29.奇跡の始まり
リントから遅れること数刻、ルカたちはドレスズ島に到着した。
リントたちの島から、ドレスズ島までは、船で六時間かかる。それは作業工程的にはほぼ一日作業に近い。
ルカたちのような大陸軍の船がドレスズにいく時にいつも使う港があるのだが、今回は奥の国の動向を警戒して、人里から離れた入り江に隠れるようにして接岸した。ここでルカたちは、大陸の国の軍人の証である、軍服の上着を脱いで船底に隠した。
こういうときに、白の制服は役に立つ。シャツとズボン姿になってしまえば、淡い色を好む島の人々の服装に溶け込むことが出来る。ただ、髪と瞳の色については隠しようが無い。男二人は黒と茶の髪、ルカは薄紅と、三人とも大陸の民の特徴を持つので、まるで、観光客が島の服装を楽しんでいるような格好だが、一目で軍人だとばれるよりは都合がいい。
「ソレス軍曹。状況はいかがですか」
さっと双眼鏡で空を見上げていた黒髪の兵士が、ルカに呼ばれて振り向く。
「まずいな。『奥の国』の飛行機が、こちらへやってくる」
ソレスが見上げたほうを、もうひとりの兵士が見やった。彼は飛行機雲を読むように空の道を読む。
「エスタ伍長」
エスタと呼ばれた茶の髪の兵士が、ルカをちらりと見てふと笑みをみせ、うなずいた。
「俺たちの任務は、コルトバのお姫さんを無事に匿える部隊へ引き渡すことだ。案ずるな」
ルカは黙り込む。自分も隊の一員なのに、ともに訓練をこなしたはずであるのに、守るべきお姫さんだと思われてしまうのは、自分がまだまだ未熟なためだ。未熟な自分には答える言葉は無いと、ルカは黙って受け止める。
「それにしても、どうしたものかな」
ソレスが唸る。軍曹の階級の彼は、この場での一番の上官だ。たった三人の通信部隊の長となった彼は、気を張り詰めた面持ちで、じっと双眼鏡の向こうに目を凝らす。
「ドレスズ島が……『奥の国』に寝返っていたとは」
その視線の先には、かつての郵便飛行場があった。今は、奥の国の飛行機が並んでいる。
そして、三人の目の前で、かなたから飛んできた奥の国の飛行機が、轟音を上げて着陸した。
「ともかく、本部にわれわれの状況を知らせる通信手段の確保が重要だ。ドレスズが駄目なら、他の島にいくしかないだろう」
たった三人で出来ることはない。まだ若いソレスが、緊張した表情で決断を下す。
「船に戻るぞ」
上官のソレスとエスタが駆け出し、ルカもそれを追って走った。人のおよそ来ることのない藪を抜けて、船を隠した岩の陰に向かう。
と、藪を抜けた三人の目が見開かれた。
「船が」
「無い!」
狭い砂浜を走り、駆け寄った三人だったが、厳重に隠したはずの、乗ってきた船が無い。
この場をまとめるソレスの顔が白く強張る。船には、脱いだ大陸の国の制服が隠してあった。もし船内を捜索されたら、大陸の軍人がこの島に来ていることがばれてしまう。
「落ち着け。まずは、船の捜索だ」
高まる陽射しが容赦なく三人の思考を焼く。潮の音とじわりと湿度を増した空気の中、ソレスの判断に異を唱えたのは部下のエスタであった。
「船を捜すより先に、コルトバ殿の姫を逃がすのが先ではありませんか」
ソレスが眉をしかめて振り返る。エスタは言葉を続けた。
「船を捜す時間があるなら、せっかく変装しているのですから、この格好のまま別の島へ渡る連絡船にまぎれてしまえばよいのではないですか」
ソレスが口を結んだまま意見を聞いている。
「最悪、姫だけでも乗せてしまい、他の島の味方から連絡を発信しましょう!」
「それこそ無謀だ」
ソレスが、にじんだ汗をふりきるように言い切った。
「大きなドレスズすら、奥の国に寝返った。他の島もわからないではないか。船が奪われたのなら、すでに検問くらいは用意されているだろう」
「では軍曹どのはどうするおつもりですか!」
「漁民を抱きこんで船を出してもらう」
「時間がありません!」
「見つかる危険を冒すよりはましだ」
「あ」
最後に声を発したのはルカだった。岩場の上部に生えた茂みに、人の影が見えたのだ。二人の上官がはっと上を見上げたその時、わっと網が落ちてきた。
「なんだ!」
三人が抜け出そうともがく間に、上から煙を噴き上げる円い物体が落ちてきた。
「これ」
声を発しようと息を吸った瞬間、ルカの視界が強烈に回転した。
二人の上官が、銃を取り出そうとした形のままうずくまっている。
どうにか抵抗しようと試みたルカだったが、ついに砂の上に倒れ、他の二人同様、意識を失った。
* *
……うるさいな、とルカは思った。そういえば、今朝もそう思って目が覚めた気がする。
横たわった身体の下に感じられるのは、固い地面だ。リントを殺すふりをして以来、ずっと感じてきたなじみの石牢の床の感覚である。
「今日こそ、この島ともお別れなんだ」
ふと、ルカの脳裏に自分の部屋の窓辺が思い出された。少女の日、リントから貰った粘土の女神像が、海の見える外を向いて飾られてあった。
「リントのくれた女神像、……島を離れる時に持たせてくれるかな」
ルカは、ここが『島』だと勘違いしていた。あの朝、少し飛行機はうるさかったけど、それは夢だったのだと、ルカはこのとき感じていた。島が空襲されて、建物が崩れて、ヴァシリスが銃を手に取り、島の男達と、白い土埃の中へ消えていく。
「怖い、夢だったな」
ルカはそう思いながら安心して目を開けた。
「これで正しい現実が見える」
目を開けた。
目の前に、リントの顔が飛び込んできた。
音の正体は、その背後の工廠からの、飛行機のエンジン音だった。
「な、んで」
「おはよう、ルカ」
笑顔で、彼は言った。
「どうして、」
「目が覚めてよかった」
リントが、記憶の中よりも大人びた顔で笑った。
……続く!
滄海のPygmalion 29.奇跡の始まり
あのとき、あのこと、あの現実が、全て夢であったなら。
発想元・歌詞引用 U-ta/ウタP様『Pygmalion』
http://piapro.jp/t/n-Fp
空想物語のはじまりはこちら↓
1. 滄海のPygmalion http://piapro.jp/t/beVT
この物語はファンタジーです。実際の出来事、歴史、人物および科学現象にはほとんど一切関係ありません^^
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