56.五年後、海辺の町にて

 ―五年後―

         *         *

“まさに彼女は悪の娘”

 初春の宵。柔らかな夕闇が海辺の町を包む頃、灯りの燈った酒場に、一日の仕事を終えた男たちが集まる。談笑とともに、いつものようにがなる歌が響く。

“昔々あるところに、悪逆非道の王国の、頂点に君臨してた、齢十四の王女様―!”

「リンちゃーん! こっちも麦酒追加―!」
「はいはーい!」

 五年後。リンは、笑っていた。

 黄の国の革命から五年。メイコはじつに良く国を率いた。
 革命から二年後、メイコは緑の国の統治権を緑の民に返還した。黄の統治下にあったとき、緑の国の市長の代表だったツヒサが、そのまま緑の国の王となった。彼は黄の国から緑の民の独立を取り戻した王として人望を集めている。メイコにとっても、革命時に青の国が侵攻してきた際に、ことを荒立てず上手に立ちまわったツヒサの政治感覚はありがたいものだった。
 黄の国と緑の国は、互いに協力し、立場を利用しあいながら、他の国々との立場を保ち続けている。
 メイコの目指す『ひとつの隊商』としての黄の国が、黄の民にも、外の国の民にも認められつつあった。

 この五年の間に、黄の国と緑の国の往来はずいぶんと楽になった。メイコが、緑の国が黄の国の統治下にあるうちに、黄の国から緑の国へいたる道を通りやすいように整備したのである。これまで人の往来を阻んできた黄と緑の国境の危険な山道は、次の春に豊作を得た黄の民の勢いによって、広く平らに整備された。
 黄の国は、これまで主に作っていた小麦や野菜に加え、薬草も売り出し始めた。緑の国へ抜ける道を広げ、緑の国の境の山を越えやすくしたおかげで、工芸国の緑へ、そして青の国への海路への接続が楽になり、農家も職人も商人も、かつてとは比べ物にならないほど活発に活動している。
 穏やかな港を抱く緑の国は、奇しくも黄の国のおかげで以前にも増したにぎわいを得るようになった。
 緑の民は、もともと定住する大地を持たない、海を渡り商売をする民である。
 女王ミクを暗殺され、二年にわたり黄の民に占領されたことへの恨みの声は、港がにぎわうにつれ、だんだんと表の感情としては消えつつあった。

 リンの働く酒場は、緑の港にある。酒場に溢れる料理と笑い声は、この大陸の国々が大旱魃と大変革を乗り越え、活気を取り戻した証だろう。

 五年前、居場所をなくしていたリンは、出会った『巡り音』のルカの世話で、緑の国の港の街に住み着いた。
 国も町も荒れたあのころ、家族を亡くし、居場所を失くした子供はたくさんいたので、何も出来なくてひとりぼっちのリンを怪しむ者は少なかった。

「わたし……弟を亡くして」

 黄の革命直後、うつむき、何も話せずにいるリンであったが、働き手に求めた酒屋の夫婦は、そんなリンを引き取り、根気良くさまざまなことを教えてくれた。
 もともと気を利かせることの上手いリンは、すぐに色々なことを覚えた。
 黄の国の占領下の緑の国に、黄の民の自分がいること。そのことで、引き取り先の夫婦が悲しい思いをしないようにと考えたのか、生来の生真面目さですぐに笑顔を取り戻し、笑い、明るく振る舞うようになった。

 そして今日も、酒場には『悪ノ娘』の歌が響く。かつての『リン女王』を唄った歌だ。緑の民にも、黄の民にも、彼女を恨む者は多い。どこの『巡り音』が広めたのか、単純な調子と覚えやすい歌詞で、酒場で思い切りがなり飛ばせるとあって、革命から五年たった今でも黄と緑、両方の民に人気の歌である。
 いよいよ合唱の声は高くなり、歌は佳境を迎える。
 彼女はこういったー、と、注目は、その場の誰か一人に集まるのが『緑の港街流』だ。

『あら、おやつの時間だわ?』

 注目された一人の男が体をくねらせ、ふざけた調子で台詞を入れる。
 その場に居た全員から大爆笑が上がった。
 歌の中にいくつかある女王の台詞を、いかに面白くふざけ倒すか。そんな遊びができることも、この歌が酒場で人気を誇る理由である。

「はい! 注文お待たせしました! おじさん、いつも面白いわね。」
 女王の『おやつ』で見事大爆笑を獲得した男に、リンは笑顔で料理を運ぶ。
「はは! あのリン女王も、リンちゃんみたいな良い子だったらねぇ!」
 どっとその場に笑いがおこり、リンも笑って返す。
「本当! わたしも大迷惑よ! 女王と同じ年に生まれたものだから、わたしもリンってさ! あのころはみんな彼女に期待して祝福したのに……ホンット、黄の国全土のリンちゃんどれだけ泣かせたんでしょうね!」
 リンの言葉に、歌っていた男たちがそうだそうだと同意する。黄の髪の男も、緑の髪の男もいる。
「まったくよ! ……今思えば、黄の民もかわいそうだったな。旱魃で苦しんでいる真っ最中に、こんな緑の国まで兵隊に駆り出されて」
「そうだそうだ。俺たちの家族が自決に追い込まれたのも、元はと言えば女王が戦争を始めた所為だからな。黄の連中皆が悪いわけじゃないさ」
「盗賊と同じ方法で処刑されて当然だな。黄の連中も緑の連中も、奴が殺したようなもんだ。どんな大盗賊だって出来ない、女王様の仕事ってやつだな!」
「女王でなかったら、うわさ通り、王と王妃を殺した時点で即死刑だろ!」
「まあ、噂だからな。もう、確かめようがないが、たしかにその時死刑になってりゃ、戦争だけは避けられただろうな」
 てーん、と首をはねるしぐさに、周囲から同意が沸き起こる。ふざけてはいるが、まだまだあの戦争は、人々にとって生々しい傷なのだ。
そして、また賑やかな食事に戻っていく。

