規軍には敵いますまい」
二千はガクポ直下の傭兵部隊だけれど。
アクはもう一度、溜息を漏らした。
「帝国は、何を成した?」
そう、呟いていた。
「何、とは」
「なぜ、五千もの兵が集まった。リンもそう。中核は赤騎士団だけれど、今は一万を越えたと言う」
「それは」
「帝国は、何を間違えた」
嘆息。
「アク様、私に政治は……」
「でも、あなたも分からなくなっている」
強い瞳で、テューリンゲンを見た。テューリンゲンが息を飲んだ。
「……今は、反乱軍本隊との合流を避けるのが吉」
沈黙ののち、アクが言った。
「シューマッハとファーレンなら、反乱軍を破れる。二万の精鋭相手に、反乱軍は戦えない。そうすれば、リンツも自ずと陥落する」
アク自身、過去にないほどの消極策であった。
「では、士気を保つため、偵察程度の攻撃を仕掛けます」
うん、とアクが頷くと、テューリンゲンが丁重に頭を垂れ、退出した。
一人残され、思考に耽る。
ガクポは恐らく、リンツ砦からは出てこないだろう。滅びを美学とする性質ではない。確たる情報がある訳ではないが、レンと名乗る青年がグリーンシティ奪回戦に参戦していた、という噂はアクの耳にも届いていた。そして、フィリップ市で革命軍の総大将を名乗ったというレン。金髪隻眼の、凛々しい青年だという。自然に考えてこの二人は同一人物であり、そしてほぼ間違いなく、彼、否、彼女はリンだという確信をアクは抱いていた。ガクポは黄の国滅亡の直前、傭兵の身分から離れ、黄の国で一部隊を任されるほどの忠誠を誓っていた。黄の国と青の国の最後の戦闘となったカルロヴィッツの戦いでは事実、カイトの首まであと一歩のところまで迫っていたのだ。一つの国で騎士として召抱えられる。それは彼の人生にとって唯一の出来事であり、理由は判別としないが、リンに何かを感じるところがあったのだろう。ガクポが反乱軍に参加したこと自体は、それほど不思議なことでもない。
だが、ガクポとその傭兵団はともかくとして、それ以上の義勇兵が集まった理由はなんだ。
帝政が、それほどまでに彼らの恨みを買っていたのだろうか。それとも、誰もが民主主義と言う夢を見始めたのだろうか。その世界では王も貴族もなく、全ての民が同一の立場にあるという。そして、施政者を投票で決めると言う。
そんな世界が、実現可能であるのか。
わからない。だけれども、とも思う。
この大陸は、施政権を求めるために、過去幾度もの戦争が巻き起こった。
古代王朝たるアテネアの拡大戦争から始まり、フラン帝国の侵略、そして三国による独立戦争。
いずれも、多大な血を要求した戦争だった。数百年に一度、人はどうしても血を欲する時があるらしい。
だが、民主主義の世界であれば、権力を求める野心家も民による選挙を経ることで、一滴の血を流すこともなく施政者となることが可能となる。或いは、将来のミルドガルドに置いて戦争という悲劇は全て消え去るのかも知れない。
それは、魅力的に思える世界だった。帝都に残し、文官として育成しているジョゼフも、将来この国の王として君臨することができるかも知れない。学問は苦手だから、直接顔を出している訳ではないが、報告では非常に優秀な成績を収めているという。特に政治や経済の飲み込みが早いらしい。もし帝国があと二十年続けば、帝国官僚のホープとして活躍することは疑いようもなかった。
その帝国が、果たして生き残れるのか。
反乱軍の目標は、疑いようもなくゴールデンシティであった。旧黄の国と旧緑の国を抑えれば、それだけで帝国以上の国力を持つ大国が出現することになる。リンツとザルツブルグ。この二つを抑えられれば、今の帝国に対抗する術はない。
今のうちに軍を再結集し、一か八かの決戦に挑めないか。
ぼんやりと、そんなことを考えた。ゴールデンシティを放棄し、二万の兵でザルツブルグに立て篭もる。或いは、ザルツブルグをも放棄し、帝国領の奥深くまで反乱軍を引き込み、一網打尽にする。帝都には未だ一万五千を越える兵が詰めていた。内五千をリンツに回せば、勝機は十分すぎるほどにある。少なくとも、膠着状態に持ちこむことができるはずだ。
