第六章 消失 パート3

 黄の国の軍と緑の国の軍が激突したのはそれから三日後のこと。場所はミルドガルド山地であった。
 黄の国から緑の国へ進軍するには、まず大陸中央部を縦断しているミルドガルド山地を越えなければならない。それほど標高の高い山ではないが、それでも道は狭くなり、大軍の移動が困難になる地域である。戦略眼に優れたネルがその地の利を見逃すはずがなかった。この山地で迎え撃つと決めたのは妥当というべきであって、数の少なさを有利に変えられる唯一のポイントがこのミルドガルド山地なのである。
 「おそらくミルドガルド山地で敵が迎え撃ってくるでしょう。」
 開戦の直前、早朝の軍議で、メイコは地図を指さしながらその様に告げた。
 「力押しでは被害が大きくなるな。」
 ロックバード伯爵はそう答える。
 「しかし、他に道はありません。我が赤騎士団で敵を突破致します。」
 「ふむ。」
 少し思案するようにロックバード伯爵は頷いた。
 「でしたら、僕も参加します。」
 そう言ったのはレンである。
 「レン。貴殿は初陣だろう。気がはやるのは理解できるが、焦るのは死を招くぞ。」
 メイコがそう警告をしたが、レンは耳を貸さなかった。
 「大丈夫です。必ず突破して見せます。」
 「何か秘策があるのか?」
 強情なところは彼女と同じなのだな。
 アキテーヌ伯爵から以前告げられたことを思い起こしながら、メイコはそう訊ねた。
 「ありません。でも、ここを突破しないと緑の国に侵入できないのでしょう?なら、決死隊は一人でも多い方がいいと思ったのです。」
 強い調子でレンはそう言った。困ったようにメイコはロックバード伯爵を見た。それを受けて一つ頷いたロックバード伯爵はレンに向かってこう言った。
 「分かった。ではレンに決死隊への参加を認める。しかし、死に急いではならんぞ。」
 「はい。ありがとうございます。」
 レンは素直に一礼をした。
 戦を理由に彼を排除しようと考えたことは、反逆罪にあたるのだろうか。
 意気揚々と出立したメイコとリンの姿をみながら、ロックバード伯爵はつい、そう考えた。

 「作戦は単純だ。ミルドガルド山地を走り抜けて敵軍を打ち破る。おそらく伏兵や罠が大量に配置されているだろうが、力押しで突破する。遅れたものから死ぬと思え!」
 メイコがそう叫ぶと、愛馬の腹に鞭をいれて駈け出した。
 赤騎士団はその名の通り全軍が真っ赤な鎧に身を包んだ騎兵のみで構成された軍団である。黄の国一の精鋭部隊という名は伊達ではなく、そのスピードを生かした戦術は絶大な攻撃力を誇っている。その赤騎士団総勢五千が一斉に駈け出したのである。
 地揺れのような地響きがミルドガルド山地を揺さぶり、もうもうと湧き起こる砂埃が積乱雲のように天空へと舞っていった。そしてミルドガルド山地の隘路に突入した瞬間、雨のような矢が赤騎士団へと降り注いだ。
 やはり、兵を伏せていたか。
 メイコはそう考えたが、発した言葉は一つ。
 「走れ!全力で走れ!止まれば死ぬぞ!」
 剣を抜き放ち、降り注ぐ矢を切り裂きながらメイコはそう叫んだ。数十騎が矢に打ち抜かれ、絶命してゆく。
 僅かに隣を見ると、無傷のレンがメイコと同じように剣を振るいながら全速力で駆けていた。
 どうやら強運の持ち主らしい。
 メイコはそう考えて薄く笑うと、ただ前を見て更に馬のスピードを上げた。