 それでも、人々は、今、笑顔だ。黄の国も、ちゃんとある。
「わたしは、幸せになっていく国を見届ける義務がある。黄の国には戻れないから、知る者の居ない、緑の国の、この町で」
 そう思い、リンは、唇の端を持ち上げた。
 国の笑顔は、リンの笑顔だ。リンの笑顔を、レンも別れ際に願った。だから、リンは、レンが刑死したのちも、そのことだけを支えに笑って生きてきた。

「だけど、」

 ふとリンは思惑に囚われる。

「今は、わたしは、女王じゃない」
 それは、いつもリンが感じている、足元が崩れ落ちるような強烈な不安だった。
「女王じゃなかったら……?」

 女王でなかったら、即死刑だろ!

 男の声がよみがえった。

 そう言えば、今の自分は?
 女王は、もういない。なら、今のわたしは?
 今、自分はただのリンだ。しかし、王と王妃を殺し、人々を戦争と革命に導いたことには変わりない……!

 それはこれまで何度もリンの内側で繰り返された言葉だった。しかしこの日はさらなる言葉がリンの心臓を叩いた。

「リンちゃん、リンちゃん?」
 盆をもったまま突っ立っていたリンに、客のひとりが声をかけた。

「なに、酒も飲まずに俺の美声に酔っちゃった?」
 周囲がすかさずその男をどつく。
「悪酔いだろ、それは!」
 どっと場が再び沸いたが、みなこの酒場の常連だ。リンを心配しているのがすぐにリンも解る。
「……そんな顔するな。もう女王はいないんだからさ。」

 身よりもなく、戦争と革命の直後からこの町に来たリンの事情を案じた上の言葉だと、リンにも解る。皆、戦争や革命でリンが家族を失ったものだと信じている。

「……わたし、」

 ふらりと、リンは、盆を抱えたまま酒場の外に出た。

 その時、緑の港に、一日の終りを告げる鐘の音が響いた。

「…………!」

 きっかけは、突然やってくる。今まで同じようなことは何度もあったのに、この時、ついに押し込めていた堤が決壊した。

 レンは生きろと言った。自分の代わりに女王として死んだレンは、自分に生きてこの国を見届けろと言った。リンも、元女王の責任として、そして自分を最後まで支え続けたレンの願いということもあって、当然そうするつもりだった。
 しかし、もう、限界だった。人を自分の身代わりにして、他人を大勢自分の夢の犠牲にして、それでも笑って生きることがこんなにつらいことだとは、リンは、実際生き延びるまで想像することも出来なかったのだ。
 リンの足が、ふらりと街道に向いた。
 店の明かりと声を後にして、リンは夜の町に転び出る。だんだんとその場を逃げるように足が速まっていく。

「わたしは『国の幸せ』そのために、たくさんの人の命を奪った……」

 今、たしかに人々は笑っている。でも、五年前に死んだ人々も、笑っていたかったのではないか? あの頃の人々も、今の人々と同じくらい幸せになりたかったのではないか?

「駄目だ。もう、駄目だ……!」

 リンを支えるものはすべて失われた。やはり、自分はあの時死んでおくべきだったのだ。レンのわがままなど、聞くべきではなかった。
 何より、レンは、本当に女王になりたかったのか? リンが願ったからこそ、女王になったのではないか?
 それなら、彼もリン女王の犠牲者だ。笑顔などでは償いきれない、リンの犠牲者だ。最後に見た、レンの笑顔がよみがえる。

「レン。あなたは本当に笑っていたの? その短い生の中で、わたしのためではなく、あなたのためだけに笑えたの……?」

 義務と思いが、今更になって混濁してリンを襲う。そして、自分の思いの中では、革命も、レンの死も、何一つ終わっていなかったことをリンは気づいた。
 
「どうしたら、いいんだろう……」

 もう、生きていく理由も解らない。しかし、死ぬわけにもいかない。
 夜が深まり、通りが寝静まってもなお、リンは歩き続けた。
 いくつ真夜中を越えたか分からないほど歩いた。
 だんだんと、道が細くなり、建物の様子も、質素になる。
 リンの足が、丘の上に向かう。
 その視線の先には、まっ黒に茂る森を背後にした、教会が見えた。麓の小さな集落は、質素だがどの町よりも道の石畳がきれいに整えられていた。

 ふらふらと揺らめく影が、教会の丘を登り始める。たどりついた丘の上の礼拝堂に、転がりこんだ。
 天窓から、色ガラスを透かして、月の光がやわらかく降り注いでいる。わずかな埃さえきらきらと光ってリンの周囲を舞った。
 リンの姿勢が、自然にいのりの形を取る。膝をつき、天を仰ぎ、光を受けた。
 血ぬられた身が、月の光に清められることを願うように。

「神様」

 リンの唇が、かさりと動く。

「もしも、生まれ変われるならば……」

 かみさま。わたしを、女王以外にしてください。

 港の酒場を出て五日目。ついにリンは力尽き、礼拝堂の床に倒れこんだ。



つづく!

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ二次・小説】 56. 五年後、海辺の町にて

……今後のすべての章を、生きる力に。
なんて!

何も知らずに居た夢のように甘い過去はこちら↓
悪ノ娘と呼ばれた娘【悪ノ娘・悪ノ召使二次・小説】 1.リン王女
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歌詞引用・親作品 悪ノシリーズ
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投稿日:2011/03/16 00:29:53

文字数:4,389文字

カテゴリ:小説

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