次の瞬間には、ミクの姿が消えていた。
「ーーやばっ」
咄嗟に回避行動を取る。といっても、見えないのでその場から横に跳ぶしかなかったのだが、それが正解だった。カイトが跳んだ一瞬あと、さっきまで座っていたテレビがスライスされていた。
「なるほど、その爪で、切り裂いていたんだね。それじゃあ鎌鼬とは呼べないな。せめて切り裂きジャックだ」
トン、と後ろに跳ねる。その瞬間に、地面に傷が走った。
「まったく、面倒な奴をよこしてくれたもんだよ。速すぎて目で追えやしない。ぼくじゃなかったら、もう死んでるだろうね」
手近にあったテープレコーダーを拾い上げる。ミクに投げると、碁盤目のように切られた。しかも空中でだ。賽の目になって落ちていくテープレコーダーだったもの。まだ慣性が残っているらしく、ミクのほうに弱々しく落ちていく。
「あの爪は斬るというより当たった箇所を消失していくもんなのかな? 普通ありえないんだけど、あんな爪に当たって、空中でばらばらになるって」
また、ミクの姿が消える。そしてその瞬間、マフラーがズタズタに引き裂かれた。剥ぎ取られた、といってもいいかもしれない。繊維より細くなっていくマフラーを投げ捨て、ミクと距離をとった。それに意味があるとは思えないが、念のためだ。このまま衣服を剥ぎ取られた続けたら、本当に死んでしまう。
「これはいったいなんだろうね、最初はもっと単純なものだと思ったけど、どうやら違うみたいだ。『破壊』『衝動』『消失』どれもいいけど、ここはやっぱりこれかな。『進化』」
ーーそれはまた、大仰だな。
声がした。ミクが振り向く。首が180度回った。ミクの後頭部には新たに眼球が現れ、カイトを逃すまいと注視している。
「俺は『変体』と思ったがな。もしくは『変身』」
工場の開け放たれた入り口にもたれかかり、腕を組んでいる。いつからいたのかミクはわからなかったが、その青年は、最初からそこにいた。現在の時刻は、午前0時。ちょうど、約束の時間である。
「安直だね」
「ネーミングはわかりやすいほうがいい。回りくどいのは却って混乱する。そうだろ? 『運命貸与』」
「単純がいいのは賛成だけどね。でも、わかりやすさ重視の結果、それが本質じゃないことがあるからね。『刀鍛冶』」
ミクが青年を敵だと認識したのか、攻撃に移った。爪ではなく、髪。硬質化された髪が、無数の針となって青年ーーがくぽにーー襲いかかったのだ。
「おお、そんなこともできるんだな、お前は」
がくぽが感心したように笑う。針の群ががくぽを狙う中、彼は慌てることなく、右手をあげると、グーの形にして、人差し指の第二関節で壁を、もう雨風にさらされてボロボロになったコンクリート壁を、コンと叩いた。
「『刀鍛冶』」
がくぽが叩いた衝撃でコンクリートが崩れ落ちる。ポロリ、と、まるで埋め込まれていたかのように、最初からそこにキリトリセンが入っていたかのように、コンクリートは見事な日本刀の形となって、がくぽの手に落ちてきたのだ。
「命名。『コンクリー刀』と名付けよう」
ダサッ! カイトが鼻で笑う。その瞬間、がくぽに向かっていた髪が、全て切り落とされた。
カラン、と金属のような音を立てて髪が散らばっていく。ミクは再度髪を伸ばそうとしたが、無駄と悟ったのだろう。髪に柔軟性を戻し、縮めていく。
「そのセンスは相変わらずだけどさ、もう少しなんとかなんないのかな?」
「素晴しかろう」
「コンクリー刀って、もう音だけ聞くとなんなのかわからないじゃん。しかもそれ絶対『刀鍛冶』じゃないし」
「コンクリートであれなんであれ、俺が叩いたものは名刀になる。立派な俺の能力だ。否定しないで欲しいな」
ミクの標的が、シフトする。首がまた周り、カイトを見た。ミクの姿が消える。カイトが横に飛ぶ。カイトがさっきまで寄りかかっていた、ゴミの山が吹き飛んだ。
「俺から言わせて貰えば、お前の能力名のほうが疑問だがな。『運命貸与』じゃ、なにがいいたいのかさっぱりわからん」
「そのままだよ。運命を与え続ける。さっきからぼくが死ぬ、殺されるって運命をほかのものにシフトし続けてるだけだから」
「じゃあ『運命付与』だろう」
「ふよ、ってなんか力が抜けそうだろ。だから貸与ていいんだ」
カイトが触れたゴミが、次々に破砕されていく。カイトの身代わりになって、死んでいく。周りのものが次々に破壊されていくなか、カイトだけが全く傷ついていないのはワザとかと疑われそうだが、ミクは決して遊んでいるわけではなかった。
攻撃が逸れる。
意思が、曲がるのだ。
殺したいのに、こんなにも殺したいのに!