 「もう突破されたのか!畜生、ハクは何やっているんだ!」
 前方からの伝令の報告を受けたネルは思わずそう叫んだ。ハクは前面に兵を伏せ、敵軍が通過した瞬間に矢を雨嵐のごとく放つという役割だった。それで足止めができると考えていたのだが、どうやら判断が甘かったらしい。
 「そ、それが、敵は精鋭の赤騎士団による突撃を行っておりまして・・。」
 伝令兵が息を切らせながらそう告げた。
 「赤騎士団だって!虎の子じゃないか。それを初戦から繰り出してくるなんて、頭おかしいのか、黄の国の軍人は!」
 ネルはそう叫んで、自らの剣を手に取った。
 「とにかくこの関所を守りきらないと意味がない!ハクに伝令、後方に下がれ!それから私の直属兵!死ぬ気でここを守るよ!」
 ネルは剣を抜くと、その様に指示を出した。

 見えた。
 先頭を走るメイコは山間の街道の奥に設置されている関所風の砦を見つけて、その様に判断した。
 「あれが敵の拠点だ!一気に突破する!」
 メイコはそう叫び、剣を一度鞘に納めると馬の腹にくくりつけておいた槍を抜き放った。全軍がそれにならい、槍を手にする。一列に並んだ敵の弓兵の姿をメイコが確認した瞬間、一斉に砦から弓矢が放たれた。メイコ目がけて飛んできた矢を槍ではたき落としながら、メイコはもう一度愛馬の腹を蹴った。
 簡単な造りの砦だ。十字に組んだ丸太を組み合わせた柵を並べているだけ。ならば。縄をかけて引きずれば突破口ができる。
 そう判断したメイコは後方の兵に向かってこう叫んだ。
 「鍵縄を持ってこい!柵を引きずり倒せ!」
 その声を受けて、十騎程の騎士がメイコの後ろから飛び出してきた。カウボーイの様に鍵縄を振り回した彼らが次々と柵に縄をひっかけてゆく。その間にも、容赦のない矢がメイコ達を襲い、一人、また一人と絶命し、落馬していった。
 早くしろ。
 常人離れした巧みな槍術で向かってくる矢を尽くはたき落としながら、メイコはそう考えた。その内、一つの柵が大げさに倒れる。
 今だ。
 「全軍突撃!」
 メイコはそう叫び、砦に空いた空間目がけて全速力で馬を走らせた。飛ぶようなスピードでメイコは敵陣に乗り込んだ。馬の脚に蹴られて、数人の敵兵が吹き飛ばされる。そのまま、手当たりしだいにメイコは槍を振るった。隣では、レンがメイコと同じように槍を振るっていた。
 初陣とはとても思えない。
 鬼神のごとき戦いを行うレンの姿を見ながら、メイコはそう考えた。

 緑の国の軍が撤退したのはそれから三十分ほど経過した頃であった。形勢不利と判断したネルが早々に軍を引いたのである。
 敵将はなかなか優秀であるようだな。
 少し暴れ足りない、という様子を見せていたメイコはつい、そう考えた。実際、敵の拠点を奪ったものの、敵兵の死者が予想よりも少なかったのである。こちらの被害が一千名に対して敵の被害はおそらく五百余り。地形を有効に使ってこちらの追撃を許さなかったために、大打撃を敵軍に与えることができなかったのである。
 今日は痛み分けというところか。
 メイコはそう考えながら、軍議の席へと向かうことにした。
 現在の黄の国の軍はミルドガルド山地を越え、緑の国に広がる大平原の一角に陣を構えている。通常の進軍スピードなら二日で緑の国の王宮に到着できる距離だった。
 「まずは緑の国に侵入できたことを成果としよう。」
 軍議が始まると、ロックバード伯爵はその様に告げた。そして、そのまま言葉を続ける。
 「今日はここで野営を行う予定だ。そのまま街道を東進して緑の国の王宮に迫る。以上だ。」
 ロックバード伯爵はそう告げると、早々に軍議を打ち切った。
 ここで野営、か。
 メイコはそう考えながら、軍議の席を後にした。
 何か気にかかる。何か。
 そう思いながらメイコが自身の宿舎に向かって歩いていると、後ろからレンが駆け寄ってきて、このように声をかけた。
 「メイコ隊長。夜襲の備えはしなくてもよろしいのでしょうか。」
 夜襲。
 その言葉を聞いた瞬間、メイコの中の不安が一気に固定化するような感触を覚えた。
 「レン、どうして夜襲が来ると思ったのだ?」
 僅かに驚愕の要素を含んだ口調で、メイコはレンに向かってそう訊ねた。
 「遠征軍が到着した直後は疲労の為に熟睡することが多いという軍略を学んだことがあります。それに、今日は勝ち戦で気が緩んでいる。敵の将軍が僕たちのその状況を見逃すはずがないと考えました。」
 「いい戦略眼だ。召使にしておくことが勿体ない。」
 「ありがとうございます。」
 「とにかく、すぐに夜襲への備えを始めよう。もうすぐ日も暮れる。急ぐぞ、レン。」
 メイコはそう言うと指示を出すために早足で歩きだした。