だが、その後は。
ただ一度の大決戦で反乱軍を葬り去れればいい。できなければ、じわじわと国力の差から追いつめられることになる。それに、背後のルーシアが反乱軍と手を組まないとも限らない。だからこそ、帝都に大軍を残さなければならなかったのだ。
いずれにせよ、このままでは負ける。
それをアクははっきりと自覚していた。ゴールデンシティは帝国にとっても、反乱軍にとってもこの戦の帰趨を決する要となる。シューマッハが、耐えてくれればいいのだけれど。
嘆息を漏らしたアクに、最悪の報告がもたらされたのは、それから三日後のことだった。
「そう」
ゴールデンシティ陥落の報を受け、アクが漏らした言葉はそれだけだった。
「如何、なさいますか」
テューリンゲンが言った。幕舎には主だった将軍が詰め寄せていた。
「皇帝は?」
「現時点では、何の指示も」
将の一人が言った。小さく頷く。
「なぜ、堕ちた」
「きゃつら、我らの知らぬ秘密通路を利用した模様です」
再び、テューリンゲン。
「命からがら逃げのびたハンザの報告によりますと、反乱軍が唐突に城内に乱入したとのこと。恐らく、外へと抜ける隧道があったのだろうとのことです」
漸く、得心がついた。リンが無事に逃げおおせた理由。レンを身代わりにするだけでなく、古来から黄の国の王らは万が一に備え、逃亡経路を画策していたのだろう」
「また、帝国兵の反乱も相次ぎ、同士討ちになったと」
「どいういこと?」
「旧黄の国の奴らですな」
吐き捨てるように、テューリンゲンが言った。
「奴ら、皇帝への旧恩を忘れ、戦が始まるや否や反乱軍に加担したとのことです」
「そう」
恐らく、メイコの処刑未遂から赤騎士団の逃亡に至る一連の行動で、彼らの心に訴えるものがあったのだろう。あの事件以来、除隊願いが増えていたという話もある。ともかくも、ゴールデンシティは堕ちた。間を置かず、反乱軍はザルツブルグを急襲したという。ファーレン元帥がザルツブルグ奪回を目指していると言うが、まず不可能だろう。
これで、選択できる手段は一つに絞られた。
決戦。それしかない。
「地図を」
卓に地図が広げられた。決戦の場所はどこか。帝都を避け、大軍を展開しやすい広々とした場所。
「……イザール」
従来ならば、新帝都が築かれていた場所。イザール河が流れる、大平原地帯だった。
「イザール、ですか?」
テューリンゲンが首を傾げた。アクは頷きながら、考えた。
イザールの対岸に、帝国全軍を集結させる。河を天嶮の要塞とし、徹底的な防衛陣を敷く。他に、確実に勝つ手段はない。同時に、ガクポ隊はこのまま抑えつつけていなければならない。既に帝国の兵力は三万程度にまで落ち込んでいる。イザール防衛戦にはどうしても二万は欲しい。帝都には極限まで抑えて、五千を残す。ここには一万が必要だ。ガクポを動かす訳にはいかない。
だが、私は。
私は、どこにいるべきなのか。
イザールをファーレンだけで支えられるだろうか。不可能とは言わないが、厳しい戦いになる。恐らく、今度はカイトも出てくるだろう。手札が足りない。主だった将はルーシアでそのほとんどを失い、ゴールデンシティ陥落によりシューマッハも反乱軍に奪われた。
私しか、いない。
そう結論付けるのに、それほど時間はかからなかった。だが、テューリンゲンだけでリンツを抑えられるか。
万が一私の不在にガクポが攻めて来れば、数をものともせずテューリンゲンは斬られる。そうなれば帝都まで一直線、イザールで反乱軍を打ち破ったとしても、先に帝都を陥落させられるという事態も起こり得ない。
どうするか。
アクは沈思した。
だが。
「私は、イザールに赴く」
宣言した。
「兵は不要。イザールで反乱軍本隊と決戦、勝利する。それまで、テューリンゲンはガクポを抑えて。絶対に、突破させてはだめ」
これが、実質最後の戦いになる。
アクは、そう思った。
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