「殺人鬼、鎌鼬。ねえ、その正体に気付いたのはいつ?」
「最近だ。というか、最近までそいつは、俺の元にいた」
「へえ。やっぱり、記憶がないからおかしいと思ったんだ。『忘形見』。グミの仕業かい?」
「ご明察」
グミの能力を使って、記憶を消し、捨てた。そんなところなのだろう。カイトの事務所に行けとだけ記憶を残せば、そこにいくしかない。
「とても俺の手にはおえなくてな。お前にやる。躾はすんでるから、大事にしてやってくれ」
「ああ、そうかい」
またひとつ、カイトが触れたゴミがスライスされる。スライスされ、吹き飛ぶ。そのいくつかはがくぽに飛んでいったが、がくぽはコンクリー刀でそれらを叩き落とした。
「じゃあ、貰うよ」
カイトがコートを脱ぐ。白の、春には少し暑いコート。それに運命を渡し、ミクへと投げた。カイトが細切れになる運命を、コートが引き受ける。ズタズタになる。ズタズタに、ボロボロになる。それを惜しみながら、カイトはミクに歩み寄った。
隙を見せたつもりはなかった。隙を作ったつもりもなかった。
なのに、その男は自分に歩み寄ってきた。殺気もなく、敵意すらなく、挨拶するように、そのまま通り過ぎてしまうかのように。
「その運命、ぼくがもらってあげる」
ミクの頭に、手が置かれた。
それだけだった。
たったそれだけのことで、ミクは、停止した。
殺人衝動が失せていく。痒みが収まるように、鎮静していく。
思考が戻り、ミクがまたミクを支配していく。
牙が歯になる。四肢が手足になる。獣が人間になる。
目が元に戻る。髪が短くなり、軟化する。爪が縮み、鋭利さを失っていく。
「はい、完了。これでミクちゃんはミクちゃんに戻ったわけだ」
カイトの手の下には、膝を割って座ったミクがいた。ボロボロであった。ビリビリでもあった。ズタズタでさえあった。
体も。心も。
「どうだい、気分は」
「…………」
「思い出し……はしないだろう。記憶はもうミクちゃんの中にないからね。でも、覚えているだろう?」
人を殺した、感触を。
「……私が」
ミクはようやく、言った。
「なに?」
「私が、やった」
「ああ、そうだ 」
優しくなかった。それゆえに、優しかった。
突きつけられる。
現実を。自らしてきたことを。
「私は……」
ミクは顔をあげようとしなかった。声に恐ろしいほど感情が籠っていない。きっと表情もないのだろう。
呆れているはずだ。特に自分自身に対しては、もう言葉もないだろう。
「だとよ、カイト」
遠巻きにがくぽが囃子立てる。
「殺してやれ。そのほうが、誰のためでもある」
「……よく言うね」
「ああ、言うさ。そいつは、生きてても誰の為にもならない。害でしかないし、マイナスでしかならない。得をしない。損しかしない。俺たちと同じように。俺たちと、同じだから」
「だから、殺すべきだと?」
「それ以外に、なにが必要だ?」
がくぽは笑いながら、今までずっと本気なのか冗談なのかわからない態度のまま、刀をカイトの足元に滑らした。それで殺せ、ということなのだろう。がくぽが鍛えたのならば、間違いなくそれは名刀だ。皮も肉も骨も、斬れる。構えて、重力に従って降ろせばいい。それだけでミクが二つになる。二つになって、そしてゼロになる。
刀が転がってきても、ミクは微動だにしなかった。受け入れるように頭を垂れている。髪が下がり、うなじがよく見えた。
カイトが刀を拾う。コンクリートの割に、軽い刀だった。柄と刃しかない刀だ。鐔はない。鞘に納めることがないためか、単にめんどくさかったからかわからないが、がくぽのことだからなにか意味があるのだろう。
刀を振り上げる。遠心力と重力。このまま振り切れば、ミクは脳天から二つになるだろう。それだけでいい。それだけで。
「…………」
カイトが刀を降ろす。振り下ろす。それはミクの頭に当たろうとしてーー……。
レンが、それを受け止めた。
腕にはめた鉄甲が、がくぽの名刀を、見事に受けきった。頭の上で組んだそれに、名刀は、”乗っていた”。刃こぼれもせず、鉄甲を傷つけることもなく、ただ触れた状態で静止している。触れ合った状態で、触れる前となんら変わらない状態で、静止している。
「……本当は」とがくぽが言う。「鉄なんて目じゃないはずなんだけどな、『秀才』」
「うるさい黙れ静かにしろ」
レンに言われた通り。がくぽは静かになる。3秒間ほど。
「まあ、『秀才』の前じゃこんなもんか。あれだな、名前が良くなかったからだろうな。もっといい名前がつけば、もっと名刀になる。次に会う時まで、もうちょっとセンスを磨いておくよ」
じゃあ、とがくぽが工場の影に隠れる。
足音さえ完全に消えてから、カイトは刀を捨てた。
「どうしたの? 外で待ってるように言ったはずだけど」
「……カイトは、知ってたのか?」
「ん?」
「こいつが……鎌鼬だって」
「ああ、だって、そうだろう? 誰も見たことない殺人鬼。それから、逃げれるなんて」
「……こいつは、俺と、同じか?」
さっきの戦闘を目撃していたのだろう。カイトは隠すことなく、是と答える。
「能力名『進化』。どれほど扱えてるかはわからないけど、まあ、体に関することだからね。呼吸すると同様に教わるタイプのものじゃないだろう。慣れる必要はあると思うけど、すぐ扱えるようになる」
「そうか。なら」
12
そのあとのことを、ミクは正直、よく覚えていない。
寝てはいないはずなのに、寝ていたようだった。見ているはずなのに、見ていなかった。思考しているはずなのに、思考していなかった。
なされるがまま、連れていかれるがまま、ミクは、カイトの事務所に帰ってきた。
そしてそのまま、雇用契約を交わした。
カイト平和創生室。社員が一人増えた瞬間である。
ーー無頼 その5ーー
無頼 了
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