悲劇 パート2
「随分な賑わいですね」
遠路はるばるザルツブルクを訪れた女性がいた。フレアである。革命軍が快進撃を続けてこられた理由はこのフレアの存在が何よりも大きい。どんどんと拡大を続ける革命軍の食糧事情を一手に引き受けてなお余りある才を発揮していたのである。フレアはキヨテルと共同で増産策を取る一方で、ミキやリリィを始めとしたミルドガルドどころか全世界に渡る物流網を確立し、新大陸から、ルーシアから、東方から余りある資材を調達し続けていたのである。特に著名なものは革命軍が起こるより以前、ルワールへ蟄居した際から構築を始めていた灌漑網の整備である。これによりルワールはそれ以前と比較して二倍近い増産体制を整えることとなり、これが今になって大きく響いていたのであった。現在のフレアの肩書はゴールデンシティ主席である。帝国時代に低迷していた物流と農産の活性化を怒涛の勢いで進めていたのである。
「なんだかんだ、軍も二万を越えたしね」
リンが笑う。彼女の要望で、納品のついでに視察に訪れたのである。
「フレアのお陰ね。お腹を減らすことなく戦えるのは大きいわ」
ザルツブルグ占領から二カ月が過ぎていた。この間に革命軍は軍容を整え、引退を決めていた旧黄の国の兵らと義勇兵を集め、兵力はゴールデンシティ奪回時に比べて二倍に激増していた。今も山中で訓練に励む兵卒の声が響いている。
「帝国軍は、奪回を諦めたのでしょうか?」
「あのカイトのことだから」
リンが肩を竦めた。
「まだ、諦めてはいないと思うけれど。手も足も出ない、と言う所だと思うわ」
ザルツブルグはミルドガルド山脈を渡る街道の中心、最も高い峠に位置している。周りは山脈に囲まれ、攻める術は一つしか用意されていない。街道を下から駆けあがるのだ。当然、高所を把握しているザルツブルグに立て篭もられると、数倍の兵力で蹂躙する以外に打破する方法はない。
「ただ、少し水が不足気味ね。湧水は豊富だけれど、二万は多いわ」
「どうしているのです?」
「仕方がないから、中腹の川まで取りに行っているわ。行軍訓練も兼ねて、一日に一往復。片道で二時間はかかるから、なかなか大変だけれど」
「なら、あまり長居はできませんね」
「ええ、その通りよ。本格的な冬になると積ってくるし、それに秋も深まってきて、水量が少しずつ減っているの」
ミルドガルド山脈の水は基本的に雪解け水を端に発している。春先までは雪に覆われる山々もすっかり地面そのものの色を見せていた。水が枯れるのも時間の問題だろう。
「そのあたりは、オルスに任せるしかないわね」
フレアが肩を竦めた。その通り、と言いながらリンが宿舎の扉を開ける。
「ロックバード、お待たせ」
「これはリン様。愚妻の為にご足労をおかけいたしました」
「あら、謙遜でもフレアは賢妻だと思うわ」
おどけたリンにフレアが苦笑した。それで、と続ける。
「食料はひとまず二カ月分を持って来たわ。まだ在庫はあるけれど」
分かっている、とロックバードが頷く。
「あまり、長引かせる訳には行きませんな」
「できれば、年が変わる前に決着をつけたいわ」
リンが言うと、控えていたアレクが地図を広げた。
「どうやら帝国軍は決戦の道を選択した模様です」
地図の一点を指さす。
「イザールね」
リンが言った。
「帝国軍は恐らく、河岸に防衛陣を組むでしょうな」
「見渡す限りの大平原ね。伏兵は使えないか」
「正面対決になりましょう。どうしても、帝国軍が有利ですが」
「こちらは渡河しなければならない、遠征である以上、長期間の滞陣も難しいわ」
「どうしても遊軍が必要です。本隊が河を渡る間、精鋭部隊を対岸に渡して敵を撹乱します」
「どこから渡河するの?」
「ここです」
ミルドガルド山脈を指さした。
「山越え?」
イザール河はミルドガルドを流れる他の河川と同じく、ミルドガルド山脈を水源としている。
「尾根沿いにミルドガルド山脈を突破、そこから南下します」
「山に詳しい人なんていたかしら?」
「残念ながら、いるのよね」
ルカだった。
「山は魔力が高まる場所だから、おおよその道は分かるわ。この二カ月、ウェッジを仕込んでおいてから、数千の部隊は裂くことができると思うの」
「進んではやりたくないけどな」
ウェッジが肩を竦めた。二か月前に比べて随分と日焼けしている。高所は日差しが厳しいらしい」
「イザール河の水源地までここから二週間というところか。軍の中で足腰が強く、高所にやられない人間を既に選抜している」
「高所?」
「空気が薄いの」
ルカが苦笑した。
「一番高い所でおよそ四千メートル、それに条件が悪いと恐ろしく強い暴風が襲う酷い条件よ。正直、時期も悪いしね」
「冬季用の装備は整えたが、吹雪にでもなれば行軍はできないだろう。雨だけで相当の恐怖だったからな」
「大丈夫なの?」
リンが尋ねた。やるしかないだろ、とウェッジ。
「恐らく、今がギリギリのタイミングだ。二週間で山脈を突破し、後は雪に追いつかれないように下るだけ。そうすればいつでも帝国軍を側面から突ける」
分かったわ、とリンが言った。
「ロックバード、山脈越えを無事に成したとして、私たちはどうすればいいのかしら?」
「定石通りとなりますが、全軍でイザールへ進軍します。途中小競り合いがあるとは思われますが、大きな戦闘にはならないでしょう。次の戦は皇帝が出てくる模様ですから、総兵力を集結させるものかと」
「リンツ軍は動かせないかしら?」
「流石に、リンツの一万は貼り付けるでしょうな。ですので、想定兵力は二万から三万」
「ほぼ同数か、敵の方が上ね」
「はい。とはいえ、ルーシアが背後に控えている以上、三万を出してくる可能性は低いと考えます」
「火事場泥棒をされたらたまらないものね。ルーシアは国境付近に兵を集結させているらしいけれど」
「それなら、当面は耐えられると思いますわ」
フレアが言った。
「ミキを通じてルーシアからの回答は既に得ております。革命軍が致命的な敗北を喫しない限り、様子見を続けてくれるはずですわ」
ありがとう、とリンが言った。
「戦後の不可侵条約も上手く行きそうね」
「ええ、ルーシアにとっても悪くない話ですからね」
「空手形にならないように気をつけないと」
リンがからからと笑った。革命後、新ミルドガルド国とルーシアはルーシアに陸上通商路を独占させる代わりに相互不可侵契約を結ぶ予定となっている。ミルドガルドと東方のシン帝国を結ぶ通商路はルーシアにかつてない富をもたらすことだろう。
「イザール着陣後は、ウェッジ殿の別働隊と歩調を合わせ、渡河作戦を決行致します。かつて研究を続けていた新兵器をお見せしましょう」
「ええ、期待しているわ。最近、樵の音が活発だものね」
リンはそう言って、不敵な笑みを見せた。
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