 その夜。
 メイコは寝付けぬままに就寝をしていた。すぐに飛び起きられるように鎖帷子はつけたままだから、どうしようもなく寝付きが悪い。
 鎖帷子はどうも女性の体つきを考慮して造られていないな。
 少し圧迫感のある胸を押さえながら、メイコはつい、そう考えた。
 果たして、敵は来るのか。
 今までに入手した情報によると、敵軍の対象はネルという女性らしい。今日の手際を見る限り、相当優秀な軍人であることは容易に推測がついた。
 一度、手合わせを願いたいものだ。
 そうメイコが考えて、寝苦しさを紛らわすように寝返りを打った時である。
 「敵襲!敵襲!」
 小さなその声がメイコの鼓膜を揺さぶった。
 やはり来たか。
 反射的に飛び起きたメイコは冷静に甲冑を身につけると、剣を佩き、槍を手にして宿舎を飛び出した。
 成程、風向きを良く計算している。
 妙に冷静にメイコはそう考えた。今風は東から西に向かって吹いている。そして陣の東の方向には昼間の様に燃え上がる炎が見えたのである。
 「馬を引け!」
 メイコがそう叫ぶと、物陰から従者が愛馬を連れてやってきた。こちらも準備は万端らしい、と愛馬の表情を見て判断したメイコは愛馬に飛び乗り、炎の方角へと一目散に駈け出した。
 メイコ直属の選りすぐりの精兵がメイコの後に続いて走り出す。
 敵の数はどれほどだろうか。
 後ろを走る部下の姿を確認したメイコは、槍をしごきながらその様に考えた。
 やがて、自陣を暴れる敵兵の姿を確認する。極度の混乱状態にあるらしく、着の身着のままで逃げだす兵士の姿を見て、メイコは思わず舌打ちをした。
 油断にも程がある。
 そう思いながら、メイコは向かい合った敵兵に向かって槍を突き出した。喉元を切り裂かれた敵兵が呻き声ともつかぬ声を上げながら絶命する。そのまま、数騎と打ち合った。
 大将はどこだ。
 槍での打ち合いを続けながら、メイコは大将の姿を探し始めた。敵の大将を討ち取れば敵軍の戦意を挫くことができる、という戦術的判断もあったが、それ以上に興味があったのである。
 ネルという騎士は、一体どのような女性なのだろうか。
 ということであった。騎士としての本能であるかもしれない。
 そうしてメイコが駆けながら戦っていると、闇夜であっても輝くような明るい金髪をサイドテールにした女性が獅子奮迅の戦いをしていることに気が付いた。
 恐ろしく、強い。
 瞬く間に三人を串刺しにしたその女性が大将だろうと判断し、メイコはこう叫んだ。
 「敵軍の大将殿とお見受けする!我が名は赤騎士団隊長メイコ!一騎打ち願おう!」
 その言葉に、金髪の女性がメイコを振り返った。そして、こう叫ぶ。
 「そうだ!私は緑騎士団隊長ネル!メイコ殿、貴殿を探していたぞ!」
 「ほう、我が名は緑の国まで届いているのか。」
 「もちろん。そして貴殿を倒せばこの戦が終わることもね!」
 ネルはそう言うとスズメバチの様な鋭い槍をメイコに繰り出してきた。
 鋭い。
 その槍をすんでのところで避けたメイコは思わずそう考えた。
 実力は伯仲しているようだな。
 メイコはそう思い、槍を振り上げた。その重い槍をネルは軽々しく受け止める。
 そのまま数合、果てしない打ち合いを二人は始めた。

 メイコ隊長はどこだ?
 夜襲の知らせを受けてすぐに馬に飛び乗ったまでは良かったが、乱戦の最中でメイコの姿を見失ったレンはであった敵兵を槍で突き落としながら、ひたすら駆け続けていたのである。
 味方の被害も大きい。
 何人目かの騎士を串刺しにしたレンは、地面を転がる死体を見てそう考えた。
 油断するとこうなるのか。
 無為に死体を転がしている味方の兵士の変わり果てた姿を見ながら、レンは馬のスピードを上げた。
 まさかメイコ隊長がやられるなんてことはないだろうけれど。
 そう思った時である。
 二人の騎士が一騎打ちをしていることに気が付いた。
 「メイコ隊長!」
 思わずレンはそう叫んだが、その声は一騎打ちに集中しているメイコの耳には届かなかったらしい。レンを無視するように、もう一度メイコは槍を振り上げた。
 なんて、楽しそうに戦うのだろう。
 メイコの姿を見て、レンは思わずそう感じてしまった。
 実際、メイコは楽しかったのである。メイコと互角に戦える人間は黄の国には存在しない。それはメイコの実力がずば抜けているからという理由に他ならないが、そのメイコと互角に戦える人物が存在する。
 その事実は、一瞬戦の目的を忘れるほどにメイコの心を揺さぶっていたのである。
 メイコがその様に躍動した時、切り裂くような声が戦場に響いた。
 「ネル!もう潮時です!」
 その言葉はメイコとネルの争いを止めるには十分な質量をもって戦場に響き渡った。レンが思わず声の方向を見ると、メイコと戦う金髪の女性とは対照的な、月のような銀髪をサイドテールにした女性が現れたのである。
 「ハク、今いいところなんだよ。邪魔しないでくれないか?」
 ネルは憮然としてその様に言い返した。
 「そ、そんなわけにはいかない!ネル、私たちは別に一騎打ちに来ているわけじゃないのよ!」
 「だってさ、メイコ殿。勝負は後日ということでいいかい?どうせ戦うんだし。」
 さばさばとした様子で、ネルはメイコに向かってそう告げた。
 「多少拍子抜けしたが・・やむを得んな。」
 メイコは珍しく笑顔を見せて、そう言った。
 「ま、今日の夜襲は私たちの勝ちってことで。それじゃあな!」
 ネルはそう言うと、ハクと、そして緑の国の軍勢を引き連れて引き上げていった。
 その様子を見ながら、レンはメイコに近付くとこう言った。
 「どうして追撃しないのですか?」
 その言葉を受けたメイコは、薄く笑うとこう言った。
 「何、敵の油断ぶりに拍子抜けしたまで。」

ライセンス

  • 非営利目的に限ります
  • この作品を改変しないで下さい

悪ノ娘 小説版 (VOCALOID楽曲二次創作) ⑬

第十三弾です。
長い・・。
話を膨らませすぎたかも知れません・・。

閲覧数:426

投稿日:2010/01/03 14:45:23

文字数:5,810文字

カテゴリ:小説